成長より進歩より変化する

私の愛しいアップルパイへ

私の人生において、特にここ数年、とても大切にしていることが1つあるのですが何だと思いますか?カウンターにSweeeeeetなレディが座ってたらすかさずテキーラを奢ること、ですか。いいえ、そっちではありません。不正解です。

正解は、成長より進歩より変化することです。

おそらく私だけではないでしょうが、幼い頃からずっと「成長」と「進歩」を目指して行動することこそが是であると教わってきました。明確な目標や意図しない変化や思いつきには価値がないと。しかし、私は成長や進歩こそ愚かな妄想であり、予想だにしない変化こそが人生に豊穣をもたらしてくれると確信しています。

なぜ「変化」が最重要事項なのか?

変化の力を明らかにした「ホーソン実験」

1924年、アメリカのシカゴにて、電子機器を製造するとある会社でとある実験が行われました。それは同社の所有するホーソン工場で行われたため、ホーソン実験と名付けられました。

彼らがやろうとしたのは、物理環境が工場作業者の作業能率にどれだけ影響を与えるかでした。最初に行った研究は最も有名な照明実験でした。それは照明の明るさを変えながら、作業者の能率が最も高まる照明の明るさを特定するための実験でした。

最初、実験は予想通りに進みました。つまり、照明の明るさを上げるにつれて作業能率も上がったのです。しかし、本当に面白いのはここからでした。

今度は照明の明るさを徐々に暗くしていったところ、作業能率は下がらなかったのです。照明を元の明るさに戻しても、作業能率は高いままでした。結局、手元が見えなくなるくらい照明を暗くしてはじめて作業能率が下がったのです。

この実験結果は業界内外に大きな影響を与え、それから8年近く続く大規模な実験になりました。この結果から見えてくる1つの結論は、人は変化が大好きだということです。物理環境ではなく、変化に対する意欲が人の生産性を高めたのです。

常識を疑って奇妙なものに目を向け続けた「David Bowie」

1962年のロンドン、ビートルズが「ラブ・ミー・ドゥー」でデビューしたこの歳に初めてディヴィー・ジョーンズはアルト・サックスを手にしました。その後、本格的に音楽活動を始めますが、ほどなくして同名の歌手が居たために改名を余儀なくされます。彼はアメリカの西部開拓時代にアラモ峠で戦った伝説の軍人ジェームズ・ボウイから名前を拝借することにします。

彼こそイギリスで生まれたロックを代表するアーティストの1人であり、音楽業界に止まらず数多くの人々に影響を与え続けた偉大なアーティスト「David Bowie」です。David Bowieは20歳のデビューから69歳で亡くなる49年間、変化し続けることを至上命題として活動し続けた類稀なるアーティストでした。

1965年のデビューでうまくいかなかった彼は地元に戻ってパントマイムや演劇に没頭します。1970年に入ると、劇団で培ったパフォーマンス、ストーリーテリング、ファッションを音楽と融合して元来のロックよりも豪華で華やかで手の込んだカウンターカルチャーとしての「グラム・ロック」を創出します。彼は皮肉交じりにカルトスターと評されながら、一気にスターダムにのし上がります。David Bowieが面白いのはここからです。

成功を手にしたのもつかの間、彼は突如グラム・ロックとの決別を表明し、ファンを困惑させます。1975年、彼はアメリカに渡って黒人音楽であるソウルに挑戦します。ヨーロピアンの白人がアメリカに渡って黒人音楽をやるのですから、当時これほど奇妙なことはなかったでしょう。

1977年にはドイツ・ベルリンへと渡り、当時クラフトワークを皮切りにドイツで花開きつつあった電子音楽への接近を見せます。過激なパフォーマンスから危険人物の烙印を押されながら、それまでの彼の作品とは一線を画す「ベルリン三部作」を2年間で完成させます。

1980年代に入ると今度はダンス・ミュージックをベースとしたポップ・ミュージックに急速に接近し、世界的な成功を手にします。ここで多くの評論家たちからはDavid Bowieがカルトスターからポップスターに”堕落”したと評されます。

1980年代後半に入ると今度はシンプルな構成のバンドを率いて「Tin Machine」名義での活動を始め、クラシックなロックに回帰します。この頃の作品は商業的に大失敗を収めました。1990年代に入ると当時最先端のロックであったオルタナティブ・ロックへの接近を見せ、2003年にはキャリアの集大成となる「Reality」をリリースして活動休止に入ります。

それから10年間、評論家もファンもDavid Bowieは引退したものと信じていました。David Bowieのトリビュートが作られたくらいです。しかし、最後の音楽活動から10年間が経ったある日、突如iTunesにてニューアルバム「Next Day」がリリースされます。彼は秘密裏にアルバムを制作し、一切PRしないという常識破りなPR方法で成功を収めました。

そして2016年、ガンによって自らの死期が近いことを知った彼は、自らの死すらインスピレーションの源とし、ファンに向けた遺書ともいえるアルバム「Black Star」を製作します。アルバムをリリースした直後、それを知っていたかのように静かに息を引き取りました。最後の作品はロックとは言い難い、定義不能の新しい音楽でした。

彼の変化には抜群にうまくいったものもあれば、とても成功とは言い難いものもありました。彼のベストアルバムを通して聴くと、その変遷の脈絡のなさに驚くはずです。

しかし、彼は変化し続けるという一貫性によって他のアーティストとは一線を画す偉大なアーティストとして認知され、神格化されるに至りました。ここまで執拗に変化し続ける選択を貫いた彼は、元来より変化が大好きである人間の心を鷲掴みにしたのです。

