「マインドフルネス」の素晴らしい効果は「脱同一化」と「脱自動化」の2点である

1306878549_cdbd5f396a
photo credit: Sunday Morning Zazen Sept 2 2007.jpg via photopin (license)

私の愛しいアップルパイへ

先日、こんなお話をしたのは記憶に新しいでしょう。「マインドフルネス」ってやつです。

▼この記事の最後に、以下の「自覚の臨床教育学序説」なる研究論文へのリンクを貼りました。

これがなかなか素晴らしいもので、私も何回か読みなおしています。このなかで「自覚」(マインドフルネス)がもたらす効果が2つ語られています。それが「脱同一化」と「脱自動化」です。

「マインドフルネス」の素晴らしい効果は「脱同一化」と「脱自動化」の2点である

では、「脱同一化」と「脱自動化」とは何か?新しいバーガーの商品名でしょうか?もちろん違います。

それぞれについて論文を引用しながら説明していきましょう。

1.思考や感情や感覚からの「脱同一化」

私たちの日常意識は,とめどなく現れて くる思考や感情や感覚や外部知覚―意識内容 ―に満たされており, 私たちはそのつどの 意識内容に同一化し,その内容に対するさまざ まな反応をくり返している。

(中略)

同一化しているということは,一見その内容に主体的にかかわっているように思えるが,無自覚的な同一化においては,そのつど生起してくる内容にいつもとらわれ,左右されているのである。

p.4

私たちは日常的に思考や感情や感覚に同一化しているのです。この同一化のもとで、判断したり行動したりしています。怒りに身を任せたり、快感に身を委ねたり、これはある意味では反応的な生き方です。

そこで、自覚によって引き起こされるマインドフルネスな状態になることによって、この同一化から脱却できるわけです。いまの一時的な思考や感情や感覚に支配されることがなく、むしろコントロールできるようになるのです。「行雲流水」ってやつです。

2.常識や文化や生活習慣からの「脱自動化」

人間はその形成過程で徹底して社会的・文化 的な条件づけを受け,社会や文化の行動様式を学習する。その結果,日常生活のほとんどの行動は自動的,機械的に処理できるものになり,社会への適応が完全なものになる。

(中略)

これは正常な人間形成にほかならないが,自覚の観点か らすれば,いまだ不完全な自己実現である。自動機械状態に対して,自覚の訓練は,身体や感情や思考の動きに注意深く気づくことで,自動化した行動を脱自動化する。

常識や文化や生活習慣によって行動が自動化しているってのはご理解いただけるでしょう。白米を手で食べようとしないのは自動化しているからです。この自動化によって、1つ1つの判断にかかる負担を軽減できる効力があります。

一方、自動化は人間を機械仕掛けの人形にしてしまう危険性も含んでいます。マインドフルネスな状態を維持できれば、自動化すべきでないことについて自覚的になり、適切な場面において自分独自の力で意思決定する力を発揮できるでしょう。

「自覚」のパワーを活用しよう

脱同一化と脱自動化は、まさに私がいま課題に感じていることを言語化してくれていて、実にエキサイティングでした。

本論文にも書かれていますが、「自覚」は「意識」とはまったく別次元にあるものです。意識の延長線上に自覚があるわけではありません。つまり、自覚の能力を高めるためには専用のトレーニングを積み重ねていく必要があるということです。

これから「自覚」のパワーをさらに高めるべく、取り組んでいくつもりです。

▼今回引用した以下の研究論文「自覚の臨床教育学序説」にはさらなる詳細が書かれているので、ご一読をオススメします。

貴下の従順なる下僕 松崎より

著者画像

システム系の専門学校を卒業後、システム屋として6年半の会社員生活を経て独立。ブログ「jMatsuzaki」を通して、小学生のころからの夢であった音楽家へ至るまでの全プロセスを公開することで、のっぴきならない現実を乗り越えて、諦めきれない夢に向かう生き方を伝えている。