私の愛しいアップルパイへ
2014年の名著「嫌われる勇気」といえば、聞いたことがあるでしょう。アドラー心理学の教えを対話形式でまとめた一冊です。
例えるならアドラー心理学界のワイアットとビリー!あの青年と哲人のコンビがついに帰ってきたぞ!「嫌われる勇気」の正式な続編となる「幸せになる勇気」の登場だぁ!
幸せになる勇気を読んだ感想とまとめ
「嫌われる勇気」から3年後、教師として働いていた青年がまた哲人の家を訪ねるところから物語ははじまります。教師としてアドラー心理学を実践してみたが、まったく無意味だったと怒りに燃えながら…
嫌われる勇気はアドラー心理学全体を分かりやすくまとめた一冊でしたが、幸せになる勇気はアドラー心理学を実践するうえでの行動指針についてまとまっています。特に、前作ではさわりだけしか触れられなかった「共同体感覚」というものを中心とした他者との関わり合い方について深掘りされているのが印象的でした
今日は「幸せになる勇気」のなかでも特に私の胸をうった箇所を整理してみます。
「悪いあの人」より「かわいそうなわたし」より「これからどうするか」
哲人は三角柱という人の心をあらわす道具を取り出して、こう言います。一面には「悪いあの人」。もう一面には「かわいそうなわたし」。ほとんどがこのいずれかの話しに終始していると。では、最後の一面はなんなのでしょう。
われわれが語り合うべきは、まさにこの一点、「これからどうするか」なのです。「悪いあの人」などいらない。「かわいそうなわたし」も必要ない。
第一部
まったく力強い言葉です。そして、トラウマを否定し、過去に与える意味によって自らの生を決定していると説く目的論の考え方を端的にあらわしています。
確かに私たちはあらゆる対話のなかで、「悪いあの人」の話か「かわいそうなわたし」の話ばかりしているように思います。しかし、幸福に向けて本当に語り合うべきは「これからどうするか」なのです。
自立とは「自分の人生を自分で選ぶこと」
本書の大テーマの1つに「自立」があります。人が自立するためにこれからどうするかが、全編をとおして書かれています。
では、自立とはなんでしょうか。本書の定義では「自分の人生を自分で選ぶこと」です。肉体的な成長や、年齢、経済状態などは自立の条件とは無縁なのです。未成年でも貧乏でも、「自分の人生を自分で選ぶこと」ができれば自立できたといえます。
そして、あらゆる教育者は自立を支援する立場であるべきとも書かれています。賞罰教育や承認欲求は、表向きは何ら問題のない立ち振舞であったとしても、この自立を阻害する要因になりかねないところに注意が必要です。
問題行動の目的となる5つの段階
アドラー心理学では、あらゆる問題は対人関係に帰結するとされています。そして、自立を阻害する人関係の問題は過去のトラウマからくるのではなく、人に依存するために自ら問題となる行動を選択していると考えます。その問題行動とは、以下の5つの段階に分けて考えられるというのです。
- 第1段階:称賛の欲求
- 第2段階:注目喚起
- 第3段階:権力争い
- 第4段階:復讐
- 第5段階:無能の証明
問題行動は第1段階から徐々にエスカレートして、最終的には第5段階に到達します。詳しい説明は省略しますが、第1段階は褒められるために行動すること。そして最後の第5段階は、自分に期待をよせさせないために、自分が無能であることを表明する段階です。
アドラー心理学では人間の最も根源的な欲求を「所属感」としています。そして、上記の問題はいずれも所属感、つまり自分の居場所を確保するために、人に認められる行動することで、自分自身を見失っています。
すべての問題は対人関係の問題であるとするアドラー心理学らしい考え方です。そして、この5つの段階を考えると、なぜ賞罰教育と承認欲求を否定すべきなのかが分かるでしょう。
競争原理より協力原理を基盤とする
「ほめられること」を目的とする人々が集まると、その共同体には「競争」が生まれます。他者がほめられれば悔しいし、自分がほめられれば誇らしい。いかにして周囲よりも先にほめられ、たくさんほめられるか。さらには、いかにしてリーダーの寵愛を独占するか。こうして共同体は、褒章を目指した競争原理に支配されていくことになります。
第三部
さらに悪いことに、褒賞から生まれる競争原理が、共同体にとって対人関係の問題を助長させることになります。競争から駆け引きが生まれ、やがては不正が生まれるでしょう。そこで推奨されるのが「協力原理」です。
