夢とは「自分独自の力を発揮して、他人を奮い立たせること」である

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photo credit: Nazarene General Assembly 2013 via photopin (license)

私の愛しいアップルパイへ

夢!

ご存知、私の一番好きな言葉です。ですから、自然と「夢とはなにか?」についてよく考えます。特に私が好きなゲームは「夢」という言葉を、限りなく普遍的かつ具体的な言葉を言い換えることです。

2015年8月現在、私が一番しっくりきている表現がこれです。

「自分独自の力を発揮して、他人を奮い立たせること」

夢とは「自分独自の力を発揮して、他人を奮い立たせること」である

私はすべての人の夢は普遍的にこの言葉に還元できると信じています。芸術であれ、政治であれ、科学であれ、運動競技であれ、どのような夢でもこの1文に帰結するのではないでしょうか。

もし当てはまらない場合、十分に夢について自覚できていないか、方向性が誤っているか、まだ十分に洗練されていない状態だとも思っています。

この1文についてもう少し詳しく深堀りしてみましょう。

「自分独自の力を発揮する」とは?

この点においてはさほど違和感はないでしょう。私は、人は誰でも自分の全力を発揮したいという強い願望を持っていると信じています。

知識面、肉体面、感情面、精神面など、さまざまな側面をもった人間の能力のなかで、自分独自の力を発揮することは至福の喜びの1つです。逆に苦手な分野で耐え忍びながら生活するのは、この世で最も苦しいことに違いありません。

ここで最も重要なのは、力を発揮すること自体が喜びに満ち溢れた行為であり、その結果はさほど重要ではないということです。

自らの力を発揮した結果、金賞をとったとか、No1に輝いたとか、称賛を得られたとか、それは本質ではないのです。その前に、自分独自の力を発揮できていれば十分なのです。

もっと言えば、自らの力の独自性に対する純粋さをねじ曲げてまで、高い成果を目指してみても、一向に満足感は得られないでしょう。

「他人を奮い立たせること」とは?

これは最近になって付け足した1文です。様々な点において夢について考えたり、経験したり、話を聞くうちに、ほとんどすべての夢は最終的に「他人を奮い立たせること」を志向するものだという結論に至りました。

他人を奮い立たせることに神経が向かっていない人は当然居るでしょう。しかし、その方が夢について行動を重ね、より高いレベルで自分の力を発揮できるようになった暁には、「他人を奮い立たせること」に焦点があってくるはずです。

これは、理性という私たち独自の能力を発揮すると、私たちは自分が自分であると同時に人間であるという事実にたどり着くからです。これは人間だけが有する特別な能力の1つです。

いつしか自分独自の力を発揮するという夢は、人間独自の力を発揮するという言葉へと限りなく近づいていくでしょう。

まず運動競技に目覚めたものは、つぎに他人に勇気を与えるためと言うかもしれません。まず教育に目覚めたものは、つぎに人の絆を深めるためと言うかもしれません。まず発明に目覚めたものは、つぎに人の生活の質を上げるためと言うかもしれません。

想像してみてください。あなたがあなた独自の力を発揮して、人が奮い立つ様を!そして、その人がまたその人独自の力に目覚める様を!そして、その人がまた別の人を奮い立たせる様を!それは命を賭けても良いと思えるほど意義深い仕事なはずです。

まず第一に自分独自の力に目覚めること

ここまで私たちは夢とは「自分独自の力を発揮して、他人を奮い立たせること」として見てきました。これはどのような状況であれ、どのような環境であれ当てはまることを見てきました。

最後に1つ補足するのであれば、この2つの要素の順番をきちんと守ることの重要性です。もしこの言葉の順番を逆にして「他人を奮い立たせてから、自分独自の力を発揮すること」としても、決して成り立たないことが分かるでしょう。

ところが、実際のところこういった状況はあふれています。不本意な選択をしながら他人に貢献して、承認され、環境が整ったら自分のやりたいことに没頭するという真逆のやり方です。これでは、夢は空中楼閣の如くいつまでも現実化されない絵空事として妄想のうちに消え去ってしまうでしょう。

貴下の従順なる下僕 松崎より

著者画像

システム系の専門学校を卒業後、システム屋として6年半の会社員生活を経て独立。ブログ「jMatsuzaki」を通して、小学生のころからの夢であった音楽家へ至るまでの全プロセスを公開することで、のっぴきならない現実を乗り越えて、諦めきれない夢に向かう生き方を伝えている。