5000年の音楽史が20分で分かるまとめ (2) 中世の音楽〜バロック音楽

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15分で音楽史を知りたい貪欲なるあなたの連載も第2話となりました。バックナンバーについては以下をご覧ください。

  1. 古代の音楽〜初期キリスト教音楽
  2. 中世の音楽〜バロック音楽 ← Just Now!!!
  3. 古典派〜現代の音楽

それでは今回は中世〜バロック音楽へ入っていきましょう。少しずつ聞き馴染みのある名前が登場してきます。

13世紀 世俗音楽の台頭

13世紀頃から南フランスでは封建社会を背景として、宗教音楽とは別に「トルバドゥール」と呼ばれる集団が現れます。彼らは宮廷生活や騎士道についてなど世俗音楽の作詞作曲を行う貴族集団でした。トルバドゥールを起点とし、音楽家が少しずつ聖職者から貴族へ、そして貴族から教養のある中流階級へと広がっていきます。

1世紀遅れて北フランスでは「トルヴェール」と呼ばれる市民階級の音楽家が現れはじめます。トルヴェールには歌手たちの同業組合も作られており、完全に市民階級ものものでした。

トルヴェールのなかでもアダン・ド・ラ・アル(1237-1286頃)の牧歌劇「ロバンとマリオンの愛の戯れ」が有名で、これはオペラ・コミックの先駆けとして知られています。

この流れはドイツにも広まり、「ミンネゼンガー」と呼ばれる世俗音楽家が現れます。こちらも貴族から市民へと移っていき、「タンホイザー」やハンス・ザックスなどが属する「マイスタージンガー」と呼ばれる一般市民階級の音楽へと発展していきます。彼らは素朴で力強い単旋律の音楽を奏でました。

彼らは後にかのリヒャルト・ワーグナーをはじめとして様々なオペラの題材として取り上げられたので、名前を聴いたことがある人も多いでしょう。

それまでキリスト教が長らく建築・美術・音楽の中心でしたが、徐々に市民階級にも降りてきたという点でこの時代は歴史の大きな転換点でした。

音楽的にはこの頃に「ネウマ」と呼ばれる記譜法が発達していきます。ネウマはグレゴリオ聖歌で用いられた最も古い記譜法で、異なる民族に聖歌を使って布教するために発達したものです。

最初は音の高低を表すだけのものでしたが、13世紀から14世紀にかけてポリフォニーの発展とともにリズムや音程を定量的に表す記譜法へと進化していきます。ちなみに現在の音符の形や休符、5線譜へと記譜法が落ち着いたのは17世紀ごろです。

▼この時代を代表する音楽家

  • アダン・ド・ラ・アル(1237-1286頃)「ロバンとマリオンの愛の戯れ」

14世紀 アルス・ノヴァ

14世紀に入ると王族や貴族ではなく、富裕な商人が都市を統治する時代へと入っていきます。国王と教会の分立や百年戦争、ペストの流行によって世界が混沌に入り込み、その時代背景を受けて音楽は宗教音楽から世俗音楽へ主戦場が移っていきます

14世紀になると「アルス・ノヴァ」と呼ばれる新しい音楽が台頭してきます(アルス・ノヴァ時代、それまでの音楽はアルス・アンティークと呼ばれて区別されました)。この名は1322年頃にフィリップ・ド・ヴィトリによって書かれた、新しいリズムの分割法と記譜法を論じた音楽理論書『Ars nova (新技法)』に由来しています。

この時代には楽譜とポリフォニー技術が発展しました。3拍から2拍基準になり、以前よりも自由なリズムが発展していきます。また、2声部音楽から3声部音楽に発展して、それらが世俗音楽にも適用されていきます。

フランスを中心にヨーロッパ全体に多声音楽が発展していくのです。

▼この時代を代表する音楽家

  • ギヨーム・ド・マショー(1300年頃 – 1377年4月13日)

15世紀 フランドル楽派

封建社会の崩壊によって都市経済が発展し、経済の主戦場も農業から交易へと移っていきます。これが王権の強化へと繋がっていき少しずつ国王による中央集権化が始まります。封建社会から絶対主義国家へのシフトが始まる時期です。

この頃にはキリスト教中心の社会から人間中心の近世哲学への移行が始まります。ヨーロッパ各地には大学が設置されます。ちなみに音楽は「哲学」に含まれていました。イタリアでは古代ギリシャ・ローマの復興を目指した「ルネサンス」が花開き、芸術が一気に進展する時代です。

