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私の愛しいアップルパイへ
ブログでもプレゼンでも人との対話でも、なにか情熱的に取り組んでいることに対するメッセージを発信するとき、私が必ず意識していることがあります。
それは「誰にでも分かりやすく」を捨てることです。
多様性を受け入れること
例えばこんなプレゼン動画があります。
この動画から学べる重要な教えは、誰もが絶賛する完璧なパスタソースなどありえないということです。世の中にはシンプルなパスタソースが好きなグループも、スパイシーなパスタソースが好きなグループも、トマトが固まりで入ったパスタソースが好きなグループもあるのです。
つまり、トマトソースの良し悪しを決めるのは、ピラミッドではなく水平的なセグメンテーションだということです。そこにあるのは「普遍性の追求」ではなく「多様性の理解」です。これは私たちがメッセージを発信するときも同様です。
何かを伝えようとするときは、誰に届けるかを選択することになります。誰かを選択するということは、他の誰かを切り捨てることと同義です。
「失敗しないこと」を追及しない
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特に大きな問題が起こるのは、「誰にでも分かりやすく」という耳障りの良いフレーズを隠れ蓑にして、「成功すること」ではなく「失敗しないこと」を考えているときです。
外部に影響を与えることに対する恐怖は、「誰にでも分かりやすく」という建前のもとに「失敗しないこと」を追及させようとするのです。
結果として、誰が書いても同じような、のっぺらぼうが書いたようなメッセージになってしまいます。
ことなかれ主義のサラリーマンが書いたような文章では、想いを伝えることはできません。「常識」と「平均点」と「模範解答」ほど心に響かないものはありません。それは中庸は中庸でも凡庸という類のものです。
「誰にでも分かりやすく」を便利に使わない
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「初心者でも入りやすいように」「誰にでも分かりやすいように」「内輪ネタにならないように」
こういった言葉が使われるとき、それが本当に真の意味で使われているか蚊の様に狡猾に判断しなければなりません。これらの言葉を建前に、「失敗しないこと」に逃げ込もうとしていないかをです。
メッセージを発信しようとするなら、どこを省略してどこを強調するか見極める必要があるでしょう。そして、誰を選択して誰を選択しないかを見極める必要があるでしょう。
貴下の従順なる下僕 松崎より