ヴィクトール・フランクル氏の夜と霧を読んだ感想とまとめ

私の愛しいアップルパイへ

私が柄にもなくこんなにシリアスな表情をしているのはヴィクトール・フランクル氏の著書「夜と霧」を読み終えたからです。1940年代のナチスドイツの時代、強制収容所での体験を綴った一冊で、みぞおちにズッシリとくる一冊でした。

今日はこの夜と霧を読んだ感想とまとめについてあなたにお話しせずにはいられません。

▼なお、動画でより詳しく解説していますので、ながら聴きなどこちらをご覧ください。




ヴィクトール・フランクル氏の夜と霧を読んだ感想とまとめ

心理学者、強制収容所を体験する

本書の内容を簡単に説明しましょう。

本書はアドラーやフロイトに師事したことで知られる心理学者、ヴィクトール・フランクル氏がナチスによる強制収容所での生活について綴った体験記です。彼は1942年から1945年にかけてアウシュビッツを含む数カ所の強制収容所に収容された後、解放されました。

本書はヴィクトール・フランクル氏が解放された直後、1946年に出版されました。

本書の冒頭では本書の内容についてヴィクトール・フランクル氏自身の言葉でこんなふうに語られています。

「心理学者、強制収容所を体験する」。

これは事実の報告ではない。体験記だ。ここに語られるのは、何百万人が何百万通りに味わった経験、生身の体験者の立場になって「内側から見た」強制収容所である。だから、壮大な地獄絵図は描かれない。

(中略)

わたしはおびただしい小さな苦しみを描写しようと思う。強制収容所の日常はごくふつうの被収容者の魂にどのように映ったかを問おうと思うのだ。

「心理学者、強制収容所を体験する」より抜粋

強制収容所における三段階の心の反応

ヴィクトール・フランクル氏によれば、強制収容所での被収容者の心の反応は三段階に分けられるといいます。

  • 第一段階:施設に収容される段階
  • 第二段階:収容所生活そのものの段階
  • 第三段階:収容所からの出所ないし解放の段階

本書ではこの三段階における生身の体験について、心理学者の目を通した鋭い観点で描かれます。三段階のなかでも特に第二段階の収容所生活そのものの体験が中心に語られます。

本書の邦題は「夜と霧」ですが、原題は「trotzdem Ja zum Leben sagen:Ein Psychologe erlebt das Konzentrationslager」で、日本語に訳すと「それでも人生に対して「イエス」と言う:ある心理学者、強制収容所を体験する」といった意味になります。

強制収容所でどのような残虐な行為が行われたかではなく、いまだかつてない悲惨な状況下における精神的な反応について。特に、精神的な自由が最重要テーマです。

無期限の暫定的存在において未来を失う

本書では紹介しきれないほど濃密な内容が凝縮されているのですが、特に胸を打たれた部分をご紹介しましょう。

ヴィクトール・フランクル氏は強制収容所における被収容者の状態を「無期限の暫定的存在」と定義します。いまのありように終わりがあるのか、あるならそれはいつか、見極めがつかない状態が無期限の暫定的存在です。

これは例えば失業者の場合や、いつ退院できる分からない患者の場合でも似たような心理的状況に陥るといいます。いまの状態がいつ終わるか知れず、ときには無限に続くようにも思われるのです。

このような「無期限の暫定的状態」においては、目的をもって生きることがひどく困難になります。未来や未来の目的を見すえて生きることができなくなるのです。ましてや強制収容所のような過酷な状況下においては特に困難を極めるでしょう。

収容所生活ではほとんどの人が目下の自分の状況を真摯に受け止めることができず、いま自分の身に降りかかっているできごとは本来の人生とは別のなにかだと考えるようになり、過去の記憶にしがみついて心を閉ざすようになるのだそうです。

先述した第二段階、つまり収容所生活そのものの段階においては、ほとんどの人が無期限の暫定的存在のなかで未来を喪失し、無気力になり、感情を失っていったといいます。未来とともに感情と気力を喪失し、常にイライラした状態になるのです。

そして、自分の未来をもはや信じることができなくなった者は精神的に破綻し、最終的には身体的にも破綻します。「生きていることになんにも期待がもてない」とこぼすようになり、最終的にはある日突然横たわったままトイレに行くことすらしなくなり、ピクリとも動こうとしなくなるのです。死に至る自己放棄です。

未来の楽観的イメージに頼るトリック

このような無期限の暫定的存在と隣合わせにある死に至る自己放棄に対して、どのように対抗できるのでしょうか。

ヴィクトール・フランクル氏がトリックと呼ぶ方法の1つが、いまの苦悩に満ちた状況が遠い未来のある地点において活きるイメージをすることで、いま自分を苦しめうちひしいでいるできごとを希望に転化する方法です。

