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私の愛しいアップルパイへ
私が脱サラ直後にかかえていた不安は先ほどお話したとおり7つありました。
で、どこまで話しましたっけ。ああ、そうだ。次は第三の不安である「ブログの愛読者が増えなかったらどうしよう?」を私がいかにして突破したかについてでした。
- 1.無償で請け負った仕事が育たなかったらどうしよう?
- 2.出版などお金になる企画が通らなかったらどうしよう?
- 3.ブログの愛読者が増えなかったらどうしよう?
- 4.人が私の商品にお金を払ってくれなかったらどうしよう?
- 5.生活できるだけのお金も稼げなかったらどうしよう?
- 6.大好きなことに割く時間がとれなくなったらどうしよう?
- 7.個人事業主を続けられなくなったらどうしよう?
個人ブログは盤石な活動基盤になり得るのか?
前回は、自分の大好きなことに没頭するには、他者から仕事を引き受けたり他者に時間を提供したりするより、自律的な活動基盤を築いていくことの大切さに触れました。幸いなことにこの愛すべきブログは順調に育っていたので、自分の名前で運営できるこのブログをどんどん育てていこうって決めました。
「では、どうやって?」。良い質問です。
はたして個人ブログは自律的な活動基盤になるのでしょうか?普通に考えれば個人ブログは盤石な地盤にはなりづらいでしょう。いくら自律的で自由でも、フーッと一息で吹き飛んでピーッと泣くようなら意味がありません。
実際のところ、明日にはアクセスがガクンと落ちてしまうんじゃないか、明日には愛読者がみんな離れていってしまうんじゃないかという不安に常に悩まされ続けてきました。
ブログを1人の人間が自分の大好きなことに没頭するための基盤にしようと思ったときに、どうすればいいのか?実現できるものなのか?私の今後の生き方を決める上でこれは重要な問いかけでした。
日記や情報を扱うブログには一時的な読者しかつかない
個人ブログのありかたについてよく語られることの中に、「日記」を書くか「情報」を書くかという比較が多く用いられます。
日記ブログは好きなことを自由に書ける楽しさがありますが、ごく親しい人にしか興味を持たれないという問題があります。顔見知りにしか興味を持ってもらえないのであれば、ブログを自律的な活動基盤にするなんてとても不可能です。
一方で、情報ブログは検索エンジンなどから新規読者を獲得できますが、情報が一時的に消費されるだけで愛読者がつきづらい問題があります。情報の量と速度に限界のある個人ブログなら尚更です。しかも検索エンジンや特定のSNSに依存してかえって自由さも失ってしまうという問題もあります。実際、いまほとんどのブログは「Googleに嫌われたらどうしようもない」という極端に不安定かつ不自由な状態にあります。
私はブログが持つこのジレンマに悩み続けていました。日記か?情報か?ある日、唐突に、どちらの道も間違っていることに気がつきました。モーゼがそうしたように、目の前の海が真っ二つに割れたような感覚がしました。この愛すべきブログを始めるときに、私にブログの書き方を教えてくれた師に言われた言葉をふと思い出したんです。
「ブログは書き手の最前線で起こっていることのドキュメンタリーである」
ドキュメンタリー!ドキュメンタリーを発信するブログなら、多くの同士が寄ってきてくれるでしょう。読者は情報ではなく人につくので、愛読者も増えるでしょう。愛読者が増えれば、読者数が特定のサービスからの流入に依存してしまうリスクも減らせます。
日記でも情報でもなくドキュメンタリーを発信して同士を愛読者にすることこそ、「自分の大好きなことに没頭する」という夢を持った私に相応しい方向性だと確信しました。
夢へと向かう人生の模範となることで人の情熱に火をつける
「では、どうやって?」。良い質問です。「では、どうやって?」はこの世で最高の質問の1つです。
まず、無名の個人のドキュメンタリーなんぞ誰が興味を持つのか?といった問題に触れましょう。これはよく考えれば問題にならないことが分かります。先人の例を挙げるまでもなく、ドキュメンタリーは人を惹きつける魅力がありますから。
ファッション誌の編集長を追ったドキュメンタリー。バレリーナのオーディションを追ったドキュメンタリー。明日どう食いつなぐかも決まってない無名バンドが世界中を駆け回るドキュメンタリー。対象が無名の個人であっても、これらには興味をかき立てる何かがあります。
せっかくなので、逆にまったく興味の沸きそうにないドキュメンタリーについても考えてみましょう。
60歳でアーリーリタイアしたサラリーマンが子会社の役員に天下りするドキュメンタリー。36歳で仕事も家庭もそこそこうまくいっている人間がネットゲームに課金するドキュメンタリー。専門学校に通う20歳の学生が学校推薦で3社の就職活動を進めるドキュメンタリー。
これではいまいち興味が湧いてきません。同士といえるような人間も寄ってこないでしょう。なぜか?そのドキュメンタリーには挑戦がないからです。挑戦がないから魂がない。魂がないから人の情熱に火をつけられないのです。
幸いなことに、私のドキュメンタリーには挑戦がありました。夢破れた男が、もう一度諦めきれない夢へと向かう最後の悪あがきをするドキュメンタリーです。すべての夢見るリアリストへ捧げるドキュメンタリーです。
「システム屋から音楽家へ!」
世界は慈愛に満ちています。この愛すべきブログを開設したときに直感的に決めたこのテーマは間違ってなかったからです。
自分と周波数の合った愛読者とだけ交流できる場所を作る
整理しましょう。まず、日記でも情報でもなく、諦めきれない夢へと向かうドキュメンタリーを発信する。それによって同士である夢見るリアリストを呼び寄せて愛読者になってもらう。
ここで大切なのはなるべく同士だけを呼び寄せることです。アンチがいくらついても自分の大好きなことに没頭するための自律的な基盤にはならないからです。
そして、私とあなたのような夢見るリアリスト達を集めて生きていける世界を作ること。これが私の向かうべき方向となりました。
「では、どうやって?」。良い質問です。この質問に答えて今日の話を終えましょう。
この愛すべきブログの最終的な理想像はこうです。夢見るリアリストによるトライブが完成したら、Googleをはじめとした検索エンジンからのアクセスを完全にシャットアウトします。検索エンジンによってはこの愛すべきブログのいかなる記事にも辿りつけないようにするんです。夢見るリアリストによる口コミからしか辿りつけないように。
そんなことができるのかって?もちろん実現します。グレイトフル・デッドが50年も前にそれを見事にやってのけたように。
結論をまとめます。
第三の不安:ブログの愛読者が増えなかったらどうしよう?
第三の不安の突破口
- 自分と周波数の合った愛読者を集めれば、検索エンジンや出版社に依存しない自律的が基盤が築ける
- 日記にも情報にも愛読者はつかない。ドキュメンタリーに共感してくれた同士だけが愛読者になる
- すべての人に気に入ってもらうことなどできない。むしろ、自分と周波数のあった人間をこちらが選別する
かくして第三の不安は私の前に崩れ去ったのです。
貴下の従順なる下僕 松崎より