私の愛しいアップルパイへ
いままで私を抑制してきた惰性的な思考パターンのうちで最も害悪だったものの1つが「勘違い野郎だと思われないようにしよう」でした。
これこそ夢へと向かう二の足を踏ませていたものです。
「分かってる奴」か?「勘違い野郎」か?
私は長らく「勘違い野郎」だと思われないように生きてきました。「勘違い野郎」だと思われることは失敗への道のりだとも思っていました。
ひとたび勘違い野郎だと思われてしまえば、世界につまはじきになり、なにか悪いことが起きるって思い込んでいたわけです。
ですから、「分かってる奴」だと思われることに心血を注いでいました。もし人から勘違い野郎だと思われているような兆候を見かけたら、夜も眠れないような不安を感じて、必死でリカバリーもしました。
いま思えば、まるで「空が落ちてくる!空が落ちてくる!!」って騒ぐチキンリトルみたいなものです。
しかし本当に恐ろしいのは、勘違い野郎を恐れることによって自らの衝動や情熱を押し殺してしまうことではありませんか。本当に恐ろしいのは、自在さを失って、成功も幸福も心の平安も失ってしまうことではありませんか。
自分独自の力を発揮しようと思ったら、どうしたって勘違い野郎になるしかありません。なぜなら我々はそれぞれ唯一無二の存在であり、前例のない存在だから!
それは以下の記事をお読みいただければよく分かるでしょう。
自分独自の力を発揮して、意義深い目的を果たそうとしたときには、必ず勘違い野郎になることからはじめる必要があるのです。
「分かってる奴」を突き動かして「勘違い野郎」を増やす
「勘違い野郎を恐れること」は長らく私の潜在意識にすり込まれており、いつしかこれに抗うこと自体が私の情熱の源泉にもなりました。
「分かってる奴」を突き動かして、「勘違い野郎」を1人でも増やすこと。これは私の音楽表現の根本にあるものです。
貴下の従順なる下僕 松崎より