▼本記事の動画版もご用意しましたので、私の魂の叫びを聴きたいというグルメな方はこちらをご覧ください。
私の愛しいアップルパイへ
たまには過去を振り返って決意を新たにするってのも良いものです。
今日は私の活動の起点、つまり「jMatsuzaki」の出発点となった”挫折”についてお伝えします。
以前にも、この過去の挫折について触れたことがあったかもしれません。しかし今日ほど細部に渡ってスプーンでほじくり返すのは初めての試みでしょう。
私はこう見えても繊細な心の持ち主で、今でもこの挫折について考えると足がすくみます。ですから恐ろしくってなかなか話し出せずにいたのです。
しかしそろそろ良い頃合でしょう。勇気を出して話してみることにします。
今日は何故だか、どうしてもあなたにこの個人的なストーリーを話さなければならないと感じたのです。
人生を右肩下がりにする”誤ったものさし”
photo credit: S@Z via photo pin cc
生まれてから最初の25年間、私の人生はみごとに倒立していました。出発点をとり違えていたのです。ハシゴをかけ間違えていたのです。”誤ったものさし”で世界を計っていたのです。
成長する中で自然と育まれた”普通の生き方”像に囚われ、ただ無意識のうちに「常識」と「模範解答」と「平均点」を追い求めて生きていました。
人並み以上の水準で生活すること、まっとうな職につくこと、安定した企業に勤めること、9時から17時まで働くこと、定期的な収入を得ること、1人暮らしをすること、車の免許をとること、子供を産むこと、35年ローンで家を買うこと、より高い役職につくこと
極端な例を挙げましたが、ほとんどこのような「常識」と「模範解答」と「平均点」が私の”ものさし”になっていました。中庸は中庸でも凡庸という類のものです。
そして、私の人生はもっぱら「アメ」と「ムチ」と「忍耐」によって形作られていました。
楽しさの追及なんてとうの昔に捨て置いてきました。私はただ”失敗しない”ようにビクビクと生きていたんです。5年前は良かった、10年前は良かったって言いながら。
災いなるかな!涙が出るほど悲しいことに、私の人生はずっと緩やかな右肩下がりだったわけです。
「好きなこと」と「得意なこと」
photo credit: Toni Blay via photo pin cc
ここからは私の挫折と再起の個人的なストーリーを話し始めましょう。
小学生の頃から「音楽家」になるという夢がありました。なぜ音楽がこんなにも私を魅了するのかはさっぱり分かりませんが、とにかく音楽なるものに触れていることが楽しくてたまらなかったんです。人生を変えてしまうほど。そして、そうあることを心底誇りに思っていました。
しかし、歳を重ねるにつれて、”誤ったものさし”がこの夢を頭の片隅に追いやっていきました。「夢」を段ボールに詰め込んで、中身が見えないようにガムテープでぐるぐる巻きにして、乱暴に投げ捨てたのです。
私が「常識」と「模範解答」と「平均点」の名のもとに、高校を卒業して、専門学校を卒業して、”システム屋”として就職したのは今から6年前のことです。この時、私の「人生の倒立」は確実になりました。
“音楽家”であろうと欲する私と、”システム屋”であろうと欲する私。この「好きなこと」と「得意なこと」の大いなるジレンマは、私の行動を少しずつ少しずつ鈍らせていったのです。
1年前のあの頃、私の細く緩やかな音楽活動はどうにも行き詰ってて、もはやどんな行動も”かの非情なる現実”の前には無意味だとすら感じていました。
私はもう明らかに限界だったんです。いつしか会社に行く以外はほとんど何もできなくなり、“昼寝すること”がライフワークになりました。
「時間よ、過ぎ去れ!」
1年前のあの頃、私の心は”音楽”と”睡眠”の間で揺れ動いていました。今さら1曲作り上げたところで、いったいどれほどの意味があるというのか?そう考えるとどうしても作曲に着手することができませんでした。
私はただ”かの非情なる現実”と対峙するのが怖くって、布団の中でガタガタ震えながらこう叫ぶことしかできなかったのです。「時間よ、過ぎ去れ!」と。
とにかく眠るために起きていました。起きて食事をしてテレビを見て、工場労働者みたいに機械的に仕事をして、帰ったら寝る。
どうしても眠れない時は散歩をしたり、酒を飲んだりして時間を潰していました。とにかくこの時の私の願いはたった1つ。「時間よ、過ぎ去れ!」ただそれだけでした。
