承認欲求を満たそうとするのは何故いけないのか?~書評「嫌われる勇気」by岸見一郎、古賀史健~

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数年前から今現在に至るまで、我が成長における大きなテーマが「承認欲求からの脱却」でした。

誰かに認められたい!多くの人に認められたい!こういった承認欲求は誰しもが持つ普遍的な欲求ですが、この衝動的な欲求に安易に従うのは危険だと直感的に感じていたからです。ただ、この危険性と対処方法がうまく整理できず、実に歯がゆい思いをしていました。

そんな中で出会った「嫌われる勇気」という本の中で、承認欲求を満たそうとすることの危険性が見事に文章化され整理されていました。本書はアドラー心理学を紐解きながら、承認欲求を明確かつ痛快に否定してくれます。Cooooool!

本書の内容をまとめながら、承認欲求を満たそうとするのは何故いけないかを整理していきましょう。

承認欲求を満たそうとするのは何故いけないのか?

承認欲求に従い承認欲求を満たそうとすることは、大きく2つの点において有害です。

1.「アメとムチ」に代表される賞罰教育の悪影響

承認欲求は「人に褒めてもらい、報酬を貰うために良い行いをする」という考えに基づいています。

しかし、この考えを尊重するということは、視点を変えれば次の考え方も肯定することになります。「褒めてくれる人が居なければ適切な行動をとらない」「罰する人が居なければ不適切な行動もとる」といった考え方です。これは人を誤った道に走らせる危険性を含んでいます。

承認欲求を満たそうとすればするほどコンパスの針が狂うというわけです。結果的に、人生の目的を無視し、誤った方向へと進むことになるでしょう。

2.我々は他人の期待を満たすために生きているのではない

承認欲求はより多くの他人の期待に応えることを求めます。しかし、人は本来他人の期待を満たすために生きているわけではありません。もしそのように生きるとすれば、他人の行動を無理やりコントロールしようとすることになるでしょう。

なぜなら、私が何をするかは自分の行動ですが、それを他人が認めるかどうかは他人の行動だからです。言うまでもなく、他人の行動をコントロールすることはできません。コントロールできないものをコントロールしようとすれば、胸が引き裂かれる思いをすることになるでしょう。

自分の行動より他人の承認を優先しようとすれば、全ての人の期待に応えようとすることになります。いずれ二枚舌を使わざるを得なくなります。最終的には、自分自身に対しても嘘をつかざるを得なくなるでしょう。

結果的に自分の行動に集中することができなくなり、自分が本来やるべきことに没頭できなくなります

それはつまり不自由になることなのです。

私たちが目指すべき自由とは?

それでは目指すべき自由とはいったい何なのでしょうか。本書ではこう結論づけられています。「目指すべき自由とは、承認欲求のような衝動的な欲望に抗うこと」

承認欲求を振り切って人から嫌われる勇気を持てば、自由の名のもとで自分の生きがいに没頭することができるようになるわけです。これこそ、私とあなたが目指すべき自由です。

一点勘違いして頂きたくないのは、誰とも関係を持たず孤独に暮らせと言っているわけではないということです。アドラー心理学では承認欲求に抗いながらも、共同体に対して積極的にコミットしていくことこそが自由かつ幸福な生き方だと説いています。

続きは以下の本書を手にとってみてください。

貴下の従順なる下僕 松崎より

著者画像

システム系の専門学校を卒業後、システム屋として6年半の会社員生活を経て独立。ブログ「jMatsuzaki」を通して、小学生のころからの夢であった音楽家へ至るまでの全プロセスを公開することで、のっぴきならない現実を乗り越えて、諦めきれない夢に向かう生き方を伝えている。