目標を設定できない人や決められない人がまず自分に問いかけるべき1つの質問

私の愛しいアップルパイへ

よくできたピアノソナタの展開部を聴きながら、あなたに目標設定について語ったことを昨日のことのように思い出します。

今日こうして筆を取りましたのは、目標に向かって突進するよりも前に、そもそもいかにして目標設定するか?という、最初の問いについてもお話ししておこうと思ったからです。

これは深淵な問いです。実際のところ、目標をたてたほうが良いとは思っていても目標にしたいと思えるようなことが思いつかないというのはよくあることです。それから、たとえば上司からの指示などによって形式的に目標設定をして、やりたくもない目標を立てさせられるというのもよくあることです。

目標が抽象的すぎて、なにをどうしていいか分からず、本当の意味で目標設定までたどり着けないこともあるでしょう。目標を選びきれずに「幸せになりたい」といった抽象的な目標設定をしても、なんの効能も見込めないものです。

いかにして目標設定するか?このような問題を解決するために世には賢人たちが(ときに俗人たちが)考えだした数々のフレームワークなどがあるわけですが、ここでは私が目標設定するときに何よりも先に考える実にシンプルな1つの問いについてシェアしておこうと思うのです。

人生になにを期待するかではなく、人生が私になにを期待しているか?と問う

もったいぶるつもりはありません。それは心理学者であるヴィクトール・フランクル氏の残したこんな問いです。

人生になにを期待するかではなく、人生が私になにを期待しているか?

ご存知、彼は第二次世界大戦中に強制収容所へ送られ、生還した心理学者です。彼は強制収容所へ送られる”前”に「ロゴセラピー」なる心理療法を作り上げ、自らの人生の意味を見つけることこそが人生を充実させると説いたのでした。

彼は自身の哲学的、医学的な知恵と強制収容所での体験から、以下のように語ったのでした。

生きる意味についての問いを百八十度方向転換することだ。わたしたちが生きることからなにを期待するかではなく、むしろひたすら、生きることがわたしたちからなにを期待しているかが問題なのだ

夜と霧 第二段階 収容所生活

目標設定のような人生の方向性を決定づける決断をしようとするとき、えてして人は人生になにを期待するか考えて泥沼にはまり込みます。

人生に期待することについて貪欲に思考を巡らし、あれもこれも選びきれなくなって、最終的に抽象的な目的を案出したと思ったら理想と現実に苦しむようになり、以降はほとんど現実逃避に近い行為に明け暮れるようになる。いつしか、かつて案出した人生の意味についてもはや信用することができなくなり、疑い深くなり、人生の意味を失って途方に暮れる。

もしくは、どうにかして案出した人生の意味や目標も、いつも対抗しようのない不服な現実に邪魔をされると感じ、どうしようもないほど打ちのめされて、どうせ自分の望みは叶いやしないんだとヘソを曲げてふてくされる

正直に告白すれば、これは私が長らく繰り返し続けてきた失敗パターンでした。

ヴィクトール・フランクル氏はこのような現実逃避や消極的な態度を一蹴し、視点を180度方向転換するのだと説きました。

人生になにを期待するかではなく、人生が私になにを期待しているか?

まったく甘美な竪琴のように響く言葉です。幻想曲に舞い降りたフルートの導入のように滑らかに響く言葉です。私は具体的な目標の内容を設定するにあたっては、上述した落とし穴にはまらないよう、まずこの問いから始めることに決めています。

人生になにを期待するかではなく、人生が私になにを期待しているか?

Sweeeeeet…

貴下の従順なる下僕 松崎より

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システム系の専門学校を卒業後、システム屋として6年半の会社員生活を経て独立。ブログ「jMatsuzaki」を通して、小学生のころからの夢であった音楽家へ至るまでの全プロセスを公開することで、のっぴきならない現実を乗り越えて、諦めきれない夢に向かう生き方を伝えている。