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私の愛しいアップルパイへ
どう頑張っても分かり合えない人というのは居るのでしょうか。
この世にはどうやら人生に”暇な時間”なるものが本当に存在すると思っている人が居るらしいのです。
“暇な時間”とは、退屈の名のもとに狼もゾッとするような醜い顔で「時間よ、過ぎ去れ!」と叫ぶための時間です。
“暇な時間”という錯覚
“暇な時間”。それは巧妙に作りこまれた錯覚です。まるでアンチンボルドの絵画の如く、大胆に仕組まれたトリックです。
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彼は、人生には“暇な時間”という大きなスペースがもともと用意されていて、そのスペースにやるべきことを1つ1つ当てはめていくのだと考えています。そして、埋まらないところは”暇な時間”として、怠惰のうちに過ごすのだと。
もしかしたら私をおちょくるために、思ってもいないことを口にしたのかもしれません。
いや、そんな馬鹿な。彼がそんなことをするはずがない。
暇な時間を優先する”ものさし”
例外なく、人生はやるべきことで満ち溢れています。少し考えるだけで、きっと気が遠くなるほど膨大なリストを作れることでしょう。それらはとても一生を費やしても終わらないほどの量です。
私たちにできるのは、何を優先するか選択することだけなのです。
結局のところ自称暇人というのは、単に自らの意志で”暇な時間”を優先させているに過ぎません。最優先でやるべきは、暇のうちに時間を費やすことであると自ら選択したのです。
しかし、”暇な時間”を優先した方が良いほど完璧な人間など、はたしてこの世に存在するのであろうか!(否、存在しないであろう!)
つまり、根本的な問題は、彼が誤った”ものさし”を持っているということです。
彼は“緊急”の眼鏡でものを見ることに慣れすぎたために、”緊急”なものがまったく無ければ、暇な時間を優先するべきだと錯覚しているのです。
ものごとを”重要”の眼鏡で見る日常など、とうの昔に忘れてしまったのです。何が重要かを考えるなんてひどく面倒で、必死に避けてきた結果という訳です。
“ものさし”を作り変える
暇人から脱却するために必要なのは、”重要”のものさしを丁寧に作り上げることです。
長期的な目標や行動指針を外部化し、“暇な時間”より重要なことがらを明確にするのです。
そして、”緊急”をつかさどるカレンダーとは別に、”重要”をつかさどるタスク管理システムを作り上げるのです。”重要”のものさしを適切に反映したタスク管理システムを。
堂々と「無趣味なんです」とか「暇でやることがないんです」なんて主張するのは、片方の肺だけで呼吸しているようなものです。
貴下の従順なる下僕 松崎より