無計画に脱サラしたら襲ってきた7つの不安を突破できたときの話〜第六の不安:大好きなことに割く時間がとれなくなったらどうしよう?〜

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photo credit: quinn.anya via photopin cc

私の愛しいアップルパイへ

私が脱サラ直後にかかえていた不安は先ほどお話したとおり7つありました。

次は第六の不安である「大好きなことに割く時間がとれなくなったらどうしよう?」を私がいかにして突破したかに入っていきましょう。

  • 1.無償で請け負った仕事が育たなかったらどうしよう?
  • 2.出版などお金になる企画が通らなかったらどうしよう?
  • 3.ブログの愛読者が増えなかったらどうしよう?
  • 4.人が私の商品にお金を払ってくれなかったらどうしよう?
  • 5.生活できるだけのお金も稼げなかったらどうしよう?
  • 6.大好きなことに割く時間がとれなくなったらどうしよう?
  • 7.個人事業主を続けられなくなったらどうしよう?

生活が安定してもなぜか本当にやりたいことの時間が増えなかった

私の本当にやりたいことは、もちろん音楽です。曲を作ることには特別な思い入れがあります。幼い頃から人の顔色を伺ってひどく窮屈な生き方をしていた私にとって、作曲をとおして自らの生命を噴火させることは、生きがいであり魂のよりどころでした。

前回お話したように仕事が軌道に乗らずに四苦八苦していた頃は、なかなか音楽に割く時間もとれませんでした。明日生きのびるための3ペニーすら無いようでは、現状収入につながっていない音楽の優先度が下がってしまうのも仕方ないことなのだと、当時は自分に言い聞かせていました。

脱サラして1年が経った頃にはサラリーマン時代と同等の生活基盤が整い、ある程度の時間的な余裕も生まれました。ここで私はふと違和感に気づいたのです。「生活基盤が整いさえすれば…」と思っていたはずが、実際には生活基盤が整ったにも関わらず、なかなか音楽にパワーが割けず尻込みしていたのです。

より音楽に集中できる生活を求めて脱サラしたというのに、いつの間にか「仕事を軌道に乗せること」に集中して忙しさの中で気を紛らわそうとしていたってことです。まるでアクセルと同時にブレーキも一緒に踏んでしまっていたような、そんな気分がしました。

「忙しくて時間がない」という現実逃避を心のどこかで望んでいた

私は自分が本当にやりたいことについて、自分の本心と真摯に向き合う必要性に迫られました。

胸に手を当てて考えたところ、最初に出てきたのはやはりお金がなくて生活が崩壊する恐怖でした。しかし、完璧に生活が安定することなんてないことは分かっていました。それに1年かけて自力で仕事を立てなおせたおかげで自信がうまれ、お金に対する身震いするような恐怖はすっかり無くなっていました。

次に出てきたのは夢を追って大失敗することへの恐怖でした。しかし、失敗する覚悟は脱サラする前からとっくにできていました。それに夢を追うということは決して一か八かのギャンブルなどでは無く、現実的な選択肢はいくらでもあることも分かっていました。

では、なぜ?ここで私は、見て見ぬふりをしてきた自分の本心についにたどり着きました。それは当時、とても受け入れがたい本心でもありました。

正直に告白します。私は音楽になかなか時間が割くことのできない忙しい生活を、心のどこかで望んでいたのです。不思議でしょう。馬鹿馬鹿しいと鼻で笑ってしまうでしょう。なぜそんな矛盾したことを望むのかって。私も当初はそう思いました。しかし、考えれば考えるほど、それは事実だったのです。

だって「忙しくて時間が無い!」という言い訳があれば、「時間さえあれば俺だって、、、!」という可能性の中に逃げ込めるではありませんか。そこには自分でも嫌になるほど屈折したプライドというか、醜い優越感のようなものが横たわっていました。

