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私の愛しいアップルパイへ
「純ちゃんは大人しくしていたね。良い子だね。」
家族や先生にこのように声をかけられること。これは幼子であった私の最初の成功体験でした。
大人しくしていること、心配をかけないことによる貢献感
両親が警察官という職業柄もあり、誰ともなく周囲からよくそんな風に褒められたものです。それは一緒住んでいた祖母や保育園または幼稚園の先生だったかもしれませんし、3つ上の姉や両親自身だったのかもしれません。
警察官というのは、事件があれば急に出勤しないといけず、何が起こるかわからない職業です。命を落としたっておかしくない職業です。そして世の治安を守るという警察官の社会的な役割からみても、このような褒め言葉は理にかなっていたのでしょう。
それは幼くて力のない私がみんなに貢献できる数すくない方法の1つでもありました。大人しくしていること。迷惑をかけないこと。心配させないこと。良い子にしていること。
「純ちゃんは大人しくしていたね。良い子だね。」
布団にくるまって眠りに落ちるときにそう声をかけてもらえると、とびきり嬉しかったのを今でもよく覚えています。
私はずっと自分の夢は誰からも応援されていないと信じていた
人間というのは全く予測不能で、ほんの小さな出来事がまったく意図しない結果を生むのが日常茶飯事ってものです。それが人生の醍醐味ともいえるのですが、私が最初に味わった成功体験(大人しくしていること、いい子にしていることで家族に貢献すること)もそのような出来事の1つでした。
私は大人しくしていることや良い子にしていることに努めました(ただし本当に大人しかったのか?どのくらい良い子だったのか?なんて野暮なことを両親に聞くのはやめてください!幼くて可愛らしい私の子供時代に免じて!少なくとも私はできる限りの努力をしたのですから!)
大人しくしていることや良い子にしていることが当たり前になってもはや褒めるほどのことでもなくなった後も、この思考は私のデリケートな脳内に力強く居座っていました。そして、これはほとんどロボットのように反応する性格の1つになりました。
大人しくしている私は良い子なのだ!心配や迷惑をかけない私は良い子なのだ!
褒めてもらえるという具体的な報酬を失った後も、時間の経過とともにこの性格は一人歩きしていました。大人しくしているから何なのか?迷惑や心配をかけないから何なのか?それがいったいいかほどの意味を持っているのか?分からなくなった後も、シラフよりは酔っ払っている方が幸せだと嘯く中毒者のように、かつての成功体験を忘れられずにいました。
「純ちゃんは大人しくしていたね。良い子だね。」
いつしか、私は自分のやりたいことや好きなことを抑圧し、じっと我慢していることが後で救われる道なのだという安逸に救いを求めるようになりました。たとえ合理的ではない結論だったとしても、自分のやりたいことを好き勝手やるのは控えたほうがいいと自分を言いくるめられるようになりました。
そして、幼いながらも賢明なりし私の頭脳はついに偉大なるかの現実社会において通奏低音のごとく流れるクソ素晴らしい原則を捏造するに至ったのです。
私の夢は誰からも応援されていないのだ!
思えば、私はただ寝る前に一言「純ちゃんは大人しくしていたね。良い子だね。」って言って欲しいだけだったというのに。今なら市民ケーンが死ぬ間際に「薔薇のつぼみ」と呟いた理由が痛いほどわかります。
私の夢は誰からも応援されていないのだ!
このクソ原則が捏造されたのはいつだったのか。少しずつ形成されたこのクソ原則が明確に確立された時期など分かりようもありませんが、それが年齢的に早すぎたのは確かだったようです。
私の夢は誰からも応援されていないのだ!
迂闊にも、私はこのクソ原則をあまりに長いこと放置し、好き勝手に働かせすぎました。本当の意味で対策に乗り出すことができたのは26歳になるころでした。その時にはほとんど完全にこのクソ原則は私と一心同体になりつつありました。
今でもこのクソ原則が働き出すときがあります。自覚できているときは良いのですが、ほとんど無意識のうちに、ほとんどロボットのように稼働するので厄介なのです。根絶したと思ったのにどこからともなく湧いて出てくるウィルスのようです。
私の夢は誰からも応援されていないのだ!
特に厄介なのは、このクソ原則の性質上、自動的に私の一番の夢である「音楽家になること」に対してとびきり強く働きかけてくるんです(ガッデム!)。
あなたは私がおよそ俗人が陥るような悩みとは無縁の紳士的な人間であると信じているかもしれませんが、正直に告白すればひどい寂寥感に襲われることも珍しいことではありません。そんなときは決まって頭の中で笑えない自己否定のマーチが聴こえています。
- 私の音楽が陰では笑い者にされているんじゃなかろうか?
- 30歳にもなって…いまだに社会的には誰からも認められていないじゃないか!
- 私は自分の才能を買いかぶりすぎているんじゃなかろうか?センスがないんじゃなかろうか?
- 本当のところ誰も私の夢になんて興味を持ってないんじゃないだろうか?
