ぼくは、2017年4月に新卒の社員として、ホームページ制作会社に営業職として入社しましたが、2017年12月末に退職することになりました。
勤めていた期間でいうと9ヵ月間。辞めた年齢でいうと22歳です。
そして2018年からは、新しくフリーランスとしての人生がスタートしました。
今回は、ぼくがなぜ生き急ぐかのようにして、会社を飛び出したのか。そして、会社を辞めた後に待ち受けていた現実と、それでもなお持ち続けたロマンについてのお話をしようと思います。
「ここにいてもいい」と思えない時期
「辞めたいです」と社長に言ったことは、実は2回ありました。
最初に申し出たのは、入社して3ヵ月ほどが経った2017年7月。理由は、単純に仕事が辛かったからです。
社内のメンバーはとても優しく、ミスしても怒らずに丁寧に指導してくれる、そんな環境でした。
ただ、初めて経験する営業職で、毎日120本見知らぬ人に電話をし、ホームページの提案をし、断られ、ときに怒鳴られ、成果がまったく出ない期間が丸3か月続きました。
「成果が出ないのに会社に居続けていいのかな」、その思いが次第に強くなっていきました。
周りはもちろん励ましてくれ、明るく声をかけてくれます。「まだ3ヵ月だししょうがないよ」という温かい声もかけてくれました。
でも、ぼく自身が「ここにいてもいい」ということを感じられなくなっていたんです。
「ろくな成果も出してないのに、ここにいてはいけない」、そんなふうに思ってました。
この時期に一度、辞めたいという旨を社長に伝えたのですが、このとき辞めなかったのは「もう少し頑張ればもっといろんなことを学べるんじゃないか」という、暗闇の中にもわずかな光があったからです。
2種類の大人の背中を見て育った新卒社員
2017年の4月に入社したとお伝えしましたが、ちょうど同じ4月から”ライフエンジン”というオンラインコミュニティの運営メンバーに参加させてもらっていました。
当時、ほかの運営メンバーはみな個人事業主として働いていたのです。なのでぼくは、2つのタイプの違う大人たちの背中を見て、新卒の期間を過ごしていたことになります。
- 経営者とそのメンバーという形で、組織として働く大人たち
- 個人事業主として働く大人たち
そして、ぼくは「自分で舵を取る人生っていいな」と。目の前でありありと大人たちの背中を見続けて、ぼくの中に芽生えたのはそのような感情でした。
時間の使い方も、一緒に働く仲間も、取り組む事業もすべて自分で舵を取る、そんな個人事業主の大人たちに、ぼくは強く魅了されていきました。
そして、その憧れが抑えられなくなったのが、2017年の12月。2回目の退職を告げた月です。
「辞めさせてください」という言葉に対して、咎められることは分かっていた
憧れが強くなって、「このままでいいのか」という思いがふつふつと湧き出てきました。
一度この考えを抱いてしまうとやっかいなもので、もう頭からこびりついて離れなっていきます。
そして怯えながらも会社に告げました。
「辞めさせてください」
仕事も順調になってきて、営業という職自体にも、苦しいと感じることは少なくなっていました。会社で学ぶことはたくさんあると感じていて、それはいつになっても変わらない考えです。
でも、それよりも手にしたいものが出てきてしまいました。
「ここで逃げたら負け癖がつくぞ」
「ここで踏ん張ることが将来につながるはずだよ」
頭では分かります。言っていることはちゃんと理解できます。でも、昔から自分の中に一つだけ堅く決意した指針がありました。
それが「行動は自身の感情で決めよう」というものです。
会社に勤め続けることで、将来役に立つことも出てくるでしょう。将来の事業がうまくいく秘訣を学べるかもしれません。でもそれらに対して、感情以上に大切なものだとは思えませんでした。
ぼくにとって重要なのは感情です。自分がどう感じているかです。その先の未来に燃えるか燃えないかです。
そして、ぼくが燃え上がるのは、自ら大海原に舟をこぎ出す未来でした。そうしてぼくは、社長が作ってくれた大きな船から降りることを決意しました。
会社を辞めた後に待ち受けていた実際の話
独立することに対して不安はなかったかというと嘘になりますが、それ以上に、これからのフリーランスとしての生活にワクワクしていました。
もちろん、ただワクワクするだけでなく、まず今を生き延びていかなくてはなりません。
ぼくは収支を細かく把握するのが好きなのですが、どう考えても今後は赤字。どうやって稼いでいけばいいかの検討もついていません。当時の貯金と合わせて計算すると、3ヵ月間も持たないことがわかりました。
独立しようと決意して、実際に独立して、フリーランスとしての生活が始まった、そしてすでに始まったそのときでも、収入の目途はまだ立っていない状態でした。
若気の至りで、無謀な挑戦をしているだけかもしれません。でも、そんな中、一つだけ胸を張れることがありました。
それが「ともに冒険をしてくれる仲間」がいたことです。
仕事という名目で金銭的な支援をしてくれる人、チャレンジする機会を与えてくれる人、一緒にチャレンジしてくれる人、精神的に支えてくれる人。彼らの直接的な支援がなければ、今ごろ途方に暮れていたと断言できます。
この記事を書いている今、独立して3か月が経過しましたが、独立したての頃の計算を覆すことができ、貯金が底をつくことはまぬがれました。
収支は今現在でも2万円ほどマイナスですが、それでもなんとか食っていくための見通しが立ってきたところです。
この状態になれたのも、他でもなく「仲間」がいたからだと思っています。
仲間と表現すると友情物語のようですが、独立時に持っていたぼくの中で一番価値のある財産は、貯金でもなくスキルでもなく、「仲間」でした。
恩を受けたという感情を抜きにしても、会社を飛び出すときに必須のものは「仲間」だと思います。
「仲間がいる状態」というのは、現実を変える強力な力を持っている状態だと、ぼくはそう思います。
フリーランスへの憧れだけで会社を飛び出した22歳のロマン
周りの会社から独立して仕事をしている人たちに憧れて、その憧れの気持ちを抑えきれずに、新卒で入った会社を9ヵ月で飛び出しました。
金銭的には一気に苦しくなりましたのは言うまでもありませんが、ただ、それでも幸福度は高かった。
自分で自分の舵を切ることは、まるで冒険のようで、危険だけどそこにはロマンがあって、そのロマンを追うことには、今でも胸が躍っています。
そして今、ぼんやりと思い描いている未来は、親しい仲間たちと集まって何かプロジェクトに取り組んでいる光景。
「何をやりたいか」という具体的なものはまったく見えていませんが、「誰と一緒にいたいか」は、くっきりと見えています。
それぞれがそれぞれの才能をのびのびと活かし合うことで大きな相乗効果を生み出し、それでいて困難も喜びも平和もみんなで分かち合える、そんなメンバーと一緒にいられたらどんなにいいだろうなぁと。
そんな未来を時折妄想しつつも、シビアなお金の工面も考え、その両方を繰り返して少しずつ仲間と共に現実を動かしていく。
フリーランスになってからというもの、恐怖や不安、喜びや安心など、多様な感情が混ざり合った日々に変わりました。そして、それが「こんなにも生きている心地がするものだったのか」と、常々感じ続けています。