いま100点満点の生き方をしていないとしたら、それはなぜだろうか?

Gay Pride Parade New York City 2011
photo credit: Gay Pride Parade New York City 2011 via photopin (license)

私の愛しいアップルパイへ

先日、ブログの書き方からフリーランスとしての働き方まで教えこんでくれた我が心の師に、新しく始めようと企画していた仕事について相談に乗ってもらったとき、こんな会話をしたんです。

「ヘイ、小僧。次のBarに行く前に1つ教えてくれよ。いったいその仕事は貴様にとって何点なんだ?貴様にとっての作曲やライブを100点としたらよ、その仕事は何点なんだ?」

私は、しばし考えこみました。私にとって、作曲やライブに匹敵するほどの仕事はあるのだろうか(否、ない!)。私は率直にこう答えました。

「70点でしょうか?」

師は即座に答えました。

「フン、ならばやらん方が良いな

100点満点中73点の生き方でいいのだろうか?

ときを同じくして、ジェームス・スキナー氏の「100%」を読み返していたところ、以下の一節が目に留まりました。

あなたの人生は何%だろうか。

そして、それでいいのだろうか。

100% by ジェームス・スキナー

そして、章の末尾にあったシンプルなワークをやってみたのです。結果はこうでした。

今の健康状態 → 70%
今の金銭状態 → 80%
今の人間関係 → 80%
今の時間のゆとり → 60%

これからは何パーセントにしたいか? → 100%

平均して73%。73%の人生。100%ではなく!73%!

いま100点満点の生き方をしないのは何故なのか?

私はここ数年で人生の満足度が格段に上がったと感じていました。恐らく3年前にこのワークをやったら、30%か40%だったでしょうから。

確かに納得のいかない点や、行き届いてない点だってありましたが、100点満点に向けて精一杯の努力をしているつもりでした。ですから、100点満点でなくとも実にハッピーだと思いこもうとしていました。いえ、それはもう自分でも気づかないくらい完全に思い込んでいました。100点満点と思えないところはあっても十分だって。

しかし、冒頭の師の言葉とワークを通して気づいてしまったのです。いま100点満点でないってことは、何かに妥協しているってことなんだと。

100点満点を目指しているのに、いま73点で満足しようと自分に言い聞かせているのはなぜなのか?それは時間や環境の問題でないことだけは確かです。

27点分、いったい何を待っているのか?いったい何のブレーキを踏んでいるのか?いったい何を避けているのか?

私はいま大きな変革の出発点に居るのだと感じました。

貴下の従順なる下僕 松崎より

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システム系の専門学校を卒業後、システム屋として6年半の会社員生活を経て独立。ブログ「jMatsuzaki」を通して、小学生のころからの夢であった音楽家へ至るまでの全プロセスを公開することで、のっぴきならない現実を乗り越えて、諦めきれない夢に向かう生き方を伝えている。