ヴィクトール・フランクル氏は豪華な大ホールの舞台に立って強制収容所での苦しい経験を語るイメージをもつことで、暫定的存在のなかで未来への希望を保ったといいます。

しかし、このような未来の希望にすがって生きる方法には、著者が一時だけ役立つトリックだと看破したとおり、大きな欠点もあります

それは未来のイメージを信じられなくなった途端、イメージを実現することがひどく困難な現実を目の当たりにきた途端、かつての希望が絶望を促進し、精神的な破綻と身体的な破綻へと一直線に向かわせかねないリスクがあるのです。

このリスクを示すのに十分な例が本書で1つ紹介されています。ある収容所では、1944年のクリスマスから1945年の新年のあいだの週に、かつてないほど大量の死者を出したのです。これは、強制収容所内の医長の見解によると、過酷な労働や食料、季節の変化や伝染病からも説明がつかなかったそうです。

最終的に医長は、この大量死の原因は多くの被収容者が、クリスマスには家に帰れるという、ありきたりの素朴な希望にすがっていたことに求められる、と結論づけました。クリスマスになってもこの悲劇が終わる見込みがないと悟った被収容者たちは、落胆と失望にうちひがれ、精神的にだけでなく身体的にも抵抗力を失い、死に至ったのです。

人間が生きることには、常にどんな状況でも意味がある

未来の希望にすがる生き方が危険なら、暫定的存在としていかに未来への希望を見い出せばいいのでしょうか。ヴィクトール・フランクル氏はここで必要なのは、生きる意味についての問いを百八十度方向転換することだといいます。

それはつまり、楽観的な未来のイメージにすがるのではなく、辛く苦しくとも、悲惨な運命であろうとも、いまふたつとないあり方で存在している自分自身に価値を見出すことです。

ヴィクトール・フランクル氏が収容所生活におけるたったひとつの頼みの綱だと説いたのはこのような考えでした。

誰も身代わりになることのできない苦しみを自分自身の責務として受け入れ、とことん苦しみぬくことに、ふたつとないなにかをなしとげるたった一度の可能性を見出すのです。

そして、だからこそ人間が生きることには、常にどんな状況でも意味があると信じることでした。生きることとは、苦と死をも含んでおり、苦しむことはなにかをなしとげることだと信じることでした。

未来の希望にすがるのではなく、その方向性を百八十度方向転換して、いま苦しみ死にゆくであろう自分の運命に意味を与えることが、暫定的存在においても希望を見失わないようにする方法だったのです。

行動的に生きることや安逸に生きることだけに意味があるのではない。およそ生きることそのものに意味があるとすれば、苦しむことにも意味があるはずだ。苦しむこともまた生きることの一部なら、運命も死ぬことも生きることの一部なのだろう。苦悩と、そして死があってこそ、人間という存在ははじめて完全なものになるのだ。

「第二段階 収容所生活」より抜粋

精神の自由とはなにか?

最後に、ヴィクトール・フランクル氏が収容所生活において見出した精神の自由について紹介しましょう。

ヴィクトール・フランクル氏は人間というものが体質や性質や社会的状況がおりなす偶然の産物以外のなにものでもないのか?強制収容所のような特異で悲惨な環境を強いられるときに屈するしかないのか?という疑問にこう答えます。

人は強制収容所に人間をぶちこんですべてを奪うことができるが、たったひとつ、あたえられた環境でいかにふるまうかという、人間としての最後の自由だけは奪えない

「第二段階 収容所生活」より抜粋

強制収容所の被収容者という究極に悲惨な状況下にあっても、その精神的な反応はひとりひとりの内心の決断の結果であったのだとヴィクトール・フランクル氏は力強く断言します。

人間はひとりひとり、このような状況にあってもなお、収容所に入れられた自分がどのような精神的存在になるかについて、なんらかの決断を下せるのだ。典型的な「被収容者」になるか、あるいは収容所にいてもなお人間として踏みとどまり、おのれの尊厳を守る人間になるかは、自分自身が決めることなのだ。

「第二段階 収容所生活」より抜粋

どす黒い絶望にまみれた希望の物語

本書はひたすら人生における絶望的な経験について書かれているのですが、それでもその中心には力強い希望が宿っています。

どんなに悲惨な状況下にあっても精神的な自由を勝ちとることができるのだというメッセージを宿した実に力強い一冊です。

刺激と反応の間にあるスペースについて、そしてそのスペースを広げる方法について知りたい人(つまりすべての人)には、ぜひ手にとって欲しい一冊です。

貴下の従順なる下僕 松崎より

著者画像

システム系の専門学校を卒業後、システム屋として6年半の会社員生活を経て独立。ブログ「jMatsuzaki」を通して、小学生のころからの夢であった音楽家へ至るまでの全プロセスを公開することで、のっぴきならない現実を乗り越えて、諦めきれない夢に向かう生き方を伝えている。