私の愛しいアップルパイへ
私は特別な事情がない限り、ブログのアクセス数を公開しないようにしています。数字は一人歩きしやすいから、慎重で狡猾な男jMatsuzakiは数字の公開を控えているのだ、と思ったでしょうが、それは間違いというものです。
私がブログのアクセス数をあなたに公開しない真の理由をここに綴ります。
我が胸を打つ文章に出会ったとき
あれは確か、この愛すべきブログをはじめる数年前。ちょうどいまのような季節でした。仕事が終わった夜中、いつものようにリビングに行って、足がゼンマイのように曲がった木で作られた特徴的なロッキングチェアに腰掛け、美食家がやるように赤ワインを舌の上でチロチロと転がしているときでした。
私はデカルトの「哲学原理」を読み終えようとしていました。デカルトの哲学原理といえば、近代哲学の基礎を築いた名著ですが、私は終盤になってその遠回りな言い回しに少々ウンザリしていたころでした。
私はようやく本編を読み終えて、哲学原理の付録であったデカルトがフリードリヒ5世の長女であるエリーザベトに宛てた書簡を読み始めました。
最初は、三世紀半もあとに個人的な書簡を勝手に世界中に公開されたデカルトはいまなにを思うのだろうなどという野暮な考えが頭をよぎりましたが、その考えはすぐに変わりました。本編以上に、この個人的な書簡に引きこまれたからです。
本編での雄弁に哲学を語るデカルトとのギャップも相まって、この個人的な書簡は感情的で優しさに満ちあふれて率直で、えらくロマンティックなものに見えました。そこいらの似非芸術家の書く詩よりもずっと詩的で心に響くものに感じました。感動さえ覚えました。
人類に訴えかける哲学より、エリーザベト個人に宛てた手紙のほうが私の胸を打ったのです。この特別な体験と発見は、この愛すべきブログを作るうえで大きな影響をもたらしました。
一人の人間に宛てた手紙ほど胸を打つものはない
傲慢な私は、この愛すべきブログをあなた個人に向けた手紙だと思って書いています。技術の進歩によっていまは手紙をやりとりする文化も途絶えてしまいましたが、率直で感情的で人間的でロマンティックな個人的な手紙を私は愛しているのです。
ブログのアクセス数の話に戻りましょう。例えば1日に1,000アクセスあったとして、それを私が嬉々として報告したらどうなるでしょう?それは裏を返せば、あなたが私にとって1/1000の人間に過ぎないと突きつけるようなものではありませんか。
それは、個人的な手紙であり続けたいこの愛すべきブログにとって、大きな倒立になるでしょう。あなたがどう思おうと、私とあなたは1対1の関係だと私は思いたいのです。
貴下の従順なる下僕 松崎より