大好きなことをやる以外に成功する方法はない

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私の愛しいアップルパイへ

自分が偉大だと認める目的にそってぶっ飛んだ成果をあげることを「成功」だとするのなら、誰もが成功を目指しているといえるでしょう。これは仕事だけの問題でなく、家族関係や健康の問題も含みます。

そして、あなたのような貪欲なお人であれば、人一倍この気持は強いでしょう。「その成功のために最重要な要素はなにか?」と聞きましたか?この私に?ハッ…いや、後ろには誰もいない…この私に聞いたんですか?あなたほどのお人が?この私に助言を?人生ってのまことに奇想天外なものです。

罪悪感で諦めた2つの大好きなこと

小学校に入る前、私が最初に大好きなことに出会ったのはゴム人形で遊ぶことでした。名前も知らない親指くらいのサイズのキャラクター人形をいくつも買いためては、毎日のように両手でゴム人形劇を主催していました。

部屋はゴム人形だらけで文字通り足の踏み場のないほどでした。「純ちゃんの部屋は足の踏み場もない」ってよく祖母に怒られたものです。私は誰に求められるでもなく、自室にこもっては毎日毎日劇の設定を考えて、ゴム人形劇に没頭していました。セリフも効果音も自前です。

そのゴム人形劇が終焉を迎えたのは小学六年生の頃でした。「ゴム人形で遊ぶなんて子供のやることだ」という家の内外からの無言のプレッシャーを敏感に感じ取った私は、大変な努力をしてそのゴム人形劇と決別を果たしました。ゴム人形のことを考えないよう考えないよう努力しました。結果、小学六年生でこの誰に観られていたわけでもないゴム人形劇はひっそりと終幕となったのでした。

それから、もう1つ大好きだったのはテレビゲームでした。当時はファミコンと呼ばれるテレビゲームが発売されはじめた頃だったため、子供のなかでは一大ムーブメントになっていました。

その例に漏れず私もテレビゲームに没頭しました。しかし、世間の「テレビゲームは子供を堕落させる」という風潮は我が家にもやってきて「テレビゲームは1日1時間まで」「テレビゲームは宿題が終わってから」「テレビゲームより外で遊ぶほうが偉い」といったルールが整備されていきました。

結局「テレビゲームをやるくらいだったら他のことに時間を使え」という風潮にならって、中途半端にゲームをしては悶々としていたものです。

幸いなことに私は同じく大好きな音楽の道を歩むことに決めましたが、いま思えばゴム人形劇もテレビゲームも音楽に勝るとも劣らないほど大好きなことでした。

我慢料をいくらもらっても良い結果はでない

私が長らく勘違いしていたのは、人からの厳しい要求に耐え忍びながらも応えることで、人より多いご褒美がもらえるものだと思っていたことです。我慢料を糧にするような生き方です。

つまらない授業を黙って受けていれば成績があがる。面倒な家事を手伝えば褒めてもらえる。終電近くまでボロ雑巾みたいに働けば上司に一目置いてもらえる。といった具合です。

ここには2つの重大な落とし穴があります。1つは我慢しているようでは自分の力を発揮できないので、結局中の下の結果しかでないこと。そしてもう1つは、人が本当に求めているのは想像以上のなにかなのに、我慢しながら要求に応えているようでは想像の範囲内のことしかできないということ。

結局のところ、自分にとっても他人にとっても利のない選択になってしまうのです。

誰でもできることを、誰にもできないほどやる

結果に必要なのは行動です。ですから、ぶっ飛んだ成果をあげるには、ぶっ飛んだ行動が求められます。では、ぶっ飛んだ行動とはなにかというと、時間を忘れて没頭できることです。それはそうでしょう。片手間でしかできないこと、暇で暇でしょうがないときにしかやろうとは思えないことでは、ぶっ飛んだ行動にはなりませんし、故にぶっ飛んだ成果にもつながりません。

安易に勘違いしがちなのは、ぶっ飛んだ成果に必要なのは誰にも真似できないような大それたことをやることだと錯覚してしまうことです。これだと出口のないトンネルに嵌まり込んでしまいます。本当に結果につながるのは、誰にも真似できないことをやるのではなく、誰にでも真似できるようなことを、誰にも真似できないほどやることです

ですから、時間を忘れて没頭できること。トイレを我慢してまで続けてしまうこと。どんなに時間がなくても、それだけはやってしまうこと。人からやめろやめろと言われているのに、ついやってしまうこと。恥ずかしくてやめたいのに、やめられないこと。気づいたら何年も何年も続いていること。こういったことに無限の可能性が眠っています。

そう考えると、大好きなことをやる以外に手段はないという結論になります。前述したような働き方、つまり我慢しながら嫌々やっているようなことではそこそこの結果しかでないものです。なにより続かないでしょう。嫌々やっているのに、そこそこの結果しかでないし、ついには挫折してしまうなんて!不幸!

詰まるところ、成績があがらないのも、仕事で結果がでないのも、部屋が汚いのも、大好きなことではないからなのです。もしそれらでぶっ飛んだ成果をあげたいと思ったら、大好きなことと一致させるか、それを諦めるかするのが一番の近道です。

最近になってよく思うんです。私は1日1時間とはいわずにずっとテレビゲームをやっていれば良かったですし、恥ずかしげもなくずっとお人形遊びをしていれば良かったのです。どちらも胸を張って続けていればよかったし、どちらも続けていればおそらくぶっ飛んだ成果をあげていただろうといまは確信しています。

貴下の従順なる下僕 松崎より

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システム系の専門学校を卒業後、システム屋として6年半の会社員生活を経て独立。ブログ「jMatsuzaki」を通して、小学生のころからの夢であった音楽家へ至るまでの全プロセスを公開することで、のっぴきならない現実を乗り越えて、諦めきれない夢に向かう生き方を伝えている。