私の愛しいアップルパイへ
「システム屋から音楽家へ」
私がそう叫んで苦役を背負った駱駝から自由を求める獅子のごとく立ち上がったのは今から6年前、25歳の頃でした。
あれから6年、私は会社を飛び出しフリーランスとなり、事業を築き、今では信頼できる仲間と会社を作りました。会社名はjMatsuzaki株式会社。そこが我が情熱の投影となることを願って。
今では6年前では信じられなかったほど自由な環境のなかで夢の実現に注力しています。
この6年間は決して楽な道ではありませんでした。そこで、私のような無気力で無名のサラリーマンが6年で会社を作って社長になるまでの軌跡と、それまでにやったことを連載形式で発表していきます。連載の目次は以下の通りです。
- 第一話:無気力サラリーマン時代 ← Just Now!!!
- 第二話:最初にやったのは○○すること
- 第三話:小さな一歩を踏み出す
- 第四話:情熱に従う
無論、私とあなたで進む道は違いましょう。しかし、あなたのような夢見るリアリストであればきっと私の経験が参考になるはずです。今日はその連載をはじめる序文として、当時の状況について簡単にお話しましょう。
特に見るべきところのない無気力サラリーマン時代
音楽家になりたいと思ったのは小学生のころでした。夢を安易に放り投げてシステム系の専門学校に入ったのは18歳の頃でした。理由は、ITバブルなどといわれていた当時、就職が簡単そうだったからです。なんて受身な人生!
20歳で専門学校を卒業し、金融系のシステムエンジニアとして就職しました。就職は専門学校からの推薦を受けた会社でした。いま考えれば会社の選択すら受け身でした。ガッデム!
就職した会社に特に不満はありませんでした。忙しい時期もありましたが、体を壊すほどの長時間労働もなく、残業代も年に2回のボーナスもきちんと出ました。
銀行のグループ傘下だったこともあり、人事評価制度などもしっかりしていました。専門学校卒は大卒の同期よりも給料は安いのですが、そのぶん年齢は若いわけですし、入社前に条件は聞いていたので不満に感じることはありませんでした。
私は特段良い社員でもなければ、特段問題のある社員でもありませんでした。2年間専門学校で集中的に学んだこともあり、技術的に置いていかれるようなこともなく、人間関係で大きなトラブルを起こすようなタイプでもありませんでした。
上司に楯突くようなこともなく、だからといって気に入られるでもなく、会社の人間と特段仲良くなるようなこともありませんでした。
ITはもともと得意だったこともありましたし、2年間勉強してきたことを発揮できる場所にそこそこやりがいを感じていました。とはいえ積極的に新しい技術を学ぼうとは思えませんでした。仕事は仕事と割り切っていて、消化試合のように捉えていたのです。
私は上司から降られたプロジェクトを淡々とこなし、同僚とは特に仲が良くも悪くもなく、たまには愚痴を言い合ったりして、休日には学生時代からの友人と遊んでいました。だいたい思っていたような生活を送っていました。
私は出世したいと願うこともなく、もっと上の会社に転職したいと願うこともなく、だからといって明日クビになったり、会社が倒産したりしたらどうしようなんて恐れることもありませんでした。なるようになると考えていました。中庸も中庸で、凡庸という類のサラリーマンでした。
私はだいたい思っていたような生活を送るだけで満足している、なんの変哲もない無名の無気力サラリーマンだったのです。
問題は、これはもっと後で分かることなのですが、心の底ではこのような生活にまったく満足していなかったことです。そんなことにも気づかないまま、仕事を続けていました。
次回、無気力サラリーマンが動きはじめる!
これが当時、サラリーマン時代の私の状況でした。次回はこの主体性のまったく欠けた男が、一歩踏み出そうともがきだすところをご覧に入れましょう。
それではまたここでお会いしましょう。続きはしばしお待ちください。
貴下の従順なる下僕 松崎より
ネクストッ → 第二話:(2) 最初にやったのは○○すること