世界史・音楽史の聖地が集結したドイツ有数の都市ライプツィヒを観光してきたのでその歴史をまとめる

バッハが活躍したトーマス教会

私の愛しいアップルパイへ

そうですか。私が今までとは違う色のオーラを見にまとっていることにお気づきですか。さすがです。

何を隠そう私はドイツ・ベルリンからバスで二時間ほど、ライプツィヒに残る数々の伝説的な地を巡ってきたのです。その中で私は素晴らしい霊感に包まれてきました。

ライプツィヒには歴史上、極めて重要な遺産が数多くあります。これから2回に渡ってライプツィヒの素晴らしさをお届けしようと思っている次第です。

今日はまずライプツィヒという都市の紹介をさせていただきましょう。

ドイツ有数の都市「ライプツィヒ」とは?

ライプツィヒという名前は聴いたことがあるがどのような土地なのかよく分かっていませんか?よろしい、まずは簡単にライプツィヒという都市の紹介と、その輝かしい歴史についてまとめておきましょう。

ライプツィヒはドイツのザクセン州にあり、ザクセン州の州都ドレスデンを上回るほどの大都市となっています。都市の歴史は古く、神聖ローマ帝国時代の1165年には既に都市権・市場権を獲得しています。

ライプツィヒはヨーロッパの南北、東西を結ぶ中心地にあるため、古くから商都として栄えました。 市内最初の教会・ニコライ教会が創建されますが、聖ニコラウスは商人の守護聖人であるためです。

ニコライ教会

ニコライ教会

 

都市の発展とともに音楽も発展し、音楽の都として機能します。アウグスチノ会トーマス修道院(現・トーマス教会)ではかの大バッハ(ヨハン・ゼバスティアン・バッハ)が音楽監督を務め、ライプツィヒ市の音楽監督として活躍したことはあまりにも有名です。

トーマス教会内のバッハのお墓

トーマス教会内のバッハのお墓

それ以外にもメンデルスゾーンやシューマン、ワーグナーなど、歴史に名を残す偉大な音楽家たちが活動した土地として知られています。18世紀には世界初の民間オーケストラ「ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団」が発足しています。

ドイツで二番目に歴史あるライプツィヒ大学には若きゲーテが通い、ニーチェやシューマンも同学校に通いました。ライプニッツが教鞭を執った学校としても知られています。シラーは25歳の時にライプツィヒを訪れ、当地での暖かい歓迎に感動してベートーヴェンの第九などで知られる詩『歓喜の歌』(An die Freude)を書いた場所でもあります。

メンデルスゾーンが住んだ家

メンデルスゾーンが住んだ家

古くから印刷技術が発展していたことでも知られ、世界で最初の音楽出版社ブライトコプフや楽譜出版社ペータース、レクラム出版社がライプツィヒで創業しました。

歴史的にも重要な土地であり、マルティン・ルターがカトリック教会の贖宥状(免罪符)販売を巡って教皇庁の論客と討論し、プロテスタント発足へと至る宗教改革の転換点となった「ライプツィヒ討論」が行われた地でもあります。

19世紀にはナポレオン戦争中最大規模の戦いとなった諸国民戦争(ライプツィヒの戦い)が行われ、20世紀にはベルリンの壁崩壊へと導いた住民運動の発祥地であるなど、数多くの歴史的な事件の舞台にもなっています。

ライプツィヒの輝かしい歴史

そんな素晴らしい都市ライプツィヒについて、これまでの歴史を時系列で簡単にまとめてみました。

  • 1165年:商人たちの守護聖人である聖ニコラウスに捧げられた市内最初の教会・ニコライ教会が創建
  • 1212年:アウグスチノ会トーマス修道院(現・トーマス教会)とそれに付属するトーマス学校、トーマス教会少年合唱団が創設
  • 1409年:アウグスチノ会トーマス修道院内にライプツィヒ大学が開学。現在のドイツ国内でハイデルベルク大学に次いで2番目の歴史を持つ。
  • 1481年:ライプツィヒでも本の印刷が開始
  • 1517年:マルティン・ルターが95ヶ条の論題を発表。カトリック教会の改革を求める宗教改革運動が始まる
  • 1519年:ルターがライプツィヒでカトリック教会と信仰をめぐる論争を繰り広げ(ライプツィヒ討論)、町は後に彼によってプロテスタント化
  • 1650年:世界初の日刊紙がライプツィヒに登場する
  • 1711年:ドイツ最古のコーヒー店「カフェバウム」がフランスのパリに次いでコーヒーを提供したとして知られる
  • 1719年:世界で最初の音楽出版社ブライトコプフ創業
  • 1723年:ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(大バッハ)がトーマスカントル(音楽監督)に就任
  • 1743年:世界初の民間オーケストラ、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団が発足
  • 1785年:シラー来訪。『ドン・カルロス』や『歓喜に寄す』を書く
  • 19世紀:ナポレオン戦争の戦乱から復興後のライプツィヒは商業と並んで学芸、とりわけ西洋音楽における中心地として栄華を極める。ウィーン、パリと共にヨーロッパを代表する音楽の都として名を馳せ、この時代にメンデルスゾーンやシューマンらが活躍
  • 1800年:楽譜出版社ペータース創業
  • 1813年:ナポレオン戦争中最大規模の戦いとなった諸国民戦争(ライプツィヒの戦い)が行われる。同年、ライプツィヒでワーグナー誕生
  • 1828年:レクラム出版社創業。後に日本の岩波文庫が手本にしたと言われている出版社
  • 1834年:シューマンによって「音楽新報」が創刊
  • 1843年:メンデルスゾーンによってドイツ初の音楽高等学校であるライプツィヒ音楽院(フェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディ音楽演劇大学ライプツィヒ)が創設される。同校における日本人留学生第一号は瀧廉太郎
  • 20世紀:ドイツ帝国・ヴァイマル共和国有数の大都市として更なる拡大を見せ、1931年には人口71万9千人を数える(現在までの最高記録)
  • 1989年:東ドイツ時代末期にニコライ教会での集会を発端とする「月曜デモ」と呼ばれる反体制運動が起き、これが東ドイツにおける民主化運動の出発点となった。当地の市民蜂起に始まり、ベルリンの壁崩壊、そして東西ドイツが犠牲者を出すことなく統一された一連の出来事は、現在東欧革命の一部として「東ドイツ平和革命(Friedliche Revolution)」と呼ばれる

ライプツィヒの名所を効率的にまわるなら「音楽軌道」がオススメ!

このようにライプツィヒは数々の歴史的な大事件の舞台となった街でありました。そのため、かなり多くの観光名所が点在しています。初めてライプツィヒに訪れると、どこをどのように巡るか迷ってしまうくらいです。そんな方のためにライプツィヒは「音楽軌道」というものを用意してくれています。

全部で23のスポットを効率よく回れるように設計された観光コースで、ライプツィヒ駅付近で都市の素晴らしい歴史を体感できるコースです。

私も実際にこの音楽軌道を回って来たので、実際の様子をお届けしようと思うのですが、残りのスペースがわずかになって参りましたので次の記事でまとめるとしましょう。

貴下の従順なる下僕 松崎より

著者画像

システム系の専門学校を卒業後、システム屋として6年半の会社員生活を経て独立。ブログ「jMatsuzaki」を通して、小学生のころからの夢であった音楽家へ至るまでの全プロセスを公開することで、のっぴきならない現実を乗り越えて、諦めきれない夢に向かう生き方を伝えている。