30歳で真剣に始めた我がバンドがハードロック・へヴィメタルバンドな理由

Burning!

私の愛しいアップルパイへ

私やあなたのようなグルメな人間は音楽ジャンルなんてなんの問題にもしていないでしょうけど、あえて私の愉快で寛美で奇妙な音楽を一般的なジャンルで分けようとするなら、ハードロックかヘヴィメタルってことになるでしょう。

ハードロックやヘヴィメタルは人によってはさほど馴染みがないかもしれませんし、そのやかましさを嫌悪している人が一定数いるのも理解しています。

来年30歳になる人間が真剣にバンドで食うためにゼロから活動をはじめるわけですが、そのバンドのジャンルがハードロック・ヘヴィメタルってのはどんな意志の働きによるものなのか。興味あるでしょうか。Gooooood!お話しましょう。

「みっともない」生き方をすると世界からつまはじきにされてしまう

私がハードロックやヘヴィメタルに傾倒する理由。それを自覚したのは18年ほど前、小学生時代にさかのぼります。

私はながらく「みっともない」と思われないよう生きることに心血を注いでいました。例えば、学校に休まず行く。友達をたくさん作る。赤いものより青いものを選ぶ。髪は短く清潔に。サッカーや野球などの運動をやる。先生に気に入られる。成績は平均点以上をとる。塾に通って大学まで進学する。

「みっともない」かどうかというのは私の支配的な判断基準の1つでした。それは安定して失敗しない優雅な生活を送るための処世術だと思っていたのです。

他人を不快にさせるような「みっともない」自己中心的な生き方をすれば、世界からつまはじきにされて惨めに生きるしかないのだろう、と。

30歳で真剣に始めた我がバンドがハードロック・へヴィメタルバンドな理由

その頃、偶然テレビだかラジオだかで知ったハードロックやヘヴィメタルを聴いたとき、私はまず不思議に思いました。それは特異な音楽性によるものではなく、彼らの生き方に対する不思議さというか奇妙さでした。

感情的な叫び、耳をつんざく歪んだギター、甘くも切なくもないメロディー、汗臭くて騒ぎ立てるような立ち振舞い、女の子のような長ったらしい髪の毛に、流行無視のファッション、配慮に欠ける大言と、鼻につく物言い。ある意味では”ダサく”、1つ1つが他人を不快にさせるはずのものであり、私が避け続けてきた「みっともない」生き方そのものでした。理性的で賢い私の考えでは真っ先に世界からつまはじきにされるはずの生き方でした。

にも関わらず、彼らは多くの人を熱狂させていたのです。そしてなにより、彼らは他の誰よりも解放的に生きているように見えました。まったく不思議でした。

そのときです。私はスキャナーズに頭をスキャンされて頭を内側から吹き飛ばされたあの男になったような衝撃を受けました。私はついに気づいたのです。「みっともない」生き方を避けることによって、ながらく自分自身を偽っているという罪悪感に苛まれていたこと、そして常識を強いる世界の窮屈さに膿んでいたことにです。そこに私は大きな希望を見出しました。

それから、ブラックコーヒーに注いだミルクがいつしかコーヒー全体の色を変えてしまうように、いつしか私も彼らと同じように生きたいと考えるようになりました。もちろんその音楽ジャンルはといえば原始的で衝動的で解放的で情熱的な所謂ハードロックやヘヴィメタルでした。

端的に言ってそれは、音楽に限らず他のあらゆるものと比較しても、極上の自由の味がしたのです。

貴下の従順なる下僕 松崎より

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システム系の専門学校を卒業後、システム屋として6年半の会社員生活を経て独立。ブログ「jMatsuzaki」を通して、小学生のころからの夢であった音楽家へ至るまでの全プロセスを公開することで、のっぴきならない現実を乗り越えて、諦めきれない夢に向かう生き方を伝えている。