「夢は叶う」は間違ってるし、「夢は叶わない」はもっと間違ってる

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私の愛しいアップルパイへ

世の中には「夢は叶う」と断言する人も居るし、「夢は叶わない」と断言する人も居ます。少し考えてみてください。どちらが正しいと思うでしょうか。

「夢は叶う」と希望を見せた方が良いのか、それとも「夢は叶わない」と現実を見せたほうが良いのか。

私の結論はこうです。「夢は叶う」と言うのは間違ってるし、「夢は叶わない」と言うのはもっと間違ってる。

理由を聞きたいですか。よろしい、ではコーヒーを1杯ご準備ください。少し込み入った話になりますから。

より偉くなろうとするか?より賢くなろうとするか?

最初に言っておきたいのは、多くの人が自尊心を満たそうとする欲求と、自己変革を達成しようとする欲求を混同しているということです。

「自尊心を満たそうとすること」と、「自己変革を達成しようとすること」は大きく違います。この2つは、コカ・コーラとペプシ・コーラのように似て非なるものです。

分かりやすく、こう言い換えましょう。自尊心を満たそうとするのは、言うなれば「より偉く」なろうとする欲求です。対して自己変革の欲求は「より賢く」なろうとする欲求です。

「より偉く」なろうとする人は、高い学力の学校を目指し、美人の女性を引き連れ、課長より部長を目指し、より大きな舞台でプレーすることに憧れ、国からナイトの称号を受け取ることを夢見ます。

「より賢く」なろうとする人は、必要な経験のために学校を選び、家庭や友情から得られる力に着目し、意義深い仕事のための挑戦を望み、自分のプレーを磨くことに快感を覚え、自分の真っ直ぐな決意に誇りを感じます。

「より偉く」なろうとする人は「死ぬまでに何がしたいか?」を見ています。「より賢く」なろうとする人は「死ぬまでずっと何をしていたいか?」を見ています。

「より偉く」なろうとする罠

「より偉く」なろうとする人は、将来到達したいと思っているゴールにフォーカスを当てているので、常に欠乏を感じています。残念ながらこの欠乏が終わることはありません。銀メダルを取ったら次は金メダル。金メダルをとったら次は別のリーグ。

いずれモーターが擦り切れて、足が止まってしまうでしょう。そのとき初めて来た道を振り返ってこう叫ぶかも。「こんなはずじゃなかった!!」と。

「より偉く」なるために捨てて来たものの大きさに気づくからです。それは家族かもしれませんし健康かもしれません。

「より賢く」は容易に「より偉く」に流されやすい

私がここまで口を酸っぱくして「より偉く」の罠について説くのは、「より賢く」はその清さゆえに流れてしまいやすいからです。

「より賢く」あろうとするには、一定の難しさが伴います。それはときに不自然にも見えるし、一見すれば物足りないようにも見えます。

そして何より、他人の理解を得づらいので、一貫して主張しづらいのです。私がよく経験する会話はこうです。

「音楽をやってるんですか?」
「Yeeeaaah!音楽は大好きです!!」
「楽器は弾けるんですか?」
「Yes!ギターとベースを!!」
「バンドとかやってるんですか?」
「NO!昔はやってたんですが、今は曲を作ることに集中しています!!」
「曲を販売したりするんですか?」
「hmm,,,いわゆる作曲家とは少し違います。私はただひたすら自分の好きな曲を作っていたいのです。ですから、より多くの人に聴いて欲しいとか、収入に繋げたいとは特に思いません。」

そう言うと相手は釈然としない顔をするので、私はすぐさま出身の話に話題を変えます。気が利かない人は最後にこう付け加えます。

「ということは趣味ということですね?」

多くの人は「より偉く」なろうとすることが自然で常識的で普遍的な夢だと思っています。彼らは偉くなることがときに悪い結果を生むなんて思いもしないですし、「より賢く」が生きがいになるなんて思いもしないのです。その中に居て「より賢く」を貫くのは難しいことです。

「より偉く」なる必要はまったく無いか?