失敗の恐怖より強かった、本当の自分を受け入れる恐怖

私は自分自身をすっかり騙せてしまうほど自然に、かく前に逃げるシラミの如く狡猾に、「忙しくて本当にやりたいことに手をつけられない」という現実逃避に溺れていました。

本当にやりたいことだからこそ生まれる強い劣等感がこういった現実逃避を加速させていました。さして音感もなく、さして楽器も弾けず、さして理論も詳しくなく、さして旋律の閃きもなく、さして人脈もない。そんな劣等感を、、、現実の自分を直視して受け入れるのが怖かったのです。

加えて、ブログや仕事が徐々に軌道に乗ってきたのも現実逃避に拍車をかけました。人から認められている、人から期待されているという意識が少しずつプレッシャーとなり動きを鈍らせていったのです。

これらを自覚できたときに心は少し軽くなり、いつの間にかひどく不自由になっていた自分にも気がつきました。私は極端に現状を悲観する必要も、無理に自分の優越性を誇示する必要もなかったのです。必要だったのは、先ほど挙げたような現実の自分を受け入れて、一歩一歩前進する勇気を持つことでした。どの劣等感も今から1つ1つ解決していけることなのですから。

いま居る位置から一歩一歩を積み重ねる勇気

きっとプロ野球選手は一打席一打席を真剣に勝負しているのでしょう。一流の作家は1単語1単語を真剣に書いているのでしょう。一流のバイオリニストは一音一音を真剣に弾いているのでしょう。

私にも過去や未来にとらわれず、他人の視線や思惑にとらわれず、いま居る位置から着実に一歩一歩を積み重ねていく勇気が求められました。それ以降、自分の大好きな音楽をとことん追求するための時間を少しずつ着実に増やしていきました。

顔見知りのコーチにコーチングをお願いして自分の大好きな音楽を明確化していったり、自分の大好きな音楽を構成する要素を50個あげてみてパターンを探ってみたり、生まれてからの自分史を書いて音楽との関係性を見なおしたり、ときには理想の音楽家像を絵に書いてイメージしてみたり、そして実際に作曲をしてみたり。焦らず、怖がらず、一歩一歩。

このとき、諦めきれない夢へと向かう最後の悪あがきを始めようと奮い立った3年半前の自分のことをよく思い出しました。夢を諦めようとして、どうしても諦めきれなかった私は、安易に夢を放り投げてきた自分に対する怒りの中、マンションの片隅で1つのことを決意したんです。「これからこの先なにがあろうとも!自分の夢とその夢を追う自分自身のことを!私はもう二度と恥ずかしがったりしない!」と。この決意は私を何度も救ってくれました。

半年間で公開した楽曲は100曲を超え私の生活の中で音楽の占める時間の割合も優先度も着実に上がっていきました。

それで、これからどうなるかが気になりますって?ハッハ、ここに来てくれればいつでも最新の活動状況をお教えしますよ。

結論をまとめます。

第六の不安:大好きなことに割く時間がとれなくなったらどうしよう?

第六の不安の突破口

  • 本当にやりたいことが、本当にやりたいがために実行に移せなくなる心理を知る
  • 「忙しくて時間が無い!」「時間さえあれば俺だって!」という現実逃避に逃げ込もうとしない
  • 現実の自分を受け入れて劣等感からうまれる抑止力を突破する
  • 過去や未来、他人の視線や思惑にとらわれず、いま居る位置から着実に一歩一歩を積み重ねていく勇気を持つ
  • 自分の夢とその夢を追う自分自身のことを恥ずかしがったりしない

かくして第六の不安は私の前に崩れ去ったのです。

貴下の従順なる下僕 松崎より

著者画像

システム系の専門学校を卒業後、システム屋として6年半の会社員生活を経て独立。ブログ「jMatsuzaki」を通して、小学生のころからの夢であった音楽家へ至るまでの全プロセスを公開することで、のっぴきならない現実を乗り越えて、諦めきれない夢に向かう生き方を伝えている。