私の愛しいアップルパイへ
あなたとこうやってじっくり話すのは久しぶりですね。生まれてからずっと、私は今日この日を心待ちにしていたような、そんな気がします。
あなたにどうしても告白しておきたいことがあるのです。
他人の目を恐れる日々から救ってくれた醜い音楽
まずもってお話しておきたいのは、私が音楽なるものに魅了されたきっかけについてです。
幼い頃から、おそらく3歳かもっと幼いの頃から、私をきつく縛っていたのは「人に与える印象についての得体のしれない恐怖感」でした。特に「人に悪く思われていないか」について誰よりも敏感な子供でした。食事のときも、遊園地に行ったときも、ゲームをやっていたときも、いつだって人にどう思われているかばかり気にしていました。
親、兄弟、親戚、教師、友人、そして赤の他人の目まですべてが気になりました。誰かに褒められたときには嬉しいというよりも先に安堵しました。この人には嫌われなくて済みそうだと。
成長とともにこの恐怖は着実に育っていきました。いつしか私の性格の一部となり、支配的な判断基準になっていました。なにをするにでもこう思っていたんです。「馬鹿だと思われたらどうしよう?」「嘲笑されたらどうしよう?」「妬まれたらどうしよう?」「失敗しないようにしないと!」「自分を殺さないと!」。
とにかく、私にとって人生とはひどく窮屈なものでした。一言でいえば「我慢」の人生です。いつでも人の顔色を伺っていて、自分を殺しながら、ひどく反応的な生き方をしていたのですから。まるでそれが生きる上での絶対条件とでもいうかように。
小学生になってテレビか映画を観たのがきっかけとなって音楽の世界に興味を持ちました。出会いは何の変哲もないものでした。ただ、なにか惹かれるものを感じて、なんとなく音楽を聴きはじめました。様々な音楽に触れる中で発見したのは、私が特別に惹かれるのは、ロックスターの奏でる綺麗じゃなくて、整ってなくて、格好良くなくて、心地良くなくて、醜い音楽だったことです。
こんな不気味な音楽がなぜ私にとってこんなにも蠱惑的に響くのか不思議に思いつつ、のめり込みました。今ならその理由が分かります。ひどく窮屈なはずの人生の中で、彼らだけは「人にどんな印象を与えるか」なんてことに囚われず、自分の衝動に従順で、自由で、無我夢中に生きているように見えたからです。人間的で、感情的で、原始的で、衝動的。生きる衝動と情熱の噴火。そこに私は、いままでの私の人生にはなかった美しい生命の輝きをはじめて見たのでした。
音楽家とは私にとって常に勇気と解放の象徴でした。誰の目も気にせず、恥ずかしげもなく、わき目もふらず、自らの純粋な衝動を世界にぶつける存在。いつしか私が彼らに憧れ、彼らのような存在になるんだという使命感を持つようになったのは、今思えば実に自然で賢明な発想だったと思います。
音楽家への道を進む勇気が持てずに右肩下がりとなった人生
photo credit: Marooned via photopin cc
しかし、慎ましきかなこのjMatsuzakiは、音楽という特殊な道に進む決意ができずに、実に鬱屈とした青春時代を送ったのでした。これも今思えば、他人の目による支配を受け入れた必然の結果だったのでしょう。私は自らの音楽的衝動について、家族にも友人にもついぞ相談することができませんでした。身の程を知れと馬鹿にされるのが怖かったからです。
私はいつも「自分の居場所はここではない」「自分はまだまだこんなものじゃない」という不満を持ちながらも、音楽の夢を人に真剣に打ち明けることすらできませんでした。音楽なんて趣味の延長に過ぎないという態度をとったり、将来は現実的な職につく考えがあることをアピールしたりしました。人は口に入れるものではなく、口から出てくるもので作られるとはよく言ったものです。私は中学を卒業し、高校を卒業し、なにか大きなものに流されるようにシステム系の専門学校に進学しました。
