好きなことを実行に移せないときのシンプルな理由

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私の愛しいアップルパイへ

私は好ことなのに実行に移せない」という人間の葛藤に興味があります。これまでの我が人生を振り返れば、この葛藤こそ本質であったようにも思います。

そういえばいま思い出しましたが「矛盾」という言葉をご存知でしょうか。これはかつて中国の商人が「どんな盾も突き通す矛」と「どんな……この話は特に関係はないので速やかに本題に入ることにしましょう。

好きなことを実行に移せないのは普通のことである

好きなことを実行に移せないというと、一瞬おかしなことを言っているような気もします。「お笑いだわ!好きなことなら自らすすんで実行するものでしょう!」と。しかし、少し考えてみれば、実際にはよくあることだとわかります。

健康になりたいのに禁煙できないとか、仲の良い友人に素直に感謝できないとか、前日まで楽しみにしていたイベントが当日になってみたらどうも行く気になれないとか、大好きなはずの創作活動を職業にしようと思った途端に制作ペースが落ちたとか、会社を辞めて自由に生きたいのに勤続30年を迎えたとか。

好きなのに実行に移せないことはベーコンエッグのように当たり前に存在しています。

もっといえば、好きであれば好きであるほど実行に移し難くなるという傾向もあるから厄介です。小さなことであればフットワーク軽く動ける人でも、人生に関する大きな決断となるとまるでシャチに睨まれたペンギンのように弱腰になってしまう具合に。

先日私はバンド「jMatsuzaki」で初めてのライブを開催する直前にも、この葛藤に大変悩まされました。

なぜ好きなことが、好きだからという理由で行動に移せなくなるのでしょうか。普通に考えれば、好きだからこそ行動に移せるものではありませんか。なんとも不思議なものです。

人は好きなことをやっているのではなく、見返りのあることをやっている

理由はいたってシンプルです。それは、我々の行動原理は「好きなことをやる」ではない”からです。我々は、好きなことをやっているのではなく、見返りのあることをやっているのです。ですから、嫌いなことを続けることもできますし、好きなことを諦めることもあるのです。

「史上最強の人生戦略マニュアル」にはこんな一節があります。

こうした行動をとるのは、あるレベルではそれでうまくいっていると感じているためである。「うまくいっている」というのは、その行為から何らかの見返りを得ているということだ

いずれわかると思うが、もっと意識的あるいは表面的なレベルで、その行為が自分にとって望ましくないとわかっている場合にも、この公式が当てはまる。その行為によって自分が苦しむこともわかっているかもしれない。それでも、結果的に見れば、何らかの見返りを得ているのである。そうでなければ、そうした行動をとらないし、今受け入れているものを受け入れていないだろう。

史上最強の人生戦略マニュアル」 第4章 「見返り」が行動を支配している

※私の書評はこちら >> 7つの習慣以来の衝撃!史上最強の人生戦略マニュアルの要約と感想

どんな悪癖でも、必ず心地よい見返りを得ています。悪いとわかっていることなら、見返りがなければ続くはずがないからです。どんな不満な生き方をしていても、実際にはその生活のなかから心地よい見返りを得ています。だからこそ一歩踏み出せないのです。

普段は見落としがちですが、やらないこと”には強い見返りがあります。それは、可能性のなかに逃げ込めることです。「私にだって本当はできる」「明日になったらやろう」「本気を出せばこんなもんじゃない」「時間さえあれば」「人脈さえあれば」「あの人さえいなければ」といった具合です。「本当は自分にもできる」という安堵感は実に蠱惑的な見返りなのです。

他にも、こんな見返りがあります。「あの人に嫌われるからやめておこう」「家族に反対されるからやめておこう」「社長は受け入れてくれないだろうからよそう」。つまり、所属感も安堵感と匹敵するくらい蠱惑的な見返りです。

人は好きなことをやろうとはせずに、見返りのあることをやろうとします。ですから「好きなことをやらない」というのはとても筋が通った選択でもあるのです。これは本当に多くの人を悩ましている問題です。

▼ストレングス・ファインダーで有名な「さあ、才能(じぶん)に目覚めよう」でも、人はなぜ自分の弱みばかり取り繕うとして、強みを伸ばそうとしないのか?といった切り口でこの問題について触れられています。

見返りを断つか?見返りをつくるか?

問題が発生するのは、プロの野球選手が本当はサッカー選手なりたいといったように、見返りのあることと好きなことが背反する場合です。

その場合、打てる手は2つあります。

1.見返りを断つ

まずできることは、(行動しないことも含めて)望ましくない行動から得ている見返りを特定し、見返りを断つ方法を試してみることです。

ここで気をつけるべきは、深く根をはった望ましくない習慣や価値観の見返りを特定することは実に難しいことだという点です。この手のことは、自分ではあまりに当たり前のように行動に移しているため、もはや自分がどのような見返りを日常的に得ているかわからなくなってしまっているものです。

このようなときに役立つのは「自覚」のパワーです。自覚を手助けしてくれる行動を取り入れれば、見返りを特定する力も研ぎ澄まされます。

自覚のパワーを引き出すためにすぐできるのは日記か瞑想でしょう。これらの習慣は、見返りがわからなくなった習慣や価値観を自覚するために役立ちます。

2.見返りをつくる

もう1つは、望ましい行動に見返りをつくることです。最も簡単なのは、その行動が収入を生むようにすることです。もちろん収入にするのが難しければ、もっと他の見返りをつくることもできます。

このようなときに役立つのは(1)とは逆の「想像」のパワーです。想像力を駆使すれば、いまは見返りのない行動に新しく見返りをつくるための戦略を練ることができます。

ミッション・ステートメントを作るのも良いでしょうし、1年~5ヶ年の人生計画を作るのも良いでしょうし、もっと広い視野で人生戦略を練るのも良いでしょう。

一歩踏み出すためにはバランスを崩さなければならない

もちろん原因と対策がわかったところで、この問題を解決しにいくことには一定の難しさが伴います。なんといっても、それには勇気が必要です。なぜなら、変化すること自体がこの見返りシステムにのっとっているからです。

単に変わるのが難しいのではなく、変わらないことには安堵感という見返りが発生しているから難しいのです。なにもしないことで見返りをもらえるのなら、そんなに望ましい状況はないでしょう。この安堵感を捨てて変わるためには、バランスを崩すことを受け入れる勇気が必要になります。

実際の歩く動作と同じように、一歩踏み出すにはバランスを崩さなければならないのです。そしてこれは間違いなく怖いことでもあります。

貴下の従順なる下僕 松崎より

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