腕時計嫌いの私がApple Watch 4に物申す

私の愛しいアップルパイへ

Apple Watch Series 4をご存知でしょうか。2018年に発売されたApple Watch の最新モデルです(2019年1月9日時点)。あなた不思議に思うかもれませんね。

というのも、私はこれまでApple Watchシリーズに関してひたすら沈黙を守ってきました。ガジェットに関して極めて敏感なアンテナを持ち合わせており、また愛用するものはひた隠しにせずあなたにお話ししてきた私が、Apple Watchシリーズに関してだけは一切の言及を避けてきたからです。

あなたもそれを察してか、私に「Apple WatchについてjMatsuzakiはどう思うの?」なんて野暮な質問はしませんでしたね。言わなくても察してくれるところがあなたの魅力です。

しかし、私は今日ついに口を開こうと思います。Apple Watchシリーズについて私が何を考えてきたか。なぜ私がApple Watchシリーズについて、そして最新モデルであるApple Watch 4について、まるで拘束され拷問されても口を割らない屈強な老兵士のごとく頑なに沈黙を守ってきたのか。

「履き違えている!」。率直に言ってそう言わざるを得ません。

大の腕時計嫌いである私がApple Watch 4に物申す

まずもってお伝えしておきますが、私はもともと大の腕時計嫌いです。腕の異物感には不快感を覚えますし、毎日腕時計を腕に巻いて外出する一手間が面倒で仕方ありません。加えて、日本のサラリーマン界隈にいまだ存在する腕時計によって自らのステータスをアピールする時代遅れのカルチャーにも心底うんざりしていました。

もっといえば、私は時間を主体的に使うことを臓腑に刻み込んでおり、時間に追われるのは大嫌いです。腕時計は人に焦燥感を宿らせ、精神的な健康を損ないかねない危険な道具なのです。

たしかに技術としてApple Watch 4は従来のApple Watchシリーズと比べてスペックが上がり、バッテリーの持ち時間が増え、画面の見やすさも向上したのは知っています。Appleストアで様々なカラーのApple Watch 4を眺めているだけで付けてみたいという欲求がムクムクと起こり、購入した後はいつも通りの高品質で滑らかな箱の手触りにうっとりとし、外見はシックで、他のApple製品との連携は実にエレガント、ナイキとのコラボも光ります。

しかしそれは表面だけを見ていればの話。問題の本質とは無関係です。

Apple Watchが発表された当初、私は心からがっかりしました。Appleを「ジョブズ亡き後」などと表現したくありませんが、反射的にその言葉が脳内を駆け巡ったことを今でもよく覚えています。

電話の再発明としてのスマホには確かに唸らされました。しかし腕時計の再発明となると訳が違います。およそ誰もが想像しうる最も凡庸な発想と言っても過言では無いでしょう。

なるほど確かに私は数々のApple製品を使っています。メインで使っているのはMacbook Proであり、スマホはiPhone XS Max、ヘッドホンはBeats Studio3を使い、AirPodsも持ってます。しかしここで明言しておきますが、いずれもひょんなことから手に入れたというに等しく、私は決してApple信者などではありません。魂までは売り渡してはいません。

根っからのWindowsユーザーである私の慧眼は未だ鈍ってはいません。あなたもご存知でしょう。私は良いものには良いと言い、悪いものには言葉を濁さずはっきり悪いと言う性分です。

なにも私はいま既にApple Watchを持っている人を悪く言いたい訳ではないのです。Apple Watch 4を手に入れて「今度こそApple Watchは良い、今度こそApple Watchは良い」と自分を奮い立たせる俗人たちに罪はありません。

ジム・コリンズはビジョナリー・カンパニー2の中で凡庸な企業と偉大な企業には対する取り組みに明確な違いがあると述べました。それは、凡庸な企業は時代に取り残される恐怖から最新技術に手を出し、偉大な技術は自社の本質的な強みに基づいて焦らずじっくりと主体的に新技術を取り入れるというのです。つまり偉大な企業は技術を活用はすれど、技術に踊らされることはないということです。

これは個人にも当てはまります。自らを本質を冷徹に鑑み、戦略を持って技術を取り入れる人と、単に時代に取り残される恐怖から新しい技術にすがりつく人がいます。Apple Watch 4にいま手を出すのは、チキンリトルみたいになって「空が落ちてくる!?」と叫び、時代に取り残される恐怖から購買行動に走るのと同じです。

