私が3月11日にオープンな誕生日会を開く理由

カテゴリ: 日記

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私の愛しいアップルパイへ

昨日3月11日は我が30歳の誕生日でした。当初は3月11日ということもあり、家で大人しくしていようと考えていましたが、気が変わりました。そんな柄じゃないことに気づいたからです。

▼以下でお話したとおり、私は思い立って急遽ブログとSNSで参加者を募り、池袋で昼間っから全力で祝い祝われました。

私が3月11日にオープンな誕生日会を開く理由

我が誕生日である3月11日といえば東日本大震災の日であり、お祝いごとなどは敬遠される日となりました。犠牲者の方々に追悼の意を示す日ですから。卒業祝いや転職祝いなどが重なる時期ですが、常識人ならまさかこの日に設定はしないでしょう。私が誕生日会を開くって聞いていい顔をしなかった人も少なくないはずです。

実をいうと、3月11日が近づくに連れて無意識のうちに気落ちしていました。それは震災の日だからではなく、震災の日と我が誕生日が同じ日であることによって、友人が祝っていいのか悪いのか、どこまで祝っていいのか、公開コメントで祝っていいのか個別にメッセージを送ったほうがいいのかなどと、私のために微妙な空気の読み合いになるのが嫌だったからです。

ですから、私は無意識的のうちに3月11日は誕生日などと思えないように細く緩やかに生活しようと思っていました。なんなら誕生日のことなど忘れていたフリをしようとも思いました。

しかし、一方で誕生日くらいは笑って過ごしたいというのは決して傲慢な願いではないはずです。来年も再来年も10年後も、誕生日はそれまで過ごしてきた人生を振り返って晴れ渡る感謝とともに過ごしたいものです。今年鬱屈と過ごしたならきっと来年もそうすることになるだろうし、毎年そんなふうにうら悲しい誕生日を過ごすのは御免ってものです。

3月11日に限らず、昨日も今日も明日も、誰かの誕生日であり、誰かの記念日であり、その人たちは祝われるべき人でしょう。いや、本当のところをいえば昨日も今日も明日も、記念日であろうがなかろうが、欠けがえのない日であることに変わりはなく、笑ったり泣いたりする特別な日なのです。

そのなかでも3月11日が誕生日である私は、この日に胸を張ってお祝いごとを主催できる特権を持った人間です。微妙な空気の読み合いで悶々としている人々のなかで、私だけは気持よく祝いの席を設けられるのです。

そういうわけで、毎年3月11日はこの特権を使って進んでお祝いを設けようと思います。もちろん来年も、再来年も。

すべての特別な毎日のために。

貴下の従順なる下僕 松崎より

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