photo credit: Lisbon, Portugal April 2010 via photopin (license)
私の愛しいアップルパイへ
サラリーマンとして働くことを辞めた3年前のある日、当たり前のことなのに目をつむり続けてきた法則に気がつきました。
貯金が尽きて実家に変えることを決意した日
脱サラして3ヶ月が経ったころ、来月の家賃が払えるかどうかという状況でした。
そのころは不安から夜に寝つけなくなり、食欲もなくなり、目の前のことに集中できなくなっていました。その日、私は昼過ぎにどうにか起きてきて、食欲はありませんでしたが仕事するためにも食事くらいはとろうとしていました。
食事を最低限のコストで抑えられるよう、昼どきにセールのやっているデパートの惣菜コーナーへと向かい、一番やすかったパックの白米とかき揚げを買って帰りました。
自宅へ帰って、不安、恐怖、疲労を感じながら白米を口に運ぶと、まるでゴムのような味がしました。ネチャネチャと口のなかで動くゴムのような物体をどうしても飲み込むことができませんでした。
数十秒間、口の中でゴムと格闘しているうちに、不安のあまり飯が喉を通らないなんて馬鹿げてると思い、無理やりに飲み込みました。直後、あまりの気持ち悪さに嘔吐寸前になり、近くにあったチリ紙に手を伸ばしました。
どうにか吐き出すのを抑えていると、今度はたかだか白米すら口にできない自分がまったく惨めな存在に思えてきました。惨めで惨めで、自分の弱さが泣けそうなほど惨めでした。その日、実家へ帰ることを決めました。
好きなことで収入を得ない限り、それに専念することはできない
それから半年ほど実家で体制を立て直しました。それらの経験を通して頭でなく体で理解したのがこの法則です。
「好きなことで収入を得ない限り、それに専念することはできない」
それまでの私といえば、今では鼻で笑ってしまいますが、好きなことだから趣味で続けるだとか、好きなことだから収入がなくてもいいだとか、お金が絡むと好きなことが好きなようにできなくなるからなんて、心地よい嘘に逃げ込んでいました。
しかし、それでは好きなことに専念するという細やかな願いすら叶えることはできないのです。
音楽に専念したいなら、音楽で収入を得る。ブログに専念したいなら、ブログで収入を得る。もちろん音楽やブログに限りません。
映像に専念したいなら、映像で収入を得る。英語に専念したいなら、英語で収入を得る。旅に出たいなら、旅に出ることによって収入を得る。
それに専念したいと思えるほど好きなことがあるのなら、その好きなことで収入を得ない限り、それに専念することはできないのです。
この発見は、お金を稼ぐことについて考えるのが億劫で後回しにしたり、自分の責任のもとでお金を稼ぐことから逃げまわっていた当時の私にとって、特別大きな発見となりました。
貴下の従順なる下僕 松崎より