私の愛しいアップルパイへ
どうやって夢を見つければ良いのか?自分の夢は何なのか?
この疑問には多くの人が悩まされているようです。
私ですか?私の場合は遡ること4年前。私が25歳の頃でした。
学生の頃は楽しくて良かったという諦めの生活
photo credit: លោកឯកអគ្គរដ្ឋទូត វីលាមថត ធ្វើទស្សនកិច្ចនៅវិទ្យាល័យអង្គរធំ ក្នុងខេត្តសៀមរាប ហើយជួបជាមួយលោកគ្រូអ្នកគ្រូ សិស្សានុសិស្ស និងលោក Roger Armendariz អ្នកស្ម័គ្រចិត្តអង្គការភីសខរ។ via photopin (license)
当時、私は金融システムの基盤を支えるシステムエンジニアとして働くサラリーマンでした。働きながらも中学生の頃からやっていた作曲とバンドを続けていましたが、仕事のない土日に少し手をつけるだけの趣味のような位置づけになっていました。
私はシステムエンジニアの仕事に一生を費やすのはゴメンだと考えていました。私の死に場所はここではないと感じていました。しかし、では私の死に場所はどこにあるのかという質問に答えられずにいました。
教科書通りの安定した生活を過ごしていても、いつもどこかで学生の頃は楽しくて良かったという惨めさが付きまとっていました。「将来の夢だなんて、自分の歳を考えようぜ」と狡猾ぶってみても、いつもどこかで物悲しさを感じていました。
「私の将来は夢あふれたものであったはずなのに、学校を卒業して数年が経ったいま、いつのまにやら夢を追うような生活はもう終わっていて、あとは冷徹な現実の流れにそって生きるだけだ」。誰に説き伏せられたわけでもなく、ある種の諦めにも似た生活を送っていました。
もう何年もずっと、いつか事態が好転するのではないか、いつか決定的な出来事が起こるんじゃないかと待ちわびていました。しかしだいたい思った通りの日々。これが現実かと、ため息を漏らす日々でした。ああ、学生生活より、これからの生活の方がずっと長いというのに。。
何かを変えなければならないが、いったい何を変えればいいのか?
25歳。私は少しずつ焦りはじめました。新しい人生に向けて舵を切るには、決して若い年齢ではないことも、焦りに拍車をかけました。
「いつか」なんて日はいつまで待ったってきやしない。この当たり前の事実と向き合わなければならない。いまの生活を惰性的に続けていては、幸福な未来など一向に訪れない。
システム屋のままでいる気がないのははっきりと自覚していました。他にいままでずっと続けてきたことといえば音楽。しかし、音楽という不安定で不確定な世界に飛び込む勇気もありませんでした。
私はいったい何をすればいいのか?システムエンジニアの仕事はゴメンだ。では、まったく新しいことを試してみようか。それなら音楽をやったほうが楽しいだろう。しかし、一向に成果の出ない音楽を続けることに耐えられない。
現状維持は不満。趣味に没頭するのは不安。しかし新しい道は見つからない。
この思考のループから逃れることができず、鬱屈とした生活を悶々と送っていました。
ある1つの決心を心に抱いたとき
この思考のループは徐々に下向きの螺旋を描くようになっていました。
私は、嫌々仕事をしながら、無難な遊びで時間を浪費し、音楽から遠ざかっていきました。私は自分が少しずつ少しずつ小さくなっていくような気がしました。
会社の往復と自宅での怠惰な生活を繰り返すなかで、焦りを感じた私は1つの決心をかためました。それは「長年続けてきた音楽からキッパリ足を洗おう」という決心でした。
とにかく、私はいまの諦めと惨めさの生活から脱却するための、なにかしらの変化が必要だと思いました。仕事は急に辞めることはできない。それなら、新しい方向へ舵を切ることを阻んでいるもう1つの原因。つまり音楽を断ち切る以外に下向きの螺旋を止めることはできないだろう。これが私の出した結論でした。
15歳の頃。片手にお小遣い、胸に大きな希望を携えて、近所のリサイクルショップでピンクの中古ギターを買ったあの日から、ちょうど10年が経過していました。ついにこの日が来たかと思いました。