- 正当な音楽教育を受けていない私は無知を晒した挙句、皆に憐れまれてるんじゃないか?
これを「空が落ちてくる」と怯えるチキンリトルに例えて笑い飛ばすのは簡単なことかもしれません。しかし、頭にガンガンと響く虫歯の痛みのように、外からみれば取るに足らないほどの小さな傷に見えることでも、本人からすればそれ以外のことがほとんど何も考えられなくなってしまうような、無視できない胸を抉る痛みになっているってのはよくあることでしょう。
これは私にとって笑えない持病の1つなのです。
なかには私の夢を応援してくれる人も居るという素晴らしい発見との出会い
かくして私は長らく「私の夢などは誰からも応援されていないのだ」というクソ原則を形成して一体化してきたわけですが、当然(その形成の過程からしても自然に)ここでいう”誰からも”というのは不特定多数を指すのではなく、暗に家族や友人を指していました。
親愛なる家族および友人諸氏においては私が大人しくし、心配や迷惑をかけないことを第一に願っているのだ、という具合です。
このようなクソ原則が妄想に過ぎないことを自覚しはじめた最初の決定的な運動というのは、そうです、あなたとの出会いでした。
この愛すべきブログを通して出会ったアップルパイのごとくSweeeeeet!なあなたという存在は「なかには私の夢を応援してくれる人も居るのだ」という素晴らしいメッセージとして私の胸に届きました。
あなたは私がスパルタの国で育ったようなたくましい人間だと思っているかもしれませんが、正直に告白するならば、涙を流しながらあなたへ記事を書き綴ったことは1度や2度ではありません(何を隠そうこの記事も涙を流しながら書いているくらいです)。
この愛すべきブログに書き綴ってきた言葉にしがたい率直かつプライベートで真剣な文章を、あなたが愚痴ひとつもこぼさず、時には肯定のメッセージをすら送ってくださることは私の価値観を大きく変えてくれました。
これはあのクソ原則に否を突きつけてくれた初めての矢でした。このことについて改めてこの場を借りてお礼を言わなければなりません。ダンケ!
本当に家族や友人は自分の夢を応援してくれていないのだろうか?
それから数年後、この問題について特にここ最近で最も素晴らしい取り組みとなったのは私の一番の夢であるバンドのメンバーに専門家ではなく友達を誘ったことでした。
20年以上の付き合いでありバンドのマネージャーをお願いしたKeiKanriを筆頭に(補足しますが、彼は一般的なバンドにおけるマネージャーよりもずっと重要な存在であり、時にはバンドにとって私や楽器隊よりも重要な役割をこなしているメンバーの1人です)、楽器隊にも信頼できる友人に優先的に声をかけました。
これは私にとっては大きな勇気を発揮しなければならないことがらでした。なぜなら、彼らのような親しい友人こそ私が「夢を応援してくれていないのだ」と妄想し続けた存在だったのですから。
jMatsuzakiバンドを結成して以来、最初は(いえ、誤解を恐れずにいうなら今でも)手探り状態でバンドを率いていました。彼らは本当に私の夢の応援者なのだろうか?それとも、あのクソ原則の言う通り、やはり誰も私の夢など応援してくれないのだろうか?しかし、アップルパイという例外もあるではないか!
このような無意識的な疑心暗鬼は思えば日常的に私とともにありました。しかし、新曲を公開し、スタジオに入り、ライブを重ねていくうちに、あのクソ原則が太陽の光に当たった雪だるまのように少しずつ溶け出していくのを感じました。
私の愛すべき友人たちが私と同じように、バンドの行く末について真剣に語りあい、スタジオにおいてもライブにおいてもBurning!するように真剣に我がソングを演奏しては、あのソングのここがいいとかあのソングが最高だとか言いあい、天使の微笑みで我がソングに乗ってくれるからです。
これは、あのクソ原則を真っ向から否定してくれるような、言葉では表現しきれないほどパワフルな体験でした。
ただ思いが現実を作り出していたのだ
あなたにこんなことを言う必要はないでしょうが、私は神経質な人間なのであえて言っておきましょう。勘違いしていただきたくないのは、私はなにも慰めて欲しいわけでもなければ、ましてや”自己否定を突破してポジティブに生きるための3つの方法”を教えて欲しいってわけでもありません。
この一連の出来事は、私と一心同体と化したあのクソ原則を引っぺがしてくれたのです。つまりこういうことです。
私の夢は誰からも応援されていないのではなく、私の夢は誰からも応援されていないと私が信じているから、私は夢に対して消極的になるに至り、結果的に私の夢を積極的に応援してもらえる機会を失っていたのだ
そしてもっと素晴らしいことに、ベルリンの壁のようにあのクソ原則を破壊し、新しい(そして、より正しい)原則の形成が始まったのです。
私が積極的に行動に移しさえすれば、私の愛すべき家族や友人のほとんどは私の夢の応援者として強力な助っ人になってくれるのだ
ワンダフル!
貴下の従順なる下僕 松崎より