視覚芸術および音楽における芸術家と工芸家の違いと、ますます工芸化する音楽について

私の愛しいアップルパイへ

絵画や彫刻などの視覚芸術と音楽をはじめとする聴覚芸術において、芸術家と工芸家との対立には長い歴史があります。また、芸術家と工芸家を混同し、人々が作品を正当に評価することができず大変残念なことになるケースもしばしば見受けられます。

これはfine artsとcraft(やdesign)の対立とも、芸術と芸ごとの対立とも、アポロ風とディオニュソス風との対立ともよく似ています。

無論、どちらが優れていてどちらが劣っているという類の話ではありません。それぞれ目的と用途がまったく別だからです。しかし、日本では「芸術家」ないしは「アーティスト」といった言葉を乱用しがちで、それらを混同することで混乱が起こりがちなものですから、整理しておこうというわけです。

今日は芸術家の成り立ちから、芸術家と工芸家の違いまで、そして特に音楽における特殊な状況について探っていきましょう。

芸術品とはなにか?工芸品とはなにか?

最初に結論から言いましょう。

工芸には実用性がまずもって必要です。ここが決定的な違いです。椅子や皿のように、工芸品には明確な用途があり、その上で美しさを追求することになります。つまり、職人の世界です。

ですから、必然的に工芸品というのは以下の条件を満たすものになります。

  • 大量生産可能である
  • 産業的である
  • 必要な知識が限定される

対して芸術品というのは作者、つまり芸術家の哲学や死生観、価値観を作品を通して表現したものになります。

芸術品にはしばしばその時代のものの見方が見事に反映されたものが登場しますが、それは世界がどう見えるかを凝縮することが芸術品の第一の使命だからです。もちろん、工芸品のようにその作品で扉を開くとか、料理を載せるとかといった機能は要りません。

例えば「底のないコップ」は工芸品にはなり得ませんが、それが世界のものの見方を表現する目的として作られたのなら芸術品にはなり得ます。

こう言うと工芸品にも芸術品に勝るとも劣らない「美しいもの」が存在するぞといった類の批判が出るかもしれません。しかし、それは的外れで、「美」と「芸術」を混同してしまっている初歩的な間違いが故に起こる批判なのです。

工芸品の条件について「必要な知識が限定される」と書いた点について細くしておきましょう。高度な知識が必要なのは芸術品も工芸品も同じですが、求められる知識が違います。工芸品であればその工芸を作り上げる専門的技能が求められます。まさに職人の世界です。

対して芸術品は、哲学や神学をはじめとする世界の捉え方についての深い知識と洞察が求められます。実際、中世の芸術家というのは世界を高いレベルで見通すことができる高度な文化的知識人として扱われていたのです。

最初に芸術家という職が生まれたイタリアのルネサンス

そもそも芸術家とはいつ生まれたのでしょうか。その歴史は、14世紀にイタリアで興ったルネサンスに端を発します。 ルネサンスは「再生」を意味しますが、紀元前600年〜紀元前30年頃に確立されたギリシャ・ローマ美術の再生を意味します。300年以降1000年に渡ってキリスト教一色となっていた当時の美術に対する革命だったわけです。

紀元前のギリシャ時代に絵画や彫刻、音楽における美の規範が確立されますが、当時はホメロスの抒情詩などで描かれたゼウスやアテナといった神々への捧げ物を作る職業でした。その後、キリスト教社会が到来しますが、神への捧げ物を作るといったその立ち位置に大きな変化はありませんでした。

それまで画家や彫刻家という職業はいまでいう職人として扱われており、注文されたものを作るブルーカラーの肉体労働者として扱われていました。画家や彫刻家は地位が低かったのです。

ルネサンス期にはこのような画家や彫刻家の地位向上を目指して、ホワイトカラーの知識人としての画家や彫刻家の地位を築こうとした人たちがいたのです。

その代表が今や誰もが知っているレオナルド・ダ・ヴィンチであり、ラファエロ・サンティであり、ミケランジェロ・ブオナローティだったのです。もちろんミュータント・タートルズのことではありません。

彼らは画家や彫刻だけでなく、建築や果ては軍事技術など多岐にわたる活躍を見せます。ミケランジェロは知識人の代表であったメディチ家に育てられ、最先端の知的サークルであったプラトン・アカデミーで英才教育を受けています。

