フリーランス5年目にして月収が7万5千円だったときの話

私の愛しいアップルパイへ

私の身にいま起こっている悲劇については先日お話しした通りです。

好きなことを仕事にすべくフリーランスになったらうつ病になりかけた話

この話のなかに焦って事業拡大を図った挙句、月収が7万5千円まで低下してジリ貧になった話があります。これは正確には2017年6月のことです。このときの状況は後々よく思い出すことになるでしょうから、ここに記録しておきましょう。

焦燥感から無理に事業に失敗してジリ貧の生活に陥る

先ほどの記事で詳しくお話ししましたが、新サービスが軌道に乗り、1st Albumをリリースし、ライブの収益が最高を記録し、収入はサラリーマン時代の2〜3倍になっていた頃、私は焦燥感に駆られていました。

端的にいえば私はお金に換えることのできない価値と出会うために働いていますが、その点において手応えのない日々が続いていたのです。私は必死に回し車で走るハムスターにでもなった気分がしていました。

焦るように事業の拡大を図った結果、人件費を中心に経費が増えました。どれも経費を増やしたところですぐに収益になるような事業ではなかったため、一気に収益性が低下することになりました。

それでも自らが偉大と認める使命のために自分自身を使えるなら本望であるという信念から、這いずりながら生活していました。

そのとき、私は半年間ほど前にフリーになった昔ながらの盟友KeiKanriと二人三脚で仕事をしていました。私たち2人はとても終わらない量の仕事を抱えながら、忙しくも貧しい生活を強いられることになりました。

フリーランス5年目にして一ヶ月の給料が7万5千円だったときの話

2017年7月初めのある日、それは2017年6月分の給料日から既に5日が過ぎていた頃でした。その日、KeiKanriと私の2人はとあるスプレッドシート(Google版のExcelのようなもの)を開いていました。それは「予算管理シート」と名付けられたファイルで、我々の収支と貯金の残高を毎日リアルタイムに記録していくためのファイルでした。

私たちは2017年6月の仕事にどうにか区切りをつけ、諸々の精算を終わらせたところでした。私たちの開いている予算管理シートには空白が2つ残されていました。私とKeiKanriの給料を記入する欄でした。

私たちが一ヶ月間犬のように走り回った結果、手元に残ったのはたったの15万円でした。2人あわせて15万円です。なんとも驚くべきことにこれはバイトの話ではありません。本業の話です。高校生の頃にCoCo壱番屋でバイトをしていたことがありますが、その時の方が少しは待遇がマシだったように思います。

私はせめてと思い、KeiKanriの給料の欄に10万円と記入し、私の給料の欄に5万円と記入しました。その後、少しの沈黙の後にKeiKanriが無言で自分の給料の欄を7万5千円に減らし、私の給料の欄を7万5千円に増やしました。そのときの自分の無力さや不甲斐なさで胸を引き裂かれる気持ちはこれから一生忘れることはないでしょう。

ちなみに、以下がそのときの「予算管理シート」です。この出金列の2つのマスが給料を記入する空白でした。(細かいですが、216円は振込手数料です。毎月最初の振込は無料なので、2件目から216円が加算されて手数料として差し引かれます)

かくして5日遅れで支払われた2017年6月分の私とKeiKanri給料は7万5千円となったのでした。

貴下の従順なる下僕 松崎より

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システム系の専門学校を卒業後、システム屋として6年半の会社員生活を経て独立。ブログ「jMatsuzaki」を通して、小学生のころからの夢であった音楽家へ至るまでの全プロセスを公開することで、のっぴきならない現実を乗り越えて、諦めきれない夢に向かう生き方を伝えている。