我が音楽で表現しているのは人間の持つ信念の偉大さについてである

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photo credit: Fist via photopin (license)

私の愛しいアップルパイへ

音楽は芸術であり、なにかしらを表現するものです。

私がとりわけ興味を持っているのは人間です。人間のなかでも、人間のみが持つ意志・信念・情熱といった類のものです。

端的に言って、私が音楽を通して表現しようとしていることは何なのか?それは、どのような人間であれ人が持つ意志・信念・情熱には無限の価値が眠っているということです。

これをわざわざ音楽を通じて表現しようとしているってことは、これは通常の生活においては失われやすいということを示しています。詳細に説明していきます。

我々の常識的な生活を成立させているもの

考えてみてください。身の回りに存在するものが、いかにして成り立っているかについてです。

重力は絶えることなく均等に作用しており、光も音も一定の速度で伝播します。

物を投げれば落ちますし、物を叩けば音が出ます。

1+1は常に2だし、水素と酸素なら間違いなく水ができます。我々人間は水や炭素やアンモニアで構成されているそうです。

1秒は常に一定間隔で、60秒経てば1分になります。1日が終われば明日が来て、7回終われば1週間が終わります。

国ごとに明確な国境があります。日本からロンドンへは飛行機で12時間で行けて、時差は8時間ほどです。

人間は長く生きても100年が限界で、体温は45℃を超えては生きていけません。食事をとらなければ2~3ヶ月の命です。

つまり、身の回りのあらゆるものが素晴らしく体系だった秩序のうえに存在していて、原因と結果の法則で規定された世界になっています。客観的で普遍的!ファンタスティック!

そして、我々の生き方に強い影響を与えている常識や文化や習性や社会や経済や世間といったものも、ほとんどがこの原因と結果を根拠とした客観的かつ普遍的な世界のうえに成り立っています。

人間の持つ信念はもう1つの偉大な世界である

「So What?」

そう言いました?良い質問です。

となれば、我々は常に結果の保証された世界に居るのでしょうか。我々が何をしようが、原因が結果をうみ、その結果が新たな原因となり次の結果をうむ。万物は機械のように一定の法則に従って動いているのでしょうか。

NO!NO!NO!NO!NO!!!もちろん違いますよね。なぜなら我々の内側には法則に縛られない自由な世界が広がっていることを、我々自身が知っているからです。それが意志であり、信念であり、情熱といった類のものです。

これを原因と結果という客観的かつ普遍的な法則で説明することはできないでしょう。我々の過ごしているいまこの瞬間は、すべて原因から生まれた必然の結果だと思うでしょうか。我々の思考はすべて電気信号の機械的な動きがもたらす原因と結果だと思うでしょうか。

それが違うということを我々は誰でも知っています。どこまで追求しても、辿り着くのは必ず理外の理でしょう。我々の意志や信念や情熱が無根拠で自由でなんら先天的な法則に縛られないものであることを、我々自身が知っているという、理外の理です。主観的で無根拠!ファンタスティック!

私は確信しています。万人の魂に宿る、この無根拠で自由な意志や信念や情熱こそ、この世で最も意義深いものであり、美しいものであり、無限の価値を秘めたものであることをです。

しかし、法則に従う秩序だった世界の方ばかり感じていると、見失いがちなものでもあります。この自由で無根拠なものを表現し、人に感じさせようするとき、芸術ほど優れたものは他にありません。

ときに、私のソングは暴力的で原始的で醜悪に聴こえるでしょう。

それはこういうことです。いかなる苦境の中にあろうとも、いかに醜い存在に見えようとも、いかに普遍的な存在に見えようとも、いかに機械的な存在に見えようとも、いかに陳腐な存在に見えようとも、いかに馬鹿馬鹿しい存在に見えようとも、誰しもが自らの内側に個別に尽きることなき燃える信念を抱えていることを、私自身の信念によって表しているのです。

貴下の従順なる下僕 松崎より

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システム系の専門学校を卒業後、システム屋として6年半の会社員生活を経て独立。ブログ「jMatsuzaki」を通して、小学生のころからの夢であった音楽家へ至るまでの全プロセスを公開することで、のっぴきならない現実を乗り越えて、諦めきれない夢に向かう生き方を伝えている。