夢を見つけた運命の1週間
それから音楽をキッパリと諦めるための生活が始まりました。仕事が終わって帰宅したあと、もしくは休日で自宅にいるとき、私はずっと音楽から足を洗うためにすべきことばかり考えていました。
音楽は人生の半分くらい連れ添ってきた相棒でしたから、無かったことにするために様々なことを考えねばなりませんでした。それは実に1週間を要しました。私の人生のなかで、最も長い1週間でした。
当時住んでいたマンションは部屋の中が真っ白いワンルームで、好きなことを捨てるという空虚な行為にはぴったりの場所でした。
それから私が何を考え、いかにして夢を見つけたのか順を追ってお話しましょう。
最初の数日:音楽をやめる儀式について考える
音楽をやめるにあたって、最後になにをしようか。まず考えたのはこれでした。
けじめとして買い込んだ楽器をすべて売ってしまったほうがいいのか。バンドメンバーを呼びつけて飲み会でも開こうか。最後にライブの1つでもやってみるか。IT系の資格勉強にでも精を出して、少しずつ忘れていこうか。
色々なアイデアを考えましたが、どうもしっくりくるものが見つからず、次の思考に切り替わりました。
3日ほど経過:音楽をやめてからの人生について考える
次に私が考えたのは、音楽を捨てた後に待っているであろう明るい生活についてでした。
まったく新しい趣味を見つけるのも良いでしょう。気のおける友人とドライブとかバーベキューとかするのに時間を投じるのも悪くない。会社の同僚とゴルフでも始めてみようか。
しかしこれだと思える生きがいが1つは欲しいものです。どうせなら仕事を我武者羅に頑張ってみようか。いままではどこかで音楽にも没頭したいという雑念がありました。
よく考えたら、音楽に劣るとしてもITだってやりがいがないわけではありません。ITで世界を変えるなんて、ロマンチストな私にピッタリじゃありませんか。
いまの会社が嫌なら転職したっていいんです。もっとやりがいを感じるIT系の会社だってきっとあるでしょう。休日返上で勉強して、いまの職種で自分に合った死に場所を見つけるのも悪くないって、自分を説得しました。
5日ほど経過:好きなことが続けられないのは何故なのか考える
おそらく5日ほど経った頃でしょうか。私はふと疑問に思いました。
私はいまのシステム屋の職業に専念することを考えていました。好きな音楽を捨てて、その時間をいまの仕事のキャリアプランを築くために使おうと考えていました。
しかし、いったいなぜ仕事のために好きなことを捨てなければならないのか、猛烈に疑問を感じはじめたのです。ここまで、論理的に考えてきたはずなのに、矛盾した結論に至っているような気がしました。
仕事と音楽を両立するのは難しい。音楽に対する愛情が抜けずに仕事が疎かになってしまうし、なにか1つに没頭したいと考える私には合わない。仕事は急には辞められないですし、新しい道も見つからないのですから、仕事に没頭してみようってのがここまでの流れです。
遊びを断ち切って、仕事に没頭する。そうすれば停滞した人生に前向きな変化が訪れるじゃありませんか。まったく間違えていない。まったく理にかなっている。まったく失敗する気がしない。
しかし、いったいなぜ好きなことだけが続けられないのか。好きなことなら続けたいと思うはずなのに、人生を次のステージに持っていこうとして論理的に考えたら好きなことを切り捨てなければならなくなる。
まったく不思議なことでした。素晴らしい人生を歩もうとすると、好きなことは続けられないのに、好きでないことを続けることになる。まったく人生ってやつはブレヒトの戯曲みたいに皮肉めいているというか、冷徹というか、混沌というか、矛盾に満ちているというか、ただただ不思議に思いました。
最後の日:私が夢を見つけた日
音楽を諦める方法について考えはじめて、1週間ほど経過したある日。私はまだ好きなことを切り捨てるという結果について考えていました。
人生ってのはかように捨てがたきものを捨てることによって前に進んでいくものなのだろうか?それとも、私の思考になにか穴があるのだろうか?