私の視界は霧か霞かで覆われました。私の足はピタリと止まりました。私はあの時、人生で初めて「夢」を諦めようと思いました。
これが私の挫折です。無気力状態、圧倒的な無気力状態です。
最初のひらめき
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それからというもの、布団に入ってから眠りに落ちるまでの数分間。大いなる葛藤が始まりました。
最初のうちはただ恐怖に怯え、睡眠のうちに時間を浪費することしかできませんでした。
何日も何日も眠り続けたある日、とあるアイデアが浮かびあがりました。最初はアイデアとすら言えないもので、気づきもしない変化でした。
私は眠りに入る直前、ほんの少しだけ冷静になって、今の状況を分析し始めていたのです。そして、今の状況がひどく興味深いものだと思うようになりました。
だってそうでしょう。無駄に寝てると分かっているのに、動き出せないでいるんです。何故か?それは「音楽が好きだから」です。普通は好きだからこそ行動できるはずなのに。その時は違ったんです。
好きなことはできなくて、好きじゃないことならできたんです。矛盾だと感じました。人間はなんて興味深いんだと感じました。そしてまた眠りに入るのです。
「好きなこと」だけが何故できないのか?
それから何日も何日も眠り続けていると、この矛盾に対するアイデアは、少しずつ少しずつ、しかし確実に積み上がっていきました。そしていつしか支配的な考えに発展していったんです。まるで、ブラックコーヒーに注いだ少量のミルクが、徐々にコーヒー全体の色を変えていくようにです。
“「好きなこと」だけはできなくて、好きじゃないことはできる”。これはどう考えたって間違ってる。「好きなこと」に対して無条件のブレーキがかかってる。私はあまりに「常識」と「模範解答」と「平均点」に囚われ過ぎていたのです。
思えばみじめな人生でした。卒業した高校も、卒業した専門学校も、就職した会社ですら、人からの推薦でした。影響を与えるより、影響を受けていた。私は自分の人生をすすんで他人に”お任せ”していたのです。それに対して音楽はみごとに引き算されていました。
怒りとともに獅子の如く勇敢に立ち上がる
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そしてある日、眠り続けてから何か月後のことだったかは定かではありません。とにかく決定的な日が訪れます。
私は布団の中で”怒り”に燃え、感情的になって自分自身に言い聞かせたのです。
「”好きなことはできなくて、好きじゃないことはできる”。そんなのは御免だ。間違ってる。もしそうなら、死んだも同然だ!私は“好きなことだけをやって、好きじゃないことは一切やらない”。そうあるべきだ。そうじゃなきゃ、この世界は間違ってる!」と。
その日、私が私自身に強烈な”怒り”のパワーをぶつけたとき。そして、私の心に初めて情熱の炎が灯ったとき。その炎によって周囲が明るく照らし出されたとき、私はもう一度、獅子の如く勇敢に立ち上がることを決めました。
“好きなことだけをやって、好きじゃないことは一切やらない”。私はそれを自分で自由に選択できることを理解したのです。私はその日、初めて人生の”正しいものさし”を手に入れました。25年目にして初めて人生のスタートラインに立ったのです。
あの日、私が怒りとともに獅子の如く勇敢に立ち上がったとき。同時に1つの決意をしました。この時、私がマンションの一角で人知れず決意したことは、その後の人生の全てを変えてしまうような決意でした。
それは「自分の人生に責任を取る」という決意でした。
思い出す憧れのセリフ
photo credit: D. via photo pin cc
「自分の人生に責任を取る」
この確固たる決意を持って立ち上がって以来、定期的に思い出すセリフがあります。布団の中で「時間よ、過ぎ去れ!」と恐怖に震えていた頃、眠りに落ちるまでの暇つぶしとして見ていた映画のセリフです。
パニックものの映画で、クライマックスで主人公の牧師が命がけの試練を前にしてこう叫ぶのです。思えば、私はずっとこうなりたかったのかも知れません。力強い言葉です。
「神よ、どうか御救い下さいだなんて言いません!神よ、どうか私の邪魔だけはしないで下さい!!」と。
貴下の従順なる下僕 松崎より