いつかは終わるが、具体的にいつ終わるか見極められない困難に対処する3つの選択肢

私の愛しいアップルパイへ

あなたがこの手紙を読むのは明日か明後日か、5年後か10年後かは分かりませんが、現在私が生きている時代では新型コロナウイルスの猛威によって世界的な混乱が起きています。

いつ終わるか分からない外出制限、健康と経済の不安、目まぐるしく変わる制度や環境など、世界的に大きな困難に立ち向かっています。

新しいウイルスとの戦いは、確実にいつかは終わるものだが、具体的にいつ終わるかの見通しが全く立たないという特性を持っています。

このような困難を前にして私たちのような夢見るリアリストたちはどのような立ち振る舞いをしていけばいいのでしょうか?良い質問です。

人の生きる力を奪う「無期限の暫定的状態」

このような困難を前にして思い出すのはヴィクトール・フランクル著「夜と霧」(原題:… trotzdem Ja zum Leben sagen)でしょう。第二次世界大戦中、アウシュヴィッツなどの強制収容所に収容された体験を心理学者である著者が赤裸々に綴った内容です。

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強制収容所での生活などはまさに「いつかは終わるが、具体的にいつ終わるか見極められない困難」といえます。ヴィクトール・フランクル氏はかような状態を「無期限の暫定的状態」と定義しました。いまのありように終わりがあるのか、あるならそれはいつか、見極めがつかない状態のことです。

今回のコロナ禍における外出制限はもちろんのこと、いつ退院できるか分からない入院生活や、いつ決まるか分からない転職活動など、現代の生活においても無期限の暫定的状態は身近に存在します。

かような無期限の暫定的状態に人は滅法弱く、目的をもって生きることがひどく困難になると著者は言います。未来を見据えて生きることができず、拠り所をなくして生きる力が衰えてしまうのです。

実際のところ、強制収容所においてはほとんどの人が目下の自分の状況を真摯に受け止めることができず、いま自分の身に降りかかっているできごとは本来の人生とは別のなにかだと考えるようになり、過去の記憶にしがみついて心を閉ざすようになるのだそうです。

過酷な状況下で無期限の暫定的状態が続くと、未来を喪失し、無気力になり、感情を失い、常にイライラした状態になるそうです。いずれは精神的に破綻し、身体的にも破綻していくといいます。

コロナウイルスの影響下でここまで追い詰められている人はまだ稀でしょうが、傾向としては理解できるところがあるのではないでしょうか。

▼ちなみに、ヴィクトール・フランクル著「夜と霧」については以下の動画でも解説していますので、こちらもどうぞ。

いつかは終わるが、具体的にいつ終わるか見極められない困難に対処する3つの選択肢

では、このような「無期限の暫定的状態」において、人はどのような選択肢を持ちうるのでしょうか。「夜と霧」によれば、それは3つあります。

ちなみに選択肢は3つありますが、そのうち2つは間違ったやり方で、推奨される選択肢は1つだけです。ここではまず2つの間違った選択肢を取り上げ、最後に推奨される選択肢を見ていきましょう。

いつまでに問題が収束するかを仮定する

多くの人が最初に取る方法は「いついつまでに終わる」と仮定して日々を過ごすことです。

「2週間後には収束する」「1ヶ月で落ち着く」「感謝祭までには…」「オリンピックまでには…」「クリスマスまでには」「年が明ける頃には…」

てな具合です。実際、現在のコロナ禍においてもこのような声が他方から聞こえてきます。日本でも度々「この2週間が勝負」という根拠のない噂が定期的に聞こえてきました。

強制収容所ではこのタイプが多く命を落としたそうです。特に1944年のクリスマス〜1945年の年明けに大量死があり、その原因は「クリスマスまでには終わる」「年が明ける頃には終わる」という無根拠のありきたりの希望にすがっていた人々が、絶望から肉体的に衰弱し命を落とすに至ったとヴィクトール・フランクル氏は結論づけています。

ベトナム戦争の最盛期にかの悪名高い「ハノイ・ヒルトン」に8年以上収容されていたストックデール氏も同じことを言っています。クリスマスまで、つぎは復活祭まで、つぎは感謝祭まで、このような根拠のない希望にすがっていた人々は、失望を重なって死んでいったといいます。

無期限の暫定的状態において「いついつまでに終わる」と軽率に仮定することは、短期的には糧になるかもしれませんが、長期的な困難においては逆効果になるということです。

将来、困難を突破した経験が活きる楽観的イメージを描く

2つ目の選択肢は困難を突破した後に、今の経験が活きる楽観的なイメージを糧とすることです。

最初ヴィクトール・フランクル氏も、豪華な大ホールの舞台に立って強制収容所での苦しい経験を語るイメージをもつことで、未来への希望を保ったといいます。

しかし、このような未来への希望を想像することによって生きる力を保てるのはほんの一時的なものだといいます。

というのも、未来への希望よりも厳しい現実の方が勝り、描いたイメージを信じられなくなった途端に希望が絶望を促進し、結局は精神的肉体的な破綻へと一直線に向かいかねないのです。無期限の暫定的状態の場合はこのような楽観的な未来を長く信じることが難しいため、これも逆効果になりかねません。

特に、今回のコロナ禍のように数年に渡って影響を及ぼすような危機の場合、この未来への楽観的なイメージに頼る方法は大きなリスクを抱えていると言えます。

困難に直面している自分自身に価値を見出す

最終的にヴィクトール・フランクル氏が見出したのは、上記2つの選択肢から180度方向転換する方法です。

それは、辛く苦しくとも、悲惨な運命であろうとも、いまふたつとないあり方で存在している自分自身に価値を見出すことです。これはヴィクトール・フランクル氏が収容所生活における最後の頼みの綱と呼んだ方法でもあります。

誰も身代わりになることのできない苦しみを受け入れ、そこにふたつとないなにかをなしとげるたった一度の可能性を見出すのです。

未来への楽観的な希望にすがる選択肢から180度見方を変え、現在自らが体験していることに意味を見出すのです。ここで本書の原題となるメッセージにたどり着きます。「… trotzdem Ja zum Leben sagen」(それでも人生にイエスと言う)です。

ヴィクトール・フランクル氏は一貫して、我々は人生に意味を問う者ではなく、問われる者なのだと説きます。自らの人生に対して、何を期待し、何を求め、何を成し遂げ、何を受け取るか、意味は何なのか、なぜ生まれたのか、なぜ生きるのかと問うのではなく、自分は人生に何を問われているのかを考えろというのです。

自分が人生に何を問うかではなく、自分は人生に何を問われているか?

素晴らしい言葉です。

自分が人生に何を問うかではなく、自分は人生に何を問われているか?

Sweeeeeet!

見通しの立たない困難を前にして如何に主体的に生きるか?

「夜と霧」には苦難を前にしても、人間がどれほど強くいられるかが詰まっています。

特に、理不尽な危機を前にしていかに人生を主体的に生きていくかの指針が多く、今回のような困難に身を置いているときには特に意義深い一冊です。

この機会に、興味あれば手にとってみることをオススメします。

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貴下の従順なる下僕 松崎より

著者画像

システム系の専門学校を卒業後、システム屋として6年半の会社員生活を経て独立。ブログ「jMatsuzaki」を通して、小学生のころからの夢であった音楽家へ至るまでの全プロセスを公開することで、のっぴきならない現実を乗り越えて、諦めきれない夢に向かう生き方を伝えている。