個人に対して賞罰するよりも、共同体そのものを競争原理から協力原理にすることで、よりよい共同体を作って自立をサポートできるのです。
協力原理の土台は尊敬によって作られる
目の前の他者を、変えようとも操作しようともしない。なにかの条件をつけるのではなく、「ありのままのその人」を認める。これに勝る尊敬はありません。
第一部
協力原理を築く土台であり、入り口となるものが尊敬です。尊敬がなければ良い対人関係など築けるはずもありません。尊敬していない相手の話を真の意味で聞くことはあり得ません。ただ、ここで勘違いしてはならないのは尊敬とは「ありのままのその人」を認めることであり、相手を褒めちぎることではないという点です。
褒めるという行為は相手を評価することであり、条件づきの信用であることの証です。これは結局、他者を操作しようとする行為であり、尊敬が欠けているのです。
普通であることの勇気が自立の鍵
ほめられることでしか幸せを実感できない人は、人生の最後の瞬間まで「もっとほめられること」を求めます。その人は「依存」の地位に置かれたまま、永遠に求め続ける生、永遠に満たされることのない生を送ることになるのです。
第三部
しかし、所属感が根源的な欲求だからこそ、承認欲求からなかなか逃れられないのです。承認欲求がオーバーヒートすれば、救世主にでもなろうと考えます。いわゆるメサイア・コンプレックスってやつです。しかし、他人に依存する承認欲求に満足はなく、問題にはなれど、幸福にはなりえません。
では、承認欲求を振り払い、尊敬をとおして協力原理を築くためにはどうすればいいのでしょうか。必要なのはやはり自分の価値を自分で決めること、すなわち「自立」です。ただ、ここで問題となってくるのが、自分で自分の価値を認める自信がどこからやってくるのかです。
そこで「普通であることの勇気」が求められます。私たちは特別な存在ならずとも、その他大勢であろうとも価値があるのです。人と違うことに価値を置くのではなく、私であることに価値を置く。これが自立の鍵になります。
仕事の関係から交友の関係へ
すべての悩みは対人関係の悩みであるということは、裏を返せばすべての喜びもまた対人関係の喜びであることを示しています。ですから、先述した問題を乗り越えて喜びを得るために私たちは3つの人生のタスクと向きあわねばならないことになります。
- 仕事のタスク
- 交友のタスク
- 愛のタスク
本書でも書かれているとおり、すべての喜びが対人関係であることから、これらを「仕事の関係」「交友の関係」「愛の関係」と言い換えることもできます。
それぞれの違いは人間関係の距離と深さによるものです。下に行けば行くほど人間関係の距離が近くなり、深くなります。そして、仕事の関係から交友の関係を築いていくことが喜びへの道となるでしょう。
仕事の関係はいうなれば信用の関係です。信用とは、相手を条件つきで信じることです。一方、交友の関係はいうなれば信頼の関係です。つまり、いっさいの条件をつけずに相手を信じることです。
喜びとは、所属感を得ることです。それはつまり、仕事という信用の関係ではなく、交友という信頼の関係を築くことによって得られるということです。
幸せになる勇気はコンパスとなる一冊
本書の著者である岸見一郎氏が巻末で本書のコンセプトについてこんなふうに語っています。
前作『嫌われる勇気』はアドラー心理学の存在を知り、アドラーの思想を概観するための、いわば「地図」のような一冊でした。
(中略)
他方、本書『幸せになる勇気』は、アドラーの思想を実践し、幸福なる生を歩んでいくための「コンパス」となる一冊です。
あとがき
まさにそのとおりの一冊だったと思います。アドラー心理学を実践するなかで、どこを目指していけばいいのか、そのコンパスとなる内容でした。アドラー心理学の実践でつまづいた青年を題材としたのも素晴らしい選択でした。
実は、上記にまとめた内容のなかで、一切触れなかった箇所があります。それが本書の最後となる第五部に書かれている「愛のタスク」に関する内容です。
第四部までで仕事における信用の関係に留まらず、交友における信頼の関係を築いていくことが語られます。そして、第五部で交友の関係から愛の関係を築いていくことが語られます。さらには、愛の関係を築くことで自己中心性から解放され、真の喜びに到達することが語られます。それがアドラーの目指した理想へと進む第一歩となるのです。
▼詳細については是非ご自身で手にとって確認してみてください。「嫌われる勇気」を読んだのであれば、文句無しにオススメできる一冊です。
貴下の従順なる下僕 松崎より