私の愛しいアップルパイへ
私のデリケートな脳内はいまjMatsuzakiバンドのライブのことでいっぱいです。次が2回目のライブとなりますが、今年から5年ぶりにライブ活動を再開するにあたって、バンドの活動方針について大理石像のごとく冷徹に検討しました。
コーチングを受けながら何度も方向を微調整し、マネージャーと何度もミーティングを重ね、具体的な実現方法を話し合ってきました。そのなかで固まった最重要方針の1つが「スターにはなりたくない」でした。以上です。
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え?もっと詳しく知りたいですか?oh,,,今日は時間がないのですが…あなたのお願いなら無視できませんね。
かつて求められたアーティスト像はスターだった
ミュージシャンやアーティストと聴くと、憧れの存在、すなわちスターのような存在をイメージするかもしれません。実際、1950年代以降から特にその傾向が顕著になったように思います。
もちろん私の生まれる前の時代ですから想像にはなりますが、世界大戦直後のこの時期において、スターが求められたのは自然の成り行きとして納得できます。戦争の恐怖がまだ残るなか、進歩という名の希望に誰もが思いを馳せたことでしょう。この時期に集中した数々の技術革新もその信念を助長したに違いありません。
この時代性を反映してか、ロックが世界的に台頭しはじめたこの頃、音楽においてもスター性のある存在が求められるようになりました。エルヴィス・プレスリーやビートルズをはじめ、その例を挙げればきりがありません。
そして、1961年にジョン・F・ケネディ大統領が1960年代のうちに人を月面に送って彼らを無事に帰還させると宣言し、拍手喝采をあびた事実は文字通り人々が”スター”を求めていたことを表わしているでしょう。
それから50年以上が経ったいまでも、音楽におけるスター性を追求する傾向は続いています。しかし、アーティストに必要なのはもはやスター性ではないと私は確信しています。
求められているのはスターではなくリーダーである
元来より、人が本質的にアーティストに求めているのはスターではなくリーダーであると私は考えています。そして当時、極端なスター性が求められたのは、そのときのリーダーに必要な資質の最たるものがスター性だったからでしょう。なぜなら、恐怖を押さえつけて乗り越えるために、非現実的にも見えるような夢と希望を与えてくれる人が求められたからです。
かつてスターとなったアーティストが伝えていたメッセージはこういうことです。
「人は望めば自分のなりたいものになれる」
我々はなりたいものになれるのだと信じさせてくれるスターの存在は、当時は非常に差し迫った現実的な問題だったに違いありません。そして、このようなメッセージによって現実的な問題に立ち向かう後押しをしてくれるスターはまさにリーダーだったのでしょう。
不安と恐怖が蔓延するなかで、競争を勝ち抜いて高い地位へと向かうパワーを与えてくれる存在です。
しかし、50年の時とともにこのようなスターの価値がどんどん薄れてきました。技術革新と進歩の結果、「人は望めば自分のなりたいものになれる」ことはある意味で当たり前のことになったからです。人は誰でも大統領になる権利があるし、人は誰でも宇宙に行く権利があるのですから。もはや、スターとリーダーはかけ離れたものになりました。そして、スター化するアーティストはますますズレた存在になっているように思います。
私がスターになりたくないと思っているのはこういった理由です。かつてのスターは確かに人を現実的な問題へと立ち向かわせるリーダーでした。しかしいまやスターの存在はどちらかといえばその真逆で、現実的な問題から目を背けさせる現実逃避の象徴になっているのではないでしょうか。
スターからサーバントへ
「人は望めば自分のなりたいものになれる」ことが当たり前となり、もはやメッセージとして機能しなくなったいま、アーティストは役割を終えたのでしょうか。もちろんそんなことはありません。
「人は望めば自分のなりたいものになれる」ことが現実化したいま、我々は次の問題にぶつかっています。それは「なりたいものになれるとして、いったい誰になればいいのか?」でしょう。
この次なる問題へと立ち向かわせるのがいまのリーダーの役割です。そして、この新しいリーダーの発信するメッセージはこうなるでしょう。
「なりたいものになれるとしても、あなた自身で良かったのだ」
私たちは心のなかでは薄々分かっています。私たちはスター(競争を勝ち抜き、高い地位につく存在)にならずとも、充分に力があり、充分に豊かであり、充分に価値があるのだと。無理やり自分以外の誰かになる必要などないのだと。
しかし、現実は非情です。自分自身を押し殺してでも、偽りの仮面をつけてでも、人から評価されるスターになるように仕向けるシステムが色濃く残っています。このジレンマは私たちにとって胸をかきむしりたくなるような差し迫った問題です。
かような状況において、本来の自分にこそ価値があり、本来の自分こそ物語の主人公であることを頭ではなく心で確信させてくれる存在は貴重です。そのために必要なのはスターではなく、サーバント(従者・奉仕者)だと私は考えています。
これはロバート・グリーンリーフ氏の唱えるサーバント・リーダーシップという考え方にもつながります。同じ位置で同じように悩み、信頼しあいながら問題を解決へと導くサーバント的なリーダーです。
この流れのなかで、競争を勝ち抜いて高い地位につくことで、非現実的な存在へと暗に誘導するスターの価値はますます薄れていくでしょう。
1st Liveに引き続き、2nd Liveでも中心テーマの1つは「スターからサーバントへ」です。いえ、これは我がバンド活動における永遠のテーマなのかもしれません。
それが本当に答えなのか?それは本当に実現可能なのか?気になるなら是非その目で見に来てください。
貴下の従順なる下僕 松崎より