人は自分の夢をすっかり忘れてしまうことがある〜ドイツ・ベルリンへ海外移住を決めた時の話〜

私の愛しいアップルパイへ

夢!これほど甘美な竪琴のように脳髄に響く言葉があるでしょうか?たとえ現代に思想警察が居たとしても、夢に対するこの私の気持ちを抑えることはできないことでしょう。

しかし現実というのは決して素晴らしい出来事ばかりではありません。ある日、狼もゾッとするような現実にふと気がつくような時だってあります。

なぁに、まわりくどい話をしようって訳じゃ無いんです。今日は人間に宿りし想像力なる素晴らしい力がもたらす夢という最高に価値あるものを、人は時にすっかりと忘れてしまい、見えないようにと脳の奥の押し入れに見えないようにしまっちまうことがあるってことなんです。ジーザス…!

忘れられないほど好きなことを夢というのではないのか?

あなたは私にこう聞くでしょうか?

夢をすっかり忘れるだなんてまったく馬鹿げたことのように思えます。およそ人間にとって夢というのは、やりたくて仕方ないものであり、大好きなものであり、忘れたくとも忘れられないもののことを言うのではありませんか?

もしあることをすっかり忘れてしまったというのなら、それはさほど強い望みだったわけではなく、自分にとって取るに足らないものだったのではありませんか?

なるほど確かにそれは正しいように思えますし、実際のところ私もかつてはずっとそう思っていたのです。しかし、対象が何であれ、忘れることには一定の効能があり、夢を忘れることにもやはりそれなりの合理性があったのです。

まったく人間の頭ってやつはよくできています。自分を騙すことに関しては天才です。

海外に移住する夢をすっかりと忘れることにした幼少期

私は幼少期から映画が大好きで、小学校に上がる前後からアニメではなくハリウッド映画を観て過ごしていたものです。休みの日は昼間から地上波で流れていた「ゲッタウェイ」を観てスティーブ・マックイーンに憧れたり、「ラスト・アクション・ヒーロー」を観てアーノルド・シュワルツェネッガーに憧れたりしたものでした。小学校の授業中に好きなテレビ番組を聞かれ、「洋画劇場」と答えて笑われたものです。

いつしか西洋文化の映画や音楽は私にとって特別な意味を持つようになりました。ひどく窮屈で退屈に思える人生の中で、彼らの振る舞う貪欲で利己的な自由の味は、たいそう美味でした。

行ってみたい!あの景色に混ざりたい!直接会話してみたい!でも、どうやって?海外に行って生活できるかどうかなんて幼少期では想像もできません。ティーンエイジャーになってからも実現手段は分かりませんでした。

私はいつか、憧れの文化を“酸っぱい葡萄“だと思うことにしたのです。イソップ童話の狐が、己が手にすることのできなかった葡萄を酸っぱくて美味しくないモノに決まっていると負け惜しみを言ったように。

どうせ行けやしない。どうせ住むことはできない。話すこともできない。考えてもみろ、そもそも言語が違うんだ。体格だって違う。食文化だって違う。健康を害すかも?大体あんな気の利いた会話がお前にできるか?ジョークが言えるか?ずっと気を張ってないといけないぞ。実際に行ってみたところで疲れるだけだろ。金だっていっぱいかかるぞ。お前には合っちゃいないのさ。

てな具合です。

海外での生活や西洋文化に対する憧れや、行ってみたいと思う気持ちを抑え込むのが苦しくなって、私はそれらが実際には自分の体や性格には合わないものだと信じ込むようになり、観ているだけで満足する方が自分にとって幸福だと考えるようになったのです。試してもいないのに!!!

そのような“酸っぱい葡萄“戦略を身に付けたのが10歳前後から10代前半の頃で、それからは西洋文化への憧れの気持ちを押し殺すのは歯を磨くより簡単になりました。いつしかそのような願望があること自体忘れてしまっていたのです。

手に入らないおもちゃの事ばかり考えていたら苦しいじゃないですか。そういうことです。

串カツ田中で海外移住の夢を思い出した時の話

時が経って30歳を迎えた頃、私は新卒で務めた会社を辞め、独立して5年が経った頃でした。フリーランスの仕事は順調に育ち、先人から法人化した方が良いとアドバイスされて会社を設立しました。学生やサラリーマンの頃よりずっと自由になって、できることの範囲が広がりました。

加えて、ちょうどその頃は約10年ぶりに自らのバンドを結成し、2度のワンマンライブを成功させた後で、燃え尽きを感じていた頃でもありました。

そこそこ順調。そこそこ満足。そこそこ幸せ。そこそこうまくいってる。そこそこ…そこそこ…

ガッデム!

”そこそこ”なんて私がもっとも嫌悪する言葉です。”そこそこ”だなんて!災なるかな!つまり人生が膿んでるってことじゃありませんか!

