私がいかにして孤独感と虚無感を人生のよりどころとするに至ったか?

カテゴリ: 人生を変える

私の愛しいアップルパイへ

この数ヶ月、我が身に降りかかった悲劇については以下でお話しした通りです。

好きなことを仕事にすべくフリーランスになったらうつ病になりかけた話

私の偉いところは苦悩や葛藤から逃げ出して、スカーレット・オハラみたいに「明日は明日の風が吹く」だなんてケロッとした顔でのたまうようなことをしなかったことです(だいたいクラーク・ゲーブルみたいな良い男を振っておいて後悔もしないなんて私には到底分かりかね…おっと失礼話が逸れました)。

きっかけとなったのは私を取り巻く人間関係への強い失望感でしたが、その根底には、十二音技法で奏でられたコントラバスの奇妙な調べのようにうねる「孤独感」と「虚無感」があったことは上の記事で述べた通りです。

この数ヶ月、私は私の苦悩のまえにどっかりと腰をおろして対話してきました。何度も投げ出したくなりましたが、私が投げ出したら誰がこの苦悩を供養してやれるのかと考えたら、そうする気にはなれませんでした。

素晴らしい閃きが舞い降りたのは、何の変哲も無い日常生活の一コマでした。ある日、自宅に帰っていつもの鞄を自室に置いて手を洗い終わったときでした。それはアリアドネの糸のように私を迷宮から救い出す閃きとなりました。

今日は私が長らく付き合ってきた孤独感と虚無感の源泉を探る旅と、それをいかにして乗り越えたのかについてお話しようと思います。

孤独感と虚無感に絡め取られるまでの話

この5年間、私を突き動かしていたのはひとえに「人は誰しもが燃えたぎる炎であり、解放されることを待っている」という希望であり、「人は誰でも生きることに命がけだ」という確信でした。

私の仕事のほとんどすべてはここに捧げていましたが、経験を積むとともにこの希望は薄まらざるを得ませんでした。何か決定的なできごとがあったのではなく、少しずつ少しずつ私の前提が間違っているという証拠が積み上がっていったのです。

私の周りに枯れ葉のように敷き詰められた利害関係や利己心、怠惰心などにすっかり呆れ果て、ついに先の信念を手放さざるを得なくなりました。

なぜ生きているのか?なんのために生きるのか?いつだってそんなことばかり考えているのが、私って人間なんです。

そんなわけで意義や目的が無ければ一歩も動けなくなるというのがダイハードな夢想家たる私の特性で、かような状況は私にとって最悪な状況でした。

その間、夜に起きて朝に寝るような生活が続きましたが、それをどうにかしようなんて思いませんでした。私の今の人生に朝早く起きるだけの価値があるとは思えなかったからです。

私はいつしか、ずっと昔、小さい頃に見つけたある信念にたどり着きました。人生ってやつはどこまでも孤独で、どこまでも虚しいという信念でした。

ここから逃げるように活動してきたわけですが、どうやらやっぱり人が真の意味で分かり合えるようなことはなく、生きる意義だとかなんてもんは現実逃避の類でしかないのだと思い至りました。

生きるということが虚無でしかないのなら、生きる価値なんてあるのでしょうか?このまったくもって陳腐な結論に溜息が出そうになりましたが、それすらも馬鹿らしく思えました。

ただ、1つ違和感を覚えたのは、なぜ私はかくも執拗に「孤独」と「虚無」にこだわっているのかということでした。本来、人生とはかくかくしかじかであるとか、人生の画一的な意義などという類の一般論にはほとんど興味を示さない私が、どうも「孤独」と「虚無」については一般論にすがりつこうとしている違和感がありました。

幸か不幸か私は諦めの悪い性格で、どうせこれで全て終わりなら、最後にこの謎を解いて終わりにしようって気持ちでした。

規格に合った人生への満足感と嫌悪感

急がば回れってのはよく言ったもので、時計の針を私の幼少時代まで巻き戻しましょう。ときは1980年代の終わりから1990年代の初めです。

両親が警察官だったからか、幼い頃の私はよく周囲から「お父さんとお母さんが安心して働けるように大人しく良い子でいるように」と躾けられました。大人しくしていれば褒めてもらえたのです。そしてこれは私の最初の成功体験でもありました。

学校から帰って部屋で両親を待つ間、祖母に「純ちゃんは大人しくて良い子だね」と褒めてもらえることが私の仕事に対する最高のフィードバックでした。夜、ベッドの上でお気に入りのタオルケットに包まって眠るとき、私はよく日中に誰にも迷惑をかけなかった大人しい自分を思い返しては満足感と貢献感を噛み締めたものです。

私にとって我慢こそ美徳でした。自分の利己心を抑えて家族や教師、学友の要求に合わせることは最優先事項でした。カスタネットは青い方を上にすることも、ヒーローもののTシャツを着ることも、休み時間は外で遊ぶことも、髪はスポーツ刈りにすることも(ガッデム!)、ピアノ教室ではなくサッカー教室を選んだことも、小学校から中学校、高校へ進学することも、運動部に所属することも、ITバブルに乗ってシステム屋になることも、新卒で正社員になることも、すべての原動力は大人しくて真面目な良い子と褒めてもらうためでした。

また、幼い私にとって警察官の両親は誇りで、彼らは現実の世界を守るヒーローなのだと信じていました。ヒーローの一人息子に恥じないよう、どうにかスポーツ万能で逞しい男らしい自分になりたいと願ったものでした。学生のときは男は運動ができてなんぼといった風潮もそれを後押ししました。私が根っからのスポーツ嫌いであることはあなたもご存知の通りです。