ここまで考えて、ふと私はある1つの選択肢をかたくなに拒否している自分に気づきました。
仕事と遊びを両立することについては考えました。仕事のために遊びを切り捨てて、仕事に専念することについても考えてきました。しかし、いったいなぜ私は遊びを仕事にすることについて考えてこなかったのでしょう。
遊びを仕事にする選択肢に蓋をしていたため、好きなことを切り捨てるという結論にしか至らなかったのです。私は自問しました。好きなことを切り捨ててまで、いったい何をしようというのでしょうか。
私はいまの生活をじっくりと噛み締めました。平日はシステム屋の仕事。休日は音楽家の遊び。5日はシステム屋の仕事。2日は音楽家の遊び。まるでたった2日のために5日をドブに捨てる生活。楽しい楽しい2/7の生活。そのうえ、私はいま7日すべてをドブに捨てる選択をしようとしているではありませんか。
おお、なんと馬鹿げた人生だろう!
好きなことを捨てて、好きでもないことを無理やり好きになろうとする人生!なぜその逆に向かおうとしないのか!
私は分かっていました。それをしないのは、夢破れるのが恐かったからです。現実に直面して、夢破れて、自分の音楽的な才能のなさを嘆くことになるのが心底恐かったのです。好きでもない仕事を淡々と続けるよりもずっと恐かっのです。いつか夢が叶う可能性を摘まれてしまうのが恐かったのです。私はたった一度の自分の人生において、そんな大きな責任を背負う覚悟ができなかった。
ですから、仕事の合間に頑張ってるとか、時間が足りないとか、もっと良い環境ならとか、人脈さえあればとか、ああだこうだと言い訳できる環境を作って、好きなことに没頭することを避けていたのです。好きなことに没頭してみて、それでも芽が出なかったら、もう後がないような気がしたから。
本当はそんな生活にもうウンザリしていたのです。人生の本番はまだ先だなんて虚妄ととも生きることに膿んだのです。いっそ仕事がクビになればと考えたことは1回や2回ではありませんでした。自分の人生の傍観者として、死んだように生きること以上の不幸はないでしょう。自分の本心を覗きこんで、私は心から自分を恥じました。私は心から自分に怒りを感じました。現実と対峙して一歩一歩前に進んでいくことを恐れ、もう10年も自分自身を偽っていたことに。
いまからでも遅くないだろうか。いまから、25歳から音楽を夢みて生きることなんてできるのだろうか?
できる!それが私の出した答えでした。才能はないかもしれない。でもできる!この答えを出すために、最後に私の背中を押してくれたのは、こんな考えでした。
私はこの1週間、音楽をキッパリと諦めるために悩みつつづけました。仕事に専念すると決めて、それでも最後の最後まで音楽を捨てられなかった。新しい道を考えて、想像して、それでもなお音楽に戻ってきた。これこそ私に音楽の才能があることを示しているに違いありません。
才能がなかったらどうしようなんて悩みは消え去りました。諦めきれないということは、才能の表れに違いないのです。
その瞬間、私はついに、自分の夢に目覚めました。
人はなんの変哲もない日常の一コマからでも変わることができる
かくして私は自らの手で自らの夢を見出しました。
私が夢を見つけたのは、ただの真っ白なマンションの片隅でした。なんとも興味深いことに、私を変えたその瞬間のその環境は、特別な人などはおらず自分1人だけ、特別な部屋でもなくていつもの部屋。なんの変哲もない日常の一コマでした。
なんの変哲のない日常で、なんの準備がなくとも、人は変わることができる。これは私に大きな希望を与えてくれました。そして幸いなことに、あのときの決断が正しかったという確信は4年経った今でも日に日に強まっています。
貴下の従順なる下僕 松崎より