積み重ねるより、積み減らし続けた「岡本太郎」

戦後の惰性的で堕落した日本社会に警笛を鳴らすために「対極主義」を唱えて活動した岡本太郎も安易な成長や進歩に甘んずることなく変化し続けた芸術家でした。「人類の進歩と調和」がテーマであった大阪万博に、テーマと真逆である「原始性と暴力性」への原点回帰をテーマにした「太陽の塔」を作ったのは対極主義を象徴する活動でした。

岡本太郎の逸話に、初期の代表作となる油絵を晩年になって上から塗りつぶして全く別の絵にしてしまったという話があります。しかもその別の絵はとても良い絵とは言えない出来だったのです。これこそ岡本太郎の「積み減らす」という考え方を象徴しているといえます。

岡本太郎は成長という免罪符の名の下に惰性的な積み重ねを続ける人々を著書「自分の中に毒を持て」で一喝します。

人生は積み重ねだと誰でも思っているようだ。ぼくは逆に、積みへらすべきだと思う。財産も知識も、蓄えれば蓄えるほど、かえって人間は自在さを失ってしまう。

岡本太郎 「自分の中に毒を持て」 p.11

成長も進歩も原因ではなく結果である

しかし、なぜ成長や進歩にこだわることが危険なのでしょうか。成長や進歩にこだわることはまるで宝くじの結果をコントロールしようとして胸を引き裂くが如き行為だからです。

ジェームズ・アレンの主著に「原因」と「結果」の法則という本があります。これは人格(原因)が世界ないし環境(結果)を作り出していることを説いた本であり、同時に「結果」を憂うことの無意味さと不毛さを懇々と説いてくれる一冊です。

「環境と戦う」とは、どういうことなのでしょう。それは、自分自身の内側で「原因」を養いながら、外側の「結果」に戦いを挑むことにほかなりません。その「原因」は、意識的にめぐらされている不純な思いかもしれませんし、無意識のうちに手にしている弱さかもしれません。

ジェームズ・アレン 「原因」と「結果」の法則 思いと環境

それで、成長や進歩が原因なのか結果なのかっていうと、間違いなく結果に属するものなのです。ですから、成長や進歩という結果にばかり目を向けても無意味で不毛なのです。しかも、今ほど成長や進歩の尺度が曖昧で正解の見えない時代に無理やり成長や進歩の尺度でものを図ろうとすれば、視野を大きく狭めた上に真逆の方向に向かって全力疾走していたという結果をもたらしかねません。

ですから、成長や進歩という「結果」ではなく、その「原因」にこそ目を向けるべきなのです。そして、成長や進歩の原因とは、変化なのです。もっといえば変化に対する開かれた心なのです。

成長はモラル・ライセンシングを引き起こす

変化ではなく、成長や進歩にフォーカスすることの負の側面は「視野を狭めて方向性を誤るリスク」以外にも、もう1つあります。

ケリー・マクゴニガル氏の主著である「スタンフォードの自分を変える教室」ではそれを「モラル・ライセンシング」と定義します。簡単にいえば良いことをすると悪いことをしたくなる心理効果を言います。

あなたがモラル化するものは何であれ、モラル・ライセンシング効果の格好のえじきになります。たとえば、エクササイズをちゃんと行なったときには自分を「よし」とほめ、サボったときには「ダメ」とけなしていたりすると、今日はトレーニングに行っても、明日はサボる可能性が高くなります。

ケリー・マクゴニガル 「スタンフォードの自分を変える教室」 第4章 罪のライセンス

成長や進歩のように「良いこと」をすると、そんな風に行動を束縛されたくないもう一人の自分が抗議の声を上げて、反対に「悪いこと」をしたくなるというのです。これでは一歩進んで二歩下がる結果をもたらしかねません。

悪いニュースは続きます。実は良いことをするまでもなく、ただ良いことをしたいと思っただけで頭では良いことをした気分になってしまい、悪いことをしてしまうのだそうです。これでは一歩進んで二歩下がるどころか、手長エビみたいに後退するだけの人生です。

成長や進歩への渇望はこのような歪な結果をもたらしかねません。一般的に良いこととされている成長や進歩を志向することはみすみすモラル・ライセンシングの餌食になりかねないのです。

▼モラル・ライセンシング効果について詳しく知りたいときは、以下の動画にまとめましたので、ぜひご覧ください。




あらためて成長より変化のために行動する

ここ数年、私は成長などのために行動することをやめました。成長を目指そうとすることは、私の視野を狭くさせ、承認欲求を軽率かつ不用意に刺激し、可能性を狭めてきたと確信してからです。

考えてもみてください。何が起こるか分かってしまうことほど面白みのないことはありません。「これをやれば確実に成長できるだろう」なんてことより、「こんなことをやって何が起こるか分からない」ことの方がずっと面白いではありませんか。

よく考えてみれば、成長のために転職する。成長のために人脈を作る。成長のために資格をとる。そんな行動指針で行動してる人がうまくいったのを見たためしがありません。

ですから、成長とか進歩とか堅っ苦しいことを言わず、気軽に軽率に変化しようではありませんか。David Bowieがそうしたように。

成長より進歩より、変化することを楽しみましょう。これこそ、我々の限りない才能を解放する第一運動になるのではないでしょうか。

貴下の従順なる下僕 松崎より

著者画像

システム系の専門学校を卒業後、システム屋として6年半の会社員生活を経て独立。ブログ「jMatsuzaki」を通して、小学生のころからの夢であった音楽家へ至るまでの全プロセスを公開することで、のっぴきならない現実を乗り越えて、諦めきれない夢に向かう生き方を伝えている。