photo credit: ISC Integration Party Fall 2011 via photopin (license)
私の愛しいアップルパイへ
仕事を誰としているか。そして誰としたいか。
このことについてよく考えます。脱サラして一緒に仕事をやる人をある程度自由に選べるようになってからは特にです。
友達と一緒にやって良いのは遊びだけなのか?
学校ではよく友達と一緒になるために進路を選ぶようなことはするなと教えられたような気がします。「友達だから同じ部活」「友達だから同じ学校」「友達だから同じ会社」だなんて主体性の欠けた落ちこぼれの発想だと思われたものです。
これからの進路を決めるときは友情などに判断基準を求めず、自分が進むべき道を選べってことです。「公私を分ける」なんて表現もあります。
なるほど、これは正しい面もあります。人は自分独自の力を発揮して、自分が偉大だと認める目的のために主体的に生きるべきですから。
しかし、誤解もあります。それは、友情をはじめとした人間同士の絆ってのは、それ自体を生きがいにしても良いほど偉大なものだということです。
つまり、人との絆を偉大な目的とする主体的な選択だって十分に成り立つものです。人生の目的を考えるのも偉大ですが、人との絆も負けず劣らず偉大なのです。
強い絆ほど遠くにある現実社会
では実情はどうでしょう。私は会社員時代、働き方についてなんともいえない矛盾をずっと感じていました。
我々を取りまく人間関係において、濃い絆を順番に並べてみましょう。
- 1位.家族
- 2位.友人
- 3位.同志
- 4位.同僚
多くの人はこうなるでしょう。3位の同志ってのは、契約では縛られていないが共通の目的のために行動を共にする人と考えてください。社会人サークルや勉強会の仲間などはここに含まれるでしょう。
では、普通の会社員が時間をともに費やしたり、1つの目的のために行動を共にする人の順番はどうでしょう。
- 1位.同僚
- 2位.同志
- 3位.友人
- 4位.家族
仕事は人生の大部分を占めますから、だいたいこのように真逆になるのではないでしょうか。平日は朝から晩まで同僚と過ごし、仕事が終わったら同志との活動に時間を費やす。休日は友人と遊びに行き、数ヶ月に一度は実家に帰って家族が集まって食事する。そんな生活です。
会社に入社すると、多くの人はたまたま配属された部署で偶然一緒になった人と多くの時間を過ごします。より絆の濃い同志、阿吽の呼吸ができる友人や家族は蚊帳の外です。
これはある種の機能的固定です。同僚とは仕事、同志とは趣味、友人とは遊び、家族とは団欒と、人間関係に勝手に役割を決めつけて可能性を狭めているのです。
しかし、想像してみてください。もし気のおける友人や家族と、一緒に子供みたいに遊べる友人や家族と、損得勘定を超えられる友人や家族と、良いところも悪いところも理解して受け入れられる友人や家族と、1つの目的に向かって一緒に働けたらどうでしょうか?
実はこれが一番生産性の発揮できる関係ではないでしょうか?
重要な仕事ほど強い絆に頼った方がいい
脱サラしてから今に至るまで、できる限り公私混同するように務めています。
プロジェクトを企画するときには昔からの友人や仲の良い友人を積極的にメンバーに誘うようにしました。
職種やスキルよりも、人間として絆を深めたいと思える人と一緒にプロジェクトをやるようになりました。
この方針は、プロジェクトをより良いものにすると同時に、我が人生の満足度を上げてくれています。
貴下の従順なる下僕 松崎より