そんな中でアルス・ノヴァを発展させ、イギリス音楽との融合を測った音楽家がジョン・ダンスタブルでした。彼はミサ曲などの宗教音楽を作曲しましたが、その中に伝統的なイギリス音楽で当時は不協和音とされていた3度、6度の和音を用いました。これが後の和音の基本形となっていきます。

そして、アルス・ノヴァとダンスタブルの影響を受けたブルグント宮廷のギヨーム・デュファイやジル・バンショワ(ブルゴーニュ楽派)らによって、フランス・イタリア・イギリス音楽の融合が図られていくのです。

ブルゴーニュ楽派に続いて現れてきたのがフランドル楽派です。当時、経済的に発展していたフランドル(旧フランドル伯領を中心とする、オランダ南部、ベルギー西部、フランス北部にかけての地域)出身のヨアンネス・オケゲム、ヤコブ・オブレハト、ジョスカン・デ・プレらがヨーロッパ音楽を確立していきます。

こうしてブルゴーニュ楽派とフランドル楽派がルネサンス音楽の前半を彩ります。

音楽の内容としては、ポリフォニーがさらに発展して3声から4声へと声部が増えていきます。あわせて対位法技術が発達し、動機やリズムの模倣を展開するようになります。それに伴い、ソプラノ中心の音楽から、各声部がそれぞれ対等の独立性を持ち始めるのです。

特にジョスカン・デ・プレが音楽史に与えた影響は大きく、彼は15世紀の音楽を完成させたといっても過言ではないでしょう。定旋律の利用。動機の反復。声楽処理。歌詞を重視した旋律作法などなど音楽の技法が発展します。

こうして音楽は少しずつ教会音楽から、自律的な芸術へと発展していくのです。

▼この時代を代表する音楽家

  • ジョン・ダンスタブル(1390年頃〜1453年12月24日)
  • ギヨーム・デュファイ(1397年8月13日〜1474年11月27日)
  • ジョスカン・デ・プレ(1450年/1455年〜1521年8月27日)

16世紀 ルネサンス音楽

ルネサンスは14世紀から16世紀にかけてイタリアでは花開いた芸術運動です。ルネサンスとは再生、復活を意味するもので、古代ギリシャやローマの美術を再構築する過程で「人間」「個人」の発見を目指した運動です。世界の経済と技術が発展し、また形骸化した教会への反発をトリガーとして、人間の地位向上と尊重が謳われたのです。

技術面では活版印刷が発明され、聖書や楽譜の印刷が可能となったことも大きな進展でした。

この時代の美術史ではかのレオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロ・ブオナローティ、ラファエロ・サンティなど世界で初めて「芸術家」と呼ばれる職業が出現した時代です。音楽においても古代ギリシャの演劇を復興しようとしたところからオペラ誕生につながっていく、極めて重要な時期です。

ルネサンスの中心地であるイタリアではヴェネツィア楽派が台頭して、サンマルコ大聖堂のアンドリアン・ヴィラールトを開祖として発展していきます。彼は2つの聖歌隊と2つのオルガンを用いた「二重合唱」を確立します。また、純粋器楽や半音階の使用などによって、バロックへの橋渡しとなります。

フランスではヴェネツィア楽派に続けてローマ楽派が現れます。ローマ教皇のシスティーナ礼拝堂を中心として、礼拝堂に属する作曲家たちです。代表的な音楽家であるパレストリーナによるパレストリーナ様式が確立されます。彼はポリフォニーを中心としながらもホモフォニー(和声)との融合を図り、不協和音の処理なども確立します。

世俗音楽としてはマドリガルや16世紀シャンソンが発展しました。これは描写的で標題音楽的な作品で、主に4声で歌われました。

そのころドイツでは免罪符の濫用に対する反発からルターによる宗教改革が起ります。プロテスタント教会が出現し、独自の賛美歌であるコラールが確立されます。聖職者だけでなく、礼拝者も参加する4声の賛美歌(コラール)が主流となります。これが後に音楽の都となっていくドイツ音楽の下地となるのです。

器楽としては主にリュートやオルガン、クラヴィコードやチェンバロが使用され、1709年のピアノ発明へと繋がっていきます。また、ヴァイオリンが現在の形となったのもこの時代です。この時代はまだ楽器が不完全だったため、合奏というより声楽曲の混合で使われていました。

