私の愛しいアップルパイへ
ああ、マレーネ・ディートリッヒの如く愛おしいあなたよ。夢がない、やりたいことがないなんて悲しいことを言うのはもう終わりです。
夢ややりたいことが見つからないときの三大勘違い
私の予想が正しければ、夢がない、やりたいことが見つからないときってのは、ちょっとした勘違いをしているときなのです。かつてショーペンハウエルが「肉体は生きる意志だ」と説いたように、生きてる限り夢がないなんて人は居ないのですから。
では、どんな勘違いをしているのか。それは大きく3つのパターンに分かれると感じています。
1.情熱を燃やせる特別ななにかを探しているとき
情熱は情熱を燃やす対象があるから発揮できるのではありません。順序が逆なのです。情熱があるから対象を見いだせるのです。
情熱を燃やせる特別な対象を探すよりも先に、情熱を燃やすことに集中するべきなのです。
2.死ぬまでにやりたいことを探しているとき
夢は死ぬまでにやりたいこととは違います。死ぬまでにやりたいことや将来やりたいことなんて、誰にも分かるはずもなく、大して重要でもないのです。
それにも関わらず死ぬまでにやりたいこと、つまり遠い未来にフォーカスを当てようとすると、常に理想と現実のギャップに不満を持ちながら生きることになります。
間違えないでください。私たちは遠い未来に生きているのではなく今生きているのです。そして、遠い未来もまた今の連続なのです。
ですから、将来どうなりたいかや将来必要になりそうなことではなく、今からずっとやっていたいと思えることを探すべきです。不満の連続ではなく、充実の連続にしようではありませんか。
3.人からの認定を第一としてハードルを上げているとき
資格をとる、役職につく、大舞台に立つ、一等賞をとる、売上をのばすなど、その多くは人から認められたいという欲求に根ざしています。
人からどれだけ認められるかという欲求には頂上がないので、何から始めれば良いのか分からなくなってしまいます。それに、自分の欲求と他人の欲求は大きく違うものですから、方向性を大きく誤るかもしれません。それに、すべての人を満足させることは不可能ですから、いずれ大いなるジレンマの中で途方にくれてしまうでしょう。
他人にフォーカスを当てれば当てるほど、霧か霞かに包まれたような状態になるでしょう。他人を前提とせず、もっと内から溢れでる喜びに目を向けるべきなのです。
貴下の従順なる下僕 松崎より