いついかなるときであろうと、もう手遅れなんてことはない

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私の愛しいアップルパイへ

先日、音楽活動ブログ「jMatsuzaki Factory」にて、私が音楽家へと向かうまでの自分史についてお話しました。

ここでは私が音楽家へ向かうまでの11本の分かれ道について話ました。私は、小学生の頃から夢へと続くいくつもの分かれ道を前にしながら、20年経った11回目の分かれ道でようやく自分の夢に誠実に生きる決意ができたのです。

この記事を書いているとき、1本1本の分かれ道について当時の様子が鮮明かつ強烈に蘇ってきました。そして、1つ思い出したんです。この愛すべきブログに込めたメッセージについてです。

いついかなるときであろうと、もう手遅れなんてことはない

上記の記事を読んで頂ければ分かる通り、私は何かと理由をつけて夢を避けてきました。自らの夢を真正面に捉えて、自分の人生に責任を負うのが怖かったんだと思います

とにかく犠牲者でいたかったのでしょう。俺には才能がある!ただ、機会に恵まれなかっただけだ!俺は悪くない!!と。そうすれば夢破れたときの言い訳ができるからです。夢に向かう前から夢破れたときの言い訳を考えるなんて、なんと滑稽な人生でしょう。

「いつかやりたい」という憧れは、夢へと向かう道を何度も通り過ぎていくうちに「かつてやりたかった」という後悔に変わっていました。情熱の炎を燃やしてもいないうちに!

あの悶々とした青春の中で私が胸のうちに抱いていたのは「もう手遅れだ」という感覚でした。

せめてあのとき吹奏楽部に入っていれば良かった、せめてあのとき家族に夢を打ち明けておけば良かった、せめてあのときバンドを組んでおけば良かった、せめてあのとき音楽学校を受験すれば良かった、せめてあのとき音楽業界に就職すれば良かった、せめてあのとき、、、、、過去の分かれ道を思い返す度に「もう自分は手遅れだ」と嘆きました。

ようやく自分の夢に向かう決意が固まったのは25歳の頃でした。それも「やるべきことか?好きなことか?」というジレンマの中で胸を引き裂かれ、夢を諦めようとする直前でした。

あのとき、幸いにも私は諦めきれない夢に向かう道を選択しました。そして、システム屋から音楽家へ、その最後の悪あがきをすべて記録するためにこの愛すべきブログを開設したのです。

このブログには2つのメッセージを込めました。1つは「夢を現実化する方法は必ずある」ということ。そしてもう1つは「いついかなるときであろうと、もう手遅れなんてことはない」ということです。

どちらも根拠のない確信でしたが、それから今まで、この信念は私を強烈に支えてくれました。思い出した記念に、この場であなたにあらためて言っておきます。

いついかなるときであろうと、もう手遅れなんてことはない

貴下の従順なる下僕 松崎より

著者画像

システム系の専門学校を卒業後、システム屋として6年半の会社員生活を経て独立。ブログ「jMatsuzaki」を通して、小学生のころからの夢であった音楽家へ至るまでの全プロセスを公開することで、のっぴきならない現実を乗り越えて、諦めきれない夢に向かう生き方を伝えている。