▼この時代を代表する音楽家

  • アドリアン・ヴィラールト(1490年頃〜1562年12月7日)
  • ジョヴァンニ・ガブリエリ(1554年/1557年〜1612年8月12日)
  • ジョヴァンニ・ダ・パレストリーナ(1525年〜1594年2月2日)

17世紀 バロック音楽

17世紀には絶対主義時代に突入し中央集権的な政治体制の確立がされていきます。

フランス美術では古典主義、ロココ主義、新古典主義が発展して、イタリアに続いてフランスでも「芸術家」が誕生する時期です。

1600年にオペラが誕生してから、ヨハン・セバスティアン・バッハが没する1750年までを音楽史上の「バロック時代」と呼びます。音楽がいよいよ現代の形式に向けて劇的に進化し始める激動の時代です。この時代以降が所謂「クラシック」として認知されている音楽になるでしょう。

この時代の音楽は、技術的に高度に発達しつつも、あまりに複雑になりすぎたポリフォニーへの反発から、ギリシャ悲劇の劇的表現を目指す動きが起こります。そして詩のリズムと内容に奉仕する音楽としてモノディ様式が生まれ、オペラの誕生につながるのです。

イタリアでは1597年にペーリの「ダフネ」、1600年に「エウリュディケ」。そして1607年にはモンテヴェルディの「オルフェオ」が制作されます。これがオペラの初まりとなり、劇音楽と管弦楽の基礎となるのです。その後、フランス、イギリスへと広まっていきます。

こうしてオペラの形式が確立されていき、カストラートなど華やかな声楽的技巧が発展します。交響曲の原型が生まれるのもこの時期です。

フランスでは宮廷バレエが誕生し、ここから舞踊が独立して現在のバレエへとつながっていきます。

オペラと同じくバロック器楽もポリフォニーからホモフォニーへの移行が進み、フーガやパッサカリアといった楽式が発達していきます。また、ソナタ形式の確立が進み、十二平均律の使用がはじまる時代でもあります。

楽器とともに演奏技巧が発達し、いよいよ管弦楽が発展してきます。数字付き低音や通奏低音が生まれ、近代和声の基礎となります。また、ストラディヴァリなどがヴァイオリンの完成形を作り、ヴァイオリン音楽が発達し始めるのもこの時期です。

イタリアではヴァイオリン音楽が、ドイツでオルガン音楽が主流になってきます。フレスコバルディを起点とし、フローベルガー、スヴェーリング、ライネケン、ブクステフーデ、ベーム、シャイト、ツァッハウ、テレマンなどの音楽家が生まれ、そしてバッハへとつながっていくのです。

チェンバロはイタリア、ドイツ、フランスで盛んに用いられるようになり、イタリアではフレスコバルディやドメニコ・スカルラッティ。フランスではシャンボ二エールやクープラン。ドイツではフローベルガーやクーナウ、パッヘルベルなど名だたる音楽家が現れてきます。

そして、ポリフォニー音楽の結集として、この時代を代表するドイツのバッハとヘンデルが現れるのです。彼らは歌劇と器楽の両面でポリフォニー音楽を完成させ、ハイドンやモーツァルトの時代に主流となるホモフォニー音楽への橋渡しをしたのです。

こうしてキリスト教の典礼音楽を中心として歌と一体化していた音楽が、徐々に器楽にシフトしはじめるのです。

▼この時代を代表する音楽家

  • クラウディオ・モンテヴェルディ(1567年5月15日〜1643年11月29日)
  • アレッサンドロ・スカルラッティ(1660年5月2日〜1725年10月24日)
  • ドメニコ・スカルラッティ(1685年10月26日〜1757年7月23日)
  • ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(1685年3月31日〜1750年7月28日)
  • ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル(1685年2月23日〜1759年4月14日)

さて、少しずつ音楽が現在の形に収束してくるのを感じていただけたでしょうか。ここで現在クラシックと呼ばれているものの基礎が確立します。次からはさらに音楽史として重要な古典派の音楽から現代の音楽へと入っていきます。

貴下の従順なる下僕 松崎より

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システム系の専門学校を卒業後、システム屋として6年半の会社員生活を経て独立。ブログ「jMatsuzaki」を通して、小学生のころからの夢であった音楽家へ至るまでの全プロセスを公開することで、のっぴきならない現実を乗り越えて、諦めきれない夢に向かう生き方を伝えている。