この時代に絵や彫刻が上手なだけの職人とは一線を画す存在として「芸術家」が生まれたのでした。この動きはその後フランスなどへも伝播することになります。

ますます工芸化する芸術たち

いま私が芸術と工芸について整理しようと思った動機は、芸術が工芸化の一途をたどっているからです。

私たちは今かつてないほど激動の時代に生きています。20世紀以降、世界大戦を経てレコード、ラジオ、テレビ、インターネットと芸術を取り巻く環境がガラリと変わり、国内だけでなく世界中がつながる時代になりました。

つながる範囲が広がれば広がった分だけ芸術が大衆的になり、平均的になり、分かりやすくなるのが常です。そのような歴史はいままで何度も繰り返されてきましたが、現代のように「世界中が瞬時につながること」は初めてであり、過剰なまでの変化に晒されています

そのうえ、テクノロジーの進化によってあらゆるコピーが可能になったことで、悪い意味で芸術の工芸化に拍車がかかりました。つまりテクノロジーの進化によって大量生産が可能となり、グローバル化によって産業志向が強まりました。さらには作品のコピーだけでなく素材のコピーが簡易になったことで作り手のハードルが下がり、極限まで大衆化されたことによって求められる知識レベルが下がったために、一層工芸化が進んでいます。

いまほど芸術が支離滅裂になった時代はなかったでしょう。

▼岡本太郎が「今日の芸術」のなかでこれらを”八の字芸術”と揶揄し、以下のように警笛を鳴らしたのは実に的を射ていました。

今日の芸術は、

うまくあってはいけない。

きれいであってはならない。

ここちよくあってはならない。

ポップ・ミュージックにおける音楽の工芸化

最後に、特筆しておきたいのはポップ・ミュージックの発展とともに工芸化する音楽についてです。いままで音楽における工芸は一般的ではありませんでした。実際、工芸といえばお皿や椅子など実態のあるものをまずイメージするでしょう。

音楽の工芸化が始まった原因は音楽のコピーが容易になったことがまず挙げられます。歌声や演奏、音響などを録音することは20世紀までは不可能でした。かろうじて楽譜はコピーができましたが、楽譜によって表現できるものが音楽のほんの一部に過ぎないことは言うまでもないでしょう。紀元前から職人の手で模刻されてきた彫刻とは大きく状況が違います。

さらに、ラジオ、テレビ、インターネットの発達とともに市場が爆発的に広がったことで、音楽を産業的な活動としてみなす商人や音楽家が増えてきたことも音楽の工芸化に拍車をかけました。

サンプリングや音素材、それらをベースとしたコンピュータによる自動作曲が発展したことで、作曲に求められる知識も減りました。今や小節にあわせて音素材をコピペすれば一曲出来上がる時代です。

加えて、音楽が世界的に大衆化したことで音楽家に求められる知識も減りました。以前のように、哲学や神学やラテン語に精通している必要は無くなったのです。

音楽は絵画や彫刻のように具体的な模造の対象がなく、そのうえ実用性や機能性が極めて曖昧でした。もちろん、結婚や葬式、呪術や祭り事などのために音楽が作られるのは一般的ですが、椅子や皿と比べればその実用性や機能性は曖昧です。

商業的な音楽の発展とともに、音楽には特に娯楽的な意味での実用性が求められるようにもなりました。それはクラブミュージックからCMソング、カフェのBGMからアイドルソングまで、機能性、実用性を備えた”使える”音楽のニーズが高まったのです。インターネットとSNSの発展によって人間関係の稀薄化と”恥”の文化が広がり、音楽が自己PRの一部として使える道具になったことも無視できません。

結果として「大量生産可能」で「商業的」で「極めて限定された知識があれば製作できる」実用的な工芸の条件を初めて満たすことができるようになった現代の音楽は、大半が工芸化するに至りました。これは工芸から発展して芸術になった絵画や彫刻などの視覚芸術と比較すると極めて特殊な状況と言えるでしょう。

音楽においては上述した岡本太郎の言葉が鋭く突き刺さります。

今日の芸術は、

うまくあってはいけない。

きれいであってはならない。

ここちよくあってはならない。

もちろん悪いニュースだけではありません。2017年にブライアン・イーノがリリースした「Reflection」のように、現代のテクノロジーを自らの哲学と巧みに融合して作られた芸術的な作品も生まれています。これからは”芸術としての音楽”の必要性が高まっていく同時に、そのような作品の存在価値が際立っていくものと私は信じています。

貴下の従順なる下僕 松崎より

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システム系の専門学校を卒業後、システム屋として6年半の会社員生活を経て独立。ブログ「jMatsuzaki」を通して、小学生のころからの夢であった音楽家へ至るまでの全プロセスを公開することで、のっぴきならない現実を乗り越えて、諦めきれない夢に向かう生き方を伝えている。