そんな中、当時一緒に仕事をしていた友人であり今では同じjMatsuzaki株式会社のメンバーであるF太さんから海外移住したブロガー友達の話を聞いたり、友人から時おり国内や海外への旅行に誘われたりする中で言語化し難いソワソワする感覚を覚えていました。

ある日ふと疑問に感じたのです。「仕事を鑑みても、私生活を鑑みても、東京に住む必然性などまったく無いにもかかわらず、なぜ私は今でも変わらず東京に住んでいるのだろうか?」と。

無論、都内は便利ですし、地元の埼玉も近く、家族や友人も近いです。しかし、居住地という人生を構成する極めて大きな側面について、なぜ深く調べたり試したりもせず“ただ今までそうだった“という理由だけで東京に住んでいるのだろうか?と考えるようになりました。

かような疑問を持ってから数日だったか数ヶ月が経った頃、小学生からの親友でありjMatsuzaki株式会社の共同創業者である盟友KeiKanriと「串カツ田中」というまったくエレガントでジェントルなバーで飲んでいたときに、ふと話題に挙がったのです。

「おお、KeiKanriよ!我々はサラリーマン時代と比べて圧倒的に自由な生活、自由な働き方を実現できているにも関わらず、今だに関東圏にしか住んだことがないのはなぜなのか?まるでマルゲリータしか食べたことがないのに、ピザでマルゲリータが一番美味しいと豪語する愚鈍みたいではないか!今なら海外で住むことだってそう難しくはないだろう。試してみようとは思わんかね?」

自由度が高まってきたことと新しい刺激を求めていた状況に加え、気のおけない友人との対話の中で極度のリラックス状態に入ったことで、今まで“酸っぱい葡萄“戦略によって見事に忘却されてきた夢が堰を切ったように溢れ出てきたのでしょう。

私たちが何かを始める時というのは大体こんな感じなのです。1人でやるには不安があり、実現するのが難しいことがあったら、それを遊びにしてしまって、2人で盛り上がって、本当に実現してしまう。まったく最高じゃないですか。

これを機に話はとんとん拍子で決まり、半年を待たずにドイツ・ベルリンへと移住することになります。

忘れることにした夢は本当に無いでしょうか?

海外移住する決意が決まってから、海外移住に関する考えを整理する中で、今日お話ししたような幼少時に忘れることにした夢についてあらためて思い出しました。これはまったくエキサイティングな出来事でしたが、同時にゾッとするような出来事でもありました。

というのも、私は幼少時の夢を思い出したからドイツ・ベルリンへと海外移住したのではなく、海外移住の選択肢に気づいて実現に向けて動き出してから、ようやくそれが幼少時に夢見たことだったと気づいたのです。

無論、無意識には海外移住への憧れはずっと存在していて、それが行動へと駆り立てたのかもしれません。しかし、現実的に海外移住できる選択肢や情報や条件が揃って注目したことで、ようやく行動に移すことができたのも事実です。

それまで私は20年以上に渡って夢を行動に移すことを諦めるどころかすっかり忘れてしまい、何かを悔しがったり望んだりすることもなく、重要なことだとすら認識することすらできなかったのです。

もし、たまたまあの時期に情報や条件が揃ってなかったら?もし、たまたま当時の生活に疑問を感じてなかったら?もし、たまたま「串カツ田中」に行ってなかったら?今でも海外移住は酸っぱい葡萄のままだったかもしれません。これは夢を実現するのが難しい状況や、諦めなければならない状況より、ずっと恐ろしい状況ではありませんか!

思い返してみれば、これまで私は本来ならば夢であるはずの海外移住にまつわることの多くを、ずっと酸っぱい葡萄として敬遠していたのです。12歳の頃に通った英会話教室がなぜか嫌で嫌でいつもサボろうとしたり、高校生の頃に大好きだった海外アーティストの来日コンサートになぜか行かなかったり、あの時なぜなんな選択をしたのだろうと感じることがいくつもあります。どれも夢を忘れようとした努力が結実した自然反応だったのでしょう。

この経験から私が言いたいのは、人は自分が好きで好きで仕方ないことや、憧れていることや、夢見ていることを、すっかり忘れているかもしれないってことです。そして、それが大人になって現実的に実現可能になってからでさえも、忘れ続けているかもしれないってことです。

世界は時に非情ですが、慈愛に満ちている面もあります。「まだはやい」も「もうおそい」も「いまだから」に変えることができます。

いつであれ、どんなときであれ、忘れていた夢を思い出すことさえできたなら、今から実現することは必ずできるのです。

貴下の従順なる下僕 松崎より

著者画像

システム系の専門学校を卒業後、システム屋として6年半の会社員生活を経て独立。ブログ「jMatsuzaki」を通して、小学生のころからの夢であった音楽家へ至るまでの全プロセスを公開することで、のっぴきならない現実を乗り越えて、諦めきれない夢に向かう生き方を伝えている。