私の愛しいアップルパイへ
錆びつくくらいなら、いま燃え尽きたほうがいい
まったく、ニール・ヤングはよく言ったものです。打算的な駆け引きを続けたり、保身のための逃げ道をつくったりするのではなく、燃え尽きるための一日をつくること。これこそが真の生きがいといえるものです。
私が最後のライブで感じたことは何だったか?
5年前、当時、唯一の生きがいだったバンドを解散した瞬間のことはよく覚えています。
最後のライブは新宿の歌舞伎町を抜けた先にある地下一階のライブハウスでした。ライブハウスのなかは、当時の私の心境を投影しているかのように真っ黒でした。
最後の曲が終わって、真っ黒い幕が降りて、私は3人のメンバーと肩を組んでお辞儀をして、観客席から歓声が上がりました。
それで、私がなにを感じたと思うでしょうか。それは意外にも達成感ではなく、喜びでもなく、ましてや悲しみでもなく、怒りでもありませんでした。私はただひたすら惨めさを感じていました。
「好きなことすらろくに出来やしない」って。
この日のために生きているのだと言い切れる幸福
だらかなにかって?良い質問です。
私は、自分の人生を一つの映画だと思って生きています。先ほどお話した最後のライブのエピソードが映画のワンシーンだったとして、それはラストシーンでしょうか。それとも、プロローグでしょうか。
ある日、私は素晴らしい思いつきに辿り着きました。この挫折のエピソードを映画のラストシーンととらえるのではなく、映画のプロローグだと思うことにしたのです。夢破れた人間のラストシーンではなく、諦めきれない夢を取り戻す勇気のストーリーのはじまりだと思うことにしたのです。
人は過去の経験によって決定づけられるのではなく、過去に与える意味によって自らを決定するのだ、とはよく言ったものです。
この発想の転換は私に幸福をもたらしてくれました。次のライブこそ、5年越しのストーリーを推し進める日になるのですから。私がこの日のために生きているのだと確信できる一日になるのですから。ニール・ヤングの言うとおり、ようやく燃え尽きることだけに専念できる一日がくるのですから。
我が人生にそう思える日があることを心から嬉しく思うと同時に誇りに思います。
貴下の従順なる下僕 松崎より