我がソングとライブがあなたを情熱の炎でBurning!させる理由

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私の愛しいアップルパイへ

普段はお風呂あがりのトイ・プードルみたいに大人しい佇まいであなたに手紙を書き綴っていますが、今日ばかしは僭越ながらもあなたに雄弁に語りたいことがあります。おお、神よ、私に一片の勇気をください。語りたいことというのは、我がソングとライブがあなたをいかにして情熱の炎でBurning!させるかについてです。

私は過去や未来や他人への依存から解放されて、いまこの瞬間にBurning!する生き方について何度も対話してきたつもりですが、今日はそのために音楽がいかに機能するかについて切り込んでいこうと考えた次第です。

音楽が情熱をかき立てる理由

アポロとディオニュソスの対照

愛読書である「美の歴史」にはこの点において、実に重要な考察が語られています。

第二の対照は、聴覚と視覚のそれである。ギリシア人はこの二つの知覚形式を好んだ(おそらく嗅覚や味覚とちがって、軽量や数の秩序という点から語ることができたからであろう)。また、音楽には魂を表現するという特権が認められたけれども、「喜ばせ、魅了する」という意味で、美の定義に一致するのは視覚形式のみであった。

(中略)

このような違いは、彫像は「イデア」(したがって、静謐な瞑想の感覚)を表現するけれども、音楽は情熱をかきたてるものとして理解されると考えるなら、理解しやすい。

美の歴史 p.56

つまり本書では、ギリシアの時代から既に調和と均衡を表す「アポロ」的な美は視覚表現が、無限と混沌を表す「ディオニュソス」的な美は音楽が担っていたことを指摘しています。このテーマは近代になってニーチェによって再発見されました。

限界のない不調和を表現する音楽

視覚表現といのはその形式上、美と観者の間に一定の距離が与えられます。観者は絵に入り込むことはできないため、隔絶された理想的な世界の美を表現するのに適しています。

一方で、音楽という聴くことのできる形式は、それらが聴者の魂に入り込んで人間の内部に広がる混沌とした部分を刺激できます(だからこそ音楽はしばしば人を惑わすものとされてきたのでしょう)。

音楽は元来より、その目に見えず、手で触れられないという特徴によって、限界のない不調和を表すのに秀でた形式なのです。そして音楽が耳から入り込んで作用する対象がなにかというと、限界のない不調和の中心にあるもの、つまりそれこそが情熱です。

なぜ情熱は無限で不調和なのか?

情熱が限界のない不調和である理由は、情熱が時間と空間によって定義することができないという点によって明らかでしょう(5年前の情熱、10年後の情熱なんて言葉は何の意味もなさないであろうし、1つ目の情熱、2つ目の情熱なんて言葉も意味をなさないであろう!)。

ニーチェに多大な影響を与えたショーペンハウアーはこれを「意志」と呼んで、主著である「意志と表象としての世界」のなかで詳しく論じています。

音楽はいまこの瞬間に楔を打ちつけるものである

時々、音楽の時間芸術的な側面に注目する方もいますが、私はその逆の視点に注目しています。つまり、音楽こそ唯一「いまこの瞬間」をとらえるための表現なのです。

想像してみてください。バスドラムとスネアドラムの奏でる4分音符のリズムに合わせて体を揺らしているときのことをです。そのときの状態といえば、4分音符間の時間の推移を感じているというよりは、むしろいまこの瞬間に意識の楔を打ち付けているという方が正しいでしょう。

なぜこれが重要かというと、先ほども触れた通り情熱はいまこの瞬間にしか存在し得ないからです。

かくして音楽がいまこの瞬間にBurning!する生き方に有効なものであるということがご理解いただけたでしょう(そう願う!)。

さぁ!我がソングとライブでBurning!しよう

▼こちらの記事を読んでいただければ分かる通り、私が音楽を渇望し、魅了されたのはまさにこの点においてでした。それは、いまこの瞬間に存在する情熱というものが、あまりに社会から軽視されていると同時に、自覚するのが難しいことを示しています。

そして、音楽という「ディオニュソス」的な美による情熱の解放は、偽りの仮面によってがんじがらめにされた私たちの生活にいま第一に求められているものであると私は確信しています。

▼そうだ、せっかくですから、我がディオニュソスを掲載することにしましょう。

さぁさぁ!気むずかしい紳士の皆さま! すれっからしの淑女の皆さま!わんぱく坊主に不良娘たち!
目を凝らしてよく見てみなされ!ここにゃあ我らの大好物が!

(どーどー Hank!どーどーHank!そいつぁ無粋だい!)
(どーどー Hank!どーどーHank!そいつぁハハーッ!)

硝子細工のごとき配慮!賞賛!お涙ちょうだいの努力と絆!薄っぺらな衝動と情熱!
譲り合いと自己犠牲のビッグビシネス!例えるなら

まるでダイエットコーク
まるでダイエットコーク
まるでダイエットコーク

(どーどー Hank!どーどーHank!そいつぁ無粋だい!)
(どーどー Hank!どーどーHank!そいつぁハハーッ!)

もうゲップが出るくらい満腹!親切のためにゃあ自分をも殺せる見上げた根性!
右も左も肥えた畜群のホームパーティー!そう、例えるなら

まるでダイエットコーク
まるでダイエットコーク
まるでダイエットコーク ダダーンッ!

「おおっと、失礼!お嬢さんに涙の出るような甘いメロディーでもお届けなすって」

ここじゃあ赤は青く、黒は白に染まりやがる!あめ玉もらったって気を許しちゃいけねぇ!
あゝ、この一大茶番劇にいったいいかほどの価値を見出そうってんだぁ?

まるでダイエットコーク
まるでダイエットコーク
まるでダイエットコーク
まるでダイエットコーク

強盗が強盗をするように!売春婦が売春をするように!乞食が乞食をするように!自分殺しは自分殺しを!
強盗が強盗をするように!売春婦が売春をするように!乞食が乞食をするように!自分殺しは自分殺しを!

貴下の従順なる下僕 松崎より

著者画像

システム系の専門学校を卒業後、システム屋として6年半の会社員生活を経て独立。ブログ「jMatsuzaki」を通して、小学生のころからの夢であった音楽家へ至るまでの全プロセスを公開することで、のっぴきならない現実を乗り越えて、諦めきれない夢に向かう生き方を伝えている。