無論、このような図式は資本主義下においてはある程度仕方のないことなのも存じ上げております。歴史学者のユヴァル・ノア・ハラリ氏は「サピエンス全史」と「ホモ・デウス」で再三に渡って警笛を鳴らしていますが、行き過ぎた資本主義は半ば無理やり市場を案出しようとします。

彼らは人の生活を向上させるためではなく、ただ人の渇望を煽るためだけに「もっといいものがある。もっといいものがある」と囁き続けます。そして大衆はまるで喉が渇いた時に海水を飲んでしまったかのように、満たされることのない物欲の渇きに支配されるようになるのです。

西洋美術史では14世紀に描かれた凸面鏡は「豊かさ」を象徴しますが、15世紀に入ると「虚栄心」を象徴するようになります。Apple Watch 4はどちらでしょうか?

いつでもどこでも手元で時間が見られる機能なんていりません。スマホにも必要無いくらいです。それどころか、いつでもどこでも手軽に通知を見られるだなんて、地獄絵図と言っていいくらいです。

確かに、画面は今までより広くなり、綺麗になり、道歩く時に視界の端に映るApple Watch 4にうっとりすることもあるでしょう。時計という概念を大きく飛び越え、日常に潜在的に埋もれていたストレスをスマートに解決する工夫の1つ1つに胸が高鳴ることもあるでしょう。

とはいえ、私たちはあまりに能率ばかりを追い求めている気がします。いかに能率を求めたところで、行き先を間違えていればシーシュポスに与えられた罰のように、ただただ空しいだけです。

Apple Watch 4がただスマホの機能を補うためだけに作られた訳ないことも知っています。Appleは資本主義というここ300年で生まれた新興宗教の名の下、ニーズなきところに無理やりニーズを作り出そうとする負の側面をひた隠しにするため、単なる高機能ではなく運動や健康面での生活の質向上を必死にアピールしています。そのためにナイキなどのブランドとのコラボレーションに躍起です。

ソフト面でのナイキとのコラボは控えめに言っても好感が持て、バンドには汗をかいても蒸れない空気穴が施されているアイデアは評価しましょう。何より心拍数や歩数、睡眠の深さなどが正確に測定できることから生まれる生活改善には買ってすぐに活用できる無視できないものも多くあります。

しかし、それも冷静に物事の本質を見通し、不安感から技術に飛びつくようなことをしない私やあなたにとって、そのようなアピールは寒々しく響くだけです。

Apple Watch 4は現在5万円ほどの価格で売られています。これが技術的に高いか安いかは別として、いえ恐らくその質だけを見れば十分に安いのでしょう。わずか30gほどの物質にこれほど魅力的な機能が内包されているのかと驚きもするでしょう。

なるほど時計の概念を超えているのであれば、腕時計が嫌いだからといって購入を躊躇する必要はないんじゃ無いかと自問自答する日が来るかもしれません。

しかし、絶え間なく出現する通知や、日々の充電の面倒臭さなどを鑑みると、少なくとも私にはとても買う意味があるとは思えません。私が生きるためにApple Watch 4を使っているのか、Apple Watch 4のために私が使われているのか分からなくなりそうです。

▼一応参考までにApple Watch 4のリンクを貼っておきます。しかし、この商品を私はあなたに買って欲しいとも思いませんし、多分あなたも買わないでしょうから、AmazonのアフィリエイトIDの含まれた商品リンクなどではなくApple公式リンクを控えめ貼るに留めます。

一応ですが、画面は狭いよりは広い方が良いので44mm、iPhoneと連携して使うことがほとんどでしょうからGPSモデル、そして中でも最もシックな見た目を備えたブラックの私が買うならこれというモデルにリンクしておきます。

Apple Watch Series 4公式サイト

もし仮に、万が一、これはもし無人島に漂流したらとか、地球が爆発したらとか、タイムマシンが開発されたらとか、そういうレベルの可能性の話だと思っていただいて差し支えないのですが、もし私が万が一にApple Watch 4を買うとしても、それはあくまで自社サービスの動作確認用ということであり、それを使う私の顔には一切の驚きも感動も宿っていないことをお約束します。

あまり他社の商品の悪口をダラダラと続けていてはいけませんので、今日は気持ちを切り替えてこの辺にしておきましょう。

貴下の従順なる下僕 松崎より

著者画像

システム系の専門学校を卒業後、システム屋として6年半の会社員生活を経て独立。ブログ「jMatsuzaki」を通して、小学生のころからの夢であった音楽家へ至るまでの全プロセスを公開することで、のっぴきならない現実を乗り越えて、諦めきれない夢に向かう生き方を伝えている。