私の愛しいアップルパイへ
2020年1月1日より、我が愛すべきYoutubeチャンネルで動画を投稿し始めたことはあなたもご存知の通りです。
この動画という新しい表現に私は水浴びするメジロの如く嬉々として取り組んでいますが、なかでも自分の基本的な価値観を新しい表現であらためてアウトプットし直すプロセスは格別です。
本日新たに公開した動画はまさにそのようなものでした。このjMatsuzakiめの原点に立ち戻り、声と立ち振る舞いによって改めて表現し直しました。この動画でお話ししたことは8年前に私がこの愛すべきブログを立ち上げた時に最初に掲げた基本的な信念でした。
夢破れた者が夢実現の道を語る矛盾
この愛すべきブログを立ち上げるにあたって、私は最初に根本的な矛盾に陥りました。それは、これから夢実現へと至るべく私が発見した方法を語ろうというのに、当時の私自身は夢を実現できたといえるようなものは何も持ち合わせていなかったのです。
私は新卒で夢を安易に放り投げて、そのような生き方にうんざりした私は諦めきれない夢へと向かう最後の悪あがきを始めることにしました。
しかし、そのようなまだ何もなし得ていないような人間の情報を誰が欲するのだろうかと、立ちすくんでしまいました。無論、自分のためにブログを書くことを重視していた私は、この悩みに答えを出すことなく取り組むこともできたのですが、私はこの素朴な疑問と向き合うことにしました。
夢を叶えるより、夢に向かう
言うなれば私は夢を叶える方法を知らない夢想家でした。これは日陰の日時計みたいなもので、あなたに伝えられるようなことは何もないのではないか?この愛すべきブログを立ち上げる直前に私を悩ませていたのはそういった不安でした。
安易に夢を放り投げて数年、「こんなはずじゃなかった!」と立ちすくんで叫んだ私は自信を無くしており、この不安に拍車をかけました。
「jMatsuzakiよ、もう辞めておけ。お前の考えを世に問うてみたところで、何様だと笑い者にされるのがオチだ。悪いことは言わない。大人しくしておけ。そうすれば惨めな思いをしなくて済む。」と、悪魔の甘い声が聞こえてきました。
そこで諦めなかったのが私の偉いところです。私は今一度、大理石像の如く冷徹になって自分の願いに耳を傾けました。心の奥底からか細い声で聞こえて来たのは、夢が叶うかどうかより、まず夢へと向かい始めること。それだけでも十分だということでした。これこそが私の真の願望でした。
そして、それがいかに難しいことであり、意義あることなのかも経験から十分に理解していました。
生まれてから最初の25年間。私にとって夢が叶うことよりも、夢へと向かうことの方がずっと重要でした。なぜなら、叶うかどうか分からない夢を前にして、ビクビクと夢から逃避していた人生だったのですから。私が悩んでいるのなら、きっと同じうような悩みを抱えている人はいるはずでしょう。
それに、夢を叶えるプロセスはマラソンとは違います。明確なゴールに向かって一直線へと突進するようなものではないのです。むしろダンスに近いものでしょう。最終的にどこに到着するかは分かりませんが、それはさほど重要なことではないのです。
考えてみれば、偉大なリーダーというのはだいたい夢へと突き動かして来た人たちばかりです。ビートルズであれキング牧師であれ、彼らが偉大だったのは夢を叶える方法を事細かに指示したからではなく、人々に夢へと向かう勇気づけをしたからではありませんか。
夢を叶える方法ではなく、夢へと向かう方法ならばその時の私にも十分に伝えるべきようなことがあると感じられました。
こうして不安を振り払い、吹っ切れた私は悪魔を退け、胸を張ってこの愛すべきブログを開設したのでした。以来、この発見は私の信念となり、適切に私を導いてくれたのです。
▼この発見の背景となる物語についてBurning!に語ったのが以下の動画です。きっとあなたのグルメな舌にも合うと思います。
貴下の従順なる下僕 松崎より