私の愛しいアップルパイへ
今日は少し私と一緒に頭の体操をしませんか?
私は時に思うのです。
答えの無い問題に取り組み、曖昧さを理解する事も重要だと。
ああ、「”おおよそ”の世界」の素晴らしさよ!
今回は見るからにややこしい問題。音楽における作品という概念についてです。
その作品はいかにして固定されるか?
“その作品”はいかにして”その作品”であるのでしょうか。
まずはこの問題について、ハンスリックによる興味深い主張を引用しましょう。
「ある楽曲に関する想像に充ちた種々の叙述、特性描画、解釈等は全て”象徴”か、さも無ければ”誤謬”である」
例えば私がエルヴィス・プレスリーの「Love Me Tender」がいかに素晴らしいかを説明すると、きっとあなたは手放しで賞賛してくれるに違いありません。
しかし一度立ち止まって考えてみて下さい。その「Love Me Tender」とは一体”どれ”の”どこ”を示しているのか。
歌詞か、旋律か、律動か、歌声か。そのどれでもないか、もしくはそれら全てでしょうか。
ここにYouTubeで「Love Me Tender」を検索した結果のリンクを貼ってみましょう。
果たしてどれが本当の「Love Me Tender」なのでしょうか。
我々は“その作品”を明確に区別できている様で、まったくその音楽的な本質を理解していない事が分かります。
そしてこの事は“その作品”と”あの作品”の違いをまったく理解していないという事でもあります。
ここにDoorsの「Hello,I love you」とThe Kinksの「All Day and All of the Night」を貼ってみると事態はよりややこしくなるでしょう。
この2曲の類似性は何に起因しているのでしょうか。
例、主例、メガタイプ
ここに一つ興味深い論文があります。それは「ポピュラー音楽における「作品」とは何か」と題された論文です。
この論文では作品の同一性についてジョセフ・マーゴリスによる“例”、”主例”、”メガタイプ”という概念を用いて言及しています。
簡単に説明しましょう。
“例”とはその作品の演奏一つ一つを指します。先の例で言えば、youtubeの一覧に表示された様々な「Love Me Tender」の一つ一つの演奏の事です。
そして、それら「Love Me Tender」の”例”の中には、一つの特別な”例”、つまり“主例”が存在すると言います。これは作者によってその作品が最初に形作られた時の”例”を指すのです。
その”主例”には、それぞれの”例”を形作る共通の、つまり作品の同一性を規定する“メガタイプ”という概念を抽出できると言います。全ての”例”はある同一の”メガタイプ”に所属しているというのです。
そして、音楽で言う”メガタイプ”とは総譜であると論じられています。
これらは確かに野心的で非常に興味深い分析だと思います。
しかし同時に、「Love Me Tender」が我々に与える紳士的で甘~い印象と、その総譜が持つ大理石増の如く冷徹な記号的構造とのギャップに動揺せずにはいられません。
これをハンスリックは皮肉を込めてこう表現します。音楽は『此の世のもの』では無い、と。
この問題の価値
この問題には明確な回答はありません。しかし、どうにも定期的に考察したくなる魅力があります。
恐らくこの問題に含まれる”音楽”なるものの本質的で根源的な現象について興味が尽きないからでしょう。
この記事を最後まで読んでモヤモヤして来たあなた。今日は早めに寝ましょう。
貴下の従順なる下僕 松崎より
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▼ご参考------------------------------------------
音楽美論 (名著/古典籍文庫―岩波文庫復刻版) ハンスリック 田村 寛貞 一穂社 2006-03by G-Tools |
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