私の愛しいアップルパイへ
▼先日は、自分は犠牲者であるといった思い込みによって、本当にやりたいことが手につかず、無気力感に悩まされる話をしました。
今日はこれに関連して、本当にやりたいことが手につかなくなるもう1つの原因についても触れようと思います。本当にやりたいことが手につかないのは、上記の記事でお話したこととこれからお話することの、2つの問題が複合的に絡み合っていたので厄介でした。
自分の扱いが正当か不当か悩んでも前には進まない
根っからの夢想家だった私の大好物は夢と希望と未来でした。音楽でもなんでも私はものごとの正しくて理想的なあり方について考え込む癖がありました。
本当に理想的な状態はなんなのだろうか?それを目指すにはどうすればいいのか?そういったことを考えるのが大好きなのです。
同時に、世の中の正しくない状態を見ては嘆いていました。
なぜ”ほんもの”の音楽はいつも世にでないのか?なぜ会社は偽善的な口実に合わせて回っているのか?なぜ人は表面的なだけの関係に終始しようとするのか?
せめて自分だけでも理想的な状態を理解し、そうあるようにと努力しました。私はこう思っていたのです。私が望ましい姿でいれば、いつかきっと報われるはずだと。しかし、これは都合の良い現実逃避に過ぎず、思考停止に他なりません。
世の中は私が正しくて理想的だと考えているようには存在していません。これは私だけに限らないでしょう。その証拠に、毎日みんながそれぞれの正義と理想を振り回して裁判所に通っているのですから。
自分がいかに正しい存在になろうとしても、世界はそれに報いてくれるわけではないのは自明です。世界は正しいことのために回っているのではなく、いま世界がそうあるように回っているのですから。
自分の待遇を嘆くより、やるべきことが他にある
私はずっと自分の扱いが正当か不当かで悩み込んでいました。ある種のことがらについて、私は他の人よりも明らかに正しくものごとを理解しているはずだ。理想的な存在になっているはずだ。それにも関わらず、なぜ私は満足のいく見返りを得られないのだろうか。これが妥当な待遇なのだろうか。もっと正当なものが他にあるのだろうか、と。
本当の問題は正当か不当かではありません。正当か不当かに関わらず、望ましい状況でないなら目の前の問題を解決すべきなのです。世界が正しくない状態で回っているのなら、その中に入り込んで1つ1つ問題を解決していくほかないのです。
繰り返しますが、世界は正しいことのために回っているのではなく、いま世界がそうあるように回っているのですから。正当か不当か嘆くより、もっと他にやるべきことがあるということです。
これは選択権を自分のもとに取り戻して、問題を戦略的に解決していくための前提でもあります。それを教えてくれたのが以下の「史上最強の人生戦略マニュアル」です。まったく驚くべき一冊です。
貴下の従順なる下僕 松崎より