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私の愛しいアップルパイへ
「覚醒する @CDiP」主宰の兄貴どんぴーさんが、こんな内蔵をえぐるような質問を投げかけていました。
ブロガーの方に質問。ぶっちゃけ1記事についてどれくらいの数を読まれたら「よい記事が書けた」と思うのでしょう?数じゃないんだよって方はじゃあ、その基準が何か教えてください。
— donpy (@donpy) November 5, 2013
この発言に反応し、普段読んでいるブログやTwitterでフォローしている方々の興味深い回答を読んでいたら、私の体に脈々と流れるブロガーの血がBurning!してきたので、私の考えも書いてみます。
「良い記事をかけた!」と言い切れる唯一の瞬間
私がブログをきっかけは、何も行動に移さないうちに埃まみれになってしまった夢にもう一度向かうためです。その頃、私はそれまでの私自身に対して燃えるような怒りを抱いていました。
ですから、ちっとも具体的な行動に移せなかった自分への当てつけの意味も込めてブログを書いています。私は今でもその頃の自分にビンタを浴びせるつもりでブログを書いているのです。
行動!なんて素晴らしい言葉でしょうか!行動に移したか、移さなかったか、その間に大いなる深淵が眠っていることを私は身をもって体験してきました。
このことから、私は「良い記事をかけた!」と言い切れる明確な指標を1つ設けています。「人を行動に突き動かしたかどうか」です。人を行動に突き動かす記事、それがこの世で最も尊い記事です。
あなたが何か新しいことを始めること、あなたが何か今の行動を変えること、それがこの愛すべきブログの使命です。対して、アクセス数やブックマーク数、広告収入額の虚しさよ。100人に読まれても1人の行動が変わらなければ、それがいったいなんだというのでしょうか。
時々、読者が私に報告してくれます。タスク管理ツールを使い始めたこと、ブログを始めたこと、早起きを始めたこと、日記を書き始めたこと、行動記録をとり始めたこと。そのとき、私は読者と心が通じあったような嬉しさを覚えます。
我が言が人を行動に突き動かしたのを目の当たりにしたときに、私は良い記事を書いたのだとお天道様に胸を張れるのです。
どうすれば満足か明確な指標を持っておくこと
ブログに限らずですが、自分が何をすれば満足なのかを理解しておくことは大切です。
霧か霞かで視界を覆われて方向性を見失ったとき、泥沼にズブズブとはまって足取りが重くなったとき、進むべき方向を示してくれるコンパスになるからです。
ブログで「良い記事をかけた!」と言い切れる瞬間はいつなのか?それは私がブログを書き続けるのを支えてくれる重要な指標になっています。
貴下の従順なる下僕 松崎より