専門学校を卒業する20歳になって、私の目の前には2本の分かれ道がありました。片方は「システム屋」の道。現実的な職へと続く道です。もう片方は「音楽家」の道。大好きな夢へと続く道です。
20歳になるこの歳、決定的なことが起きました。私は心の奥底でくすぶっている音楽の夢を安易に放り投げ、システム屋の職についたのです。夢を追う覚悟が決まらずに、あれやこれやと理由をつけて自分を納得させたのでした。生まれつきの音感があるわけでもない、専門的な学校に通ったこともない、人脈や環境が優遇されているわけでもない。こっちの道に行った方がみんな安心するはずだって。
就職してからも音楽活動は細々と続けていましたが、その活動量は仕事が忙しくなると共に減っていく一方でした。私は自分が少しずつ少しずつ小さくなっていくような気がしました。「好きなこと」より「得意なこと」を優先した結果、私の人生は緩やかに右肩下がりとなっていました。幼い頃と比較して人生が楽しいとは思えなくなっていたのです。音楽の中に見た解放の光も、いまや随分と遠く、小さくなっていました。
幸か不幸か、この生煮えの状態は私の音楽的衝動を育てるのに十分な時間を与えてくれました。自らの手で無理やりに押さえつけられた音楽的衝動は確実に大きくなっていき、巨大な火種になっていました。6年半後にこの衝動はついに噴火し、20歳のあの日に見て見ぬふりして素通りした、もう片方の道を歩む決意と覚悟が固まったのです。小学生の頃に夢みたロックスターの道。それで、今こうしてあなたの前に立っているというわけです。
25年以上も自分を殺し続けてようやく理解しました。人一倍私を強く縛りつけていた「他人の視線や思惑に対する恐れ」を克服し、衝動と情熱を噴火させることが私の生きがいなのだと。これを音楽を通して実現することが、私の一生かけて取り組んでいく仕事なのだと。
考えてみてください。「みんなになんと言われるだろうか?」「あの人の期待に答えないと」「この人はいま何を考えているんだろう?」「ここはみんなの意見に同調したほうが無難そうだ」「影で笑られるのだけはゴメンだ」。こういった雑念が!どれだけ!人間本来の力を!抑圧してきたでしょうか!これに私はもう我慢ならないのです!
純粋に生きる衝動と情熱を噴火させること!それが私にとっての純粋な生きる意味なのです。
jMatsuzakiというバンド
レディース エァーン ジェントルメァーン!ボーイズ アーンダ ガールゥズ!
この度、私は私の愛すべき音楽的衝動と情熱を、マンションの片隅に閉じ込めておくことを辞めることにしました。jMatsuzakiはバンドになったのです。
なぜかって?私は不遜にも、私の純粋な衝動から生まれる作品とその工程をすべて披露することで、生きる衝動と情熱の噴火を、あなたにも連鎖させようって魂胆なのです!
そうすることが、うんざりするほど窮屈な人生を崩壊させ、躍動する生命を取り出すための近道だと気づいたからです。なぁに、あなたにとっても悪いようにはしません。
あなただって、良い子ちゃんぶったり、打算的な駆け引きを続けたり、他人の一挙手一投足にいちいち腹をたてたりするのは、もうゲップが出るくらいウンザリしてるでしょうから。私だってあなただって、もっと自分の純粋な衝動と情熱に従順になって、生命を噴火させないと!遠くへ旅になんて出なくても、山奥に籠らなくても、音楽ならその力があります。ご安心ください。効果のほどは私が確認済です。
さあさあ、これから、私の下品で醜劣な作品の内の いくつかのソングをご披露致します。 気むずかしい紳士の皆様! すれっからしの淑女の皆様!ワンパク坊主に不良娘たちよ!きっと私のソングは、あなたの衝動と情熱を噴火させ、底力を解放する最初の運動となるでしょう!!
貴下の従順なる下僕 松崎より