なぜバンドマンが曲だけでなくブログも書くのか?というテーマでBurning!放送局 vol.6を公開しました!

カテゴリ: バンド
jMatsuzakiのBurning!放送局 vol.6 なぜバンドマンが曲だけでなくブログも書くのか? (2017.02.20)

私の愛しいアップルパイへ

今日、このお知らせをあなたにできることを誇りに思います。

週に一度配信しているかのどえりゃーファンタスティックな番組、そう「jMatsuzakiのBurning!放送局」ですが、本日も大変良いものが収録できました。

今回のテーマは「なぜバンドマンが曲だけでなくブログも書くのか?」です。

文章での発信にとことんこだわっているバンドjMatsuzaki

あなたもご存知の通り、私は言葉を重んじる人間です。多くのバンドが他愛もない日記や告知を発信する場所としてしかブログを活用していないなかで、jMatsuzakiというバンドは恐らく最も文章での発信に注力しているバンドでしょう。

私は5年前にこの愛すべきブログを開設しました。ブログは我が情熱の投影に他ならないので、私の名を冠して「jMatsuzaki」と名づけました。

それから現在まで1,300を超える記事をあなたにお届けしてきたわけですが、すべては我が音楽活動の一環であるという信念のもとで書き綴ってきました。いえ、もっといえば音楽作品そのものの一部としてお届けしてきたのです。

なぜバンドマンが曲だけでなくブログも書くのか?

音楽に限らず、芸術について長らく続く(控えめに言ってもひどく馬鹿げた)議題の1つに「美しいのは作品か?態度か?」というものがあります。

音楽を少しかじった者ほどこの問いについて勘違いしやすいのですが、ここで断言しておきますと美しいのは作品ではなく態度です。

心理学者のスティーブン・ピンカーが言う通り、音楽が単に耳に心地よいだけの「聴覚のチーズケーキ」に過ぎないのなら、音楽がどれほど無価値で空虚なものに落ちぶれてしまうでしょう。

しかし、実際のところ(本人が自覚しているか自覚していないかに関わらず)、人間が本当に美を感じているのは作品ではなく態度です。作り手の人間臭い生き様と、その結果として到達した作品の総体に深遠なる美しさが宿るものです。

本来ならそれはアンディー・ウォーホルの「キャンベル缶」を引きあいにだすまでも、Anvilのドキュメンタリー映画「夢を諦めきれない男たち」を引きあいにだすまでもないほど太陽の光によって明らかなはずですが、いまだに作品が美しいのだなどという誤解が蔓延しています。

バンド形態の音楽に目を移してみると、現在でもバンドが一言も発することなく寡黙に楽器を弾いて、音楽だけで自らの想いを伝えるのがかっこいいなどという誤謬は根強く残っているのです。

そのような人は意識的には作品を美しいと主張する一方で、実は無意識的には態度に感化されています。特に音楽が多種多様なものとして受け入れられはじめた現代においては、このような矛盾(頭では作品を聴き、心では態度を味わっている)を抱えた状態が至るところで見られます。

あなたもご存知の通り、私は大変神経質な人間ですから、このような安易な誤解にあなたが溺れないように文章の発信にもとことん注力しています。

私がこの愛すべきブログを通して諦めきれない夢へと向かうドキュメンタリーに共鳴していただき、その当然の帰結として奏でられるあのエキサイティングな我がソングを聴いていただいてこそ、チーズケーキなどでは決してないBurning!な音楽を堪能していただけるのです。

語りたいことはまだ山ほどあるのですが、さらなる詳細については今日配信の番組に委ねることにしましょう。

貴下の従順なる下僕 松崎より

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