もちろん「より偉く」なろうとする欲求が完全に悪で、まったく無意味とは言いません。実際、欲求の順番が正しいうちは、「より偉く」はうまく使えます。

「より賢く」なるために「より偉く」なる必要が出てくるのは自然なことですから。課長より部長になった方が選択肢は増えるでしょうし、何らかのオーディションに受かった方が活躍の幅が広がるでしょう。

気をつけなければいけないのは、優先順位が逆になったときです。つまり「より偉く」なるために「より賢く」なろうとしているときです。部長になるために勉強する。収入を増やすために人脈をつくる。1位を目指して努力する。

そういう意味で、富と名声は大きな脅威になります。

「より偉く」と「より賢く」の生き方の違い

「より偉く」あろうとする人と「より賢く」あろうとする人は視点が大きく違います。どちらも大切な視点ですが、先ほど述べたとおり気をつけなければならないのは優先順序です。

「より偉く」なろうとすることと「より賢く」なろうとすることは、ランナーとトラベラーの違いに似ています。

ランナーの一生を見てみましょう。

彼は「より速くなれなかったこと」を、「一等賞を取れなかったこと」を、「より多くの一等賞をとれなかったこと」を、「人類最速を達成できなかったこと」を気にしています。彼が死を前にして呟くのはこういうことです。「人生は儚く、夢を叶えるのは難しい。もっと1位になりたかった。」と。最後に残るのは「諦め」と「後悔」です。

「より偉く」なろうとする人にとって、夢に向かうのは一か八かのギャンブルなのです。「夢を叶えるのは難しい。夢が叶うのは一握りの奇跡の人だけだ。その下には何人もの没落者が居るんだ。自分は夢が叶うなんて奢るな!綺麗ごとだ!!」と言うでしょう。

トラベラーはどうでしょうか。

彼は知っています。全ての地を巡ることも、全ての道を歩くこともできないことをです。「より多くの場所を巡りたかった」と思うこともあるかもしれませんが、すぐに些細なことだと気づきます。なぜなら、より多くの道を歩くよりも、今まで得た体験、経験、知識、知恵に目を向けているからです。

「より偉く」なろうとする人の最後が「諦め」と「後悔」だったのに対し、「より賢く」なろうとする人にとって、最後に残るのは「感謝」と「満足」です。

この2つはなぜこんなにも違う生き方になってしまうのか。それは基準点の違いになります。2つの欲求の頭に漢字を1つ付け加えるだけで違いは明確になります。この2つは「人より偉く」の生き方と「今より賢く」の生き方の違いなのです。

「夢は叶う」は間違ってるし、「夢はかなわない」はもっと間違ってる

冒頭の質問に戻りましょう。「夢は叶うか?」です。

「より偉く」あろうとする人にとっては、夢が叶うかどうかは一か八かのギャンブルのようなものです。彼らの答えは「夢なんて叶わない!」か「俺だけは夢を叶えてやる!」です。

「より賢く」あろうとする人にとっては、夢が叶うかどうかはさほど重要な問題ではありません。なぜなら夢を叶えるのはスタート地点に過ぎないからです。自らが没頭したい分野を見極め、それを行動に移した瞬間に「今より賢く」の夢が叶います。ですから、わざわざ「夢は叶う」と説くこと自体がナンセンスだと知っているのです。

「より賢く」あろうとする人にとっては、「夢は叶う」のは言うまでもなく、「夢が叶わない」なんて主張は精神錯乱の一種です。

そんなことより大切なのが「夢を叶え続けること」に注意を払うことです。「より偉く」に流されることなく、自分の軸からブレることなくです。

「より賢く」あろうとするあなたへ

最後に1つ。

「より賢く」あろうとするあなたは、多くの「より偉く」あろうとする人々にこう言われるでしょう。「はっは、まるで聖人のように慎ましいお方だ」「所詮、負け犬の遠吠えと傷の舐め合いに過ぎない」「夢は叶うなんて無責任な大人の綺麗事だ」と。

しかし、それで良いのです。「より偉く」あろうとする人達に与える印象や、言動に左右されること自体が、「より偉く」あろうとする低レベルの欲求に囚われていることに他ならないからです。

貴下の従順なる下僕 松崎より

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システム系の専門学校を卒業後、システム屋として6年半の会社員生活を経て独立。ブログ「jMatsuzaki」を通して、小学生のころからの夢であった音楽家へ至るまでの全プロセスを公開することで、のっぴきならない現実を乗り越えて、諦めきれない夢に向かう生き方を伝えている。