まるでシステムが定める規格どおりの部品にでもなろうとしているようでした。しかし、生きることが自分らしいことを”何もしないこと”なら、その人生はどれほど退屈でしょうか。シューシュポスの岩を思い起こさせるゾッとするプログラムです。

大きな誤算の1つは、私が自分の生き方に反して誰よりも自由大好き少年だったことです。自分らしく自在に生きることは、私にとって最大のニーズでした。

我慢こそ美徳であると唱える一方で、自分らしく自在に生きたいというジレンマに陥ることになりました。このジレンマは大きくのしかかり、幼稚園から小学生、中学生、高校生へと至るに連れて激しい焦燥感を覚えるようになっていきます。

私はせめて人生が悲劇であって欲しかった

いつしか私にも野心が芽生え自分独自の力を発揮した唯一無二の特別な人生を歩みたいと考えるようになりました。しかし、だからといって人生を一変させるよう行動をとる勇気もありませんでした

そこで生まれた歪んだ妥協案こそ「規格に合った人生を送りながらでも、唯一無二の特別な人生を送りたい」でした。これならば”なにもしなくていい安心領域”に留まれるのですから。なんとも人間的な、あまりに人間的な発想ではありませんか。

では、規格どおりの人生を行動を伴わずに特別にするにはどうすればいいのでしょうか?私が自ら望んだのは、我が人生を悲劇だと信じることでした

どんなに細く緩やかな生活を送っていても、その内では自分が誰からも理解されない孤独を背負い、人生の虚無を哀れんでいるとするならば、単なる規格どおりの人生ではない個性が生まれるではありませんか。心は見えませんから、孤独と虚無には誰からも否定されない優越感があります。かくして私は自ら案出したのです。「孤独」と「虚無」を!

あゝ!なんたる発明!私はこうして人生からニヒリズムの煮汁を絞り出し、せめて自分の人生が悲劇だと思い込むことによって、自尊心を満たしていたのでした。

そして無意識のうちに十数年かけてコツコツと人生が孤独であり虚無であるという証拠集めに勤しんでいたわけです。思考は現実化するの言葉の通り、我が人生は(望み通りに)孤独の虚無に満ちた人生となったってわけです。ジーザス!

「孤独」と「虚無」が処世術でしかないのなら

素晴らしい閃きってやつはなんの変哲もない当たり前の日常で起こるものです。

ある日、自宅に帰っていつもの鞄を自室に置いて手を洗い終わったとき、無意識のうちに作り上げていたこれらの構図が鮮明に私のデリケートな脳髄に舞い降りてきました。それは我が人生の迷宮を鳥瞰するもので、まさにアリアドネの糸でした。

この発見によって私は自分の頭をガツンと殴ってやりたい衝動に駆られました。同時に、私は私を悩ませていた「孤独感」も「虚無感」ももはや退屈な人生を生き抜くための処世術でしかなく、自己正当化のためのツールでしかないと悟りました。私が人間関係に失望するときも、目的論的原理の欠けた生き方に絶望するときも、それはすべて自分の人生が悲劇だと思い込むことによって、自尊心を満たそうとしているに過ぎないことを悟りました。

それはまるで「電柱にぶつからないように、電柱にぶつからないように」とばかり願っていると、電柱にぶつかる光景ばかり想像してしまった挙句、ついには電柱にぶつかってしまうように。それはまるで「自転車で転ばないように、転ばないように」とばかり願っていると、自転車で転ぶ光景ばかり想像してしまった挙句、ついには転んでしまうように、巧妙な自己充足的予言として機能していたわけです。

これは私が何年もかけて緻密に作り上げてきた最高の処世術を手放すことを意味していました。それにはいくばくかの躊躇があったのは事実です。いつだって自分が回し車のなかで走るハムスターであったことを認めるのは辛いものです。

しかし、私が世界の真理のように大事に大事に抱えていた「孤独」と「虚無」も単なるツールでしかないというのなら、私はついにそれらと決別することができました。

かくして私は犠牲者づらして世界は孤独だ虚無だとメソメソ嘆くのをやめて、すべては自分の責任であったのだと受け入れることに成功しました。

自由に自在に好きに生きることから初める

私の今までの活動がある一定のレベルまではうまくいっていたとしても、それがいかに不自由で、不健全で、不寛容なものであったかを思い知らされました。それは必然的に、孤独と虚無に対する反発を原動力としていた今までの数年間の活動を否定せねばならないものでしたが、それを受け入れることにしました。

ではスタート地点に戻って、私がもともと人生に欲していたのは何だったのでしょうか?ここに立ち返る必要があります。規格にそった部品になる前の、歪んだ妥協案をひねり出す前の、生きることについての純粋な願いとは何だったのでしょうか?

それはただただ自由に自在に好きに生きたいというだけだったのです。自分に備わる唯一無二の力を解放して、自分が望んだ通りの人生を手に入れることです。

ここから再スタートすれば、今度は前よりずっとうまくいくでしょう。私はすっかりゲームオーバーだと思っていましたが、これからゲームスタートだったようです。

それで、具体的になにをするのかって?それは今からの話です。焦らないでください。今から1つ1つ丹念に見つけていきますよ。アブラカタブラ!どうなるかはお楽しみ!

つまり「明日は明日の風が吹く」ってやつです。

貴下の従順なる下僕 松崎より

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