私の愛しいアップルパイへ
わたくしめjMatsuzakiが諦めきれない夢へと向かうべく、会社を飛び出して独立し、事業を作り、会社を作って社長になるまでの軌跡を整理してお伝えする連載も2回目となりました。
- 第一話:無気力サラリーマン時代
- 第二話:最初にやったのは○○すること← Just Now!!!
- 第三話:小さな一歩を踏み出す
- 第四話:情熱に従う
前回は当時の状況について整理しましたので、今回は私を突き動かした最初の運動についてお伝えします。
「最初にやったのは○○すること」なんてタイトルをつけましたが、そんな私を俗物となじるようなことをあなたはしないだろうと信じています。
サラリーマン生活6年目の苦悩
時がきたのは25歳の頃でした。20歳で働き始めたので、それはサラリーマン生活が6年目に入った頃でした。
私はこの5年間、器用に立ち回ってきたものだと思っていました。大きなトラブルもなく、仕事に潰されることもなく、細く緩やかに生き延びてきたのです。
そこでふと普段は考えないようにしていたあることに思考を巡らします。「あと何回この5年間を乗り切ればいいのだろう」と。
定年が60歳だとしたら残りは35年。あと7回この5年間を繰り返さなければならないことになります。あと7回も!
よく考えてみればこの5年間は決して楽な5年間ではありませんでした。上司や人事部に目をつけられないようにビクつきながら、対して興味もない新しい技術を身につけ、目の前の仕事を無難にこなす5年間だったのです。
休みといえば7日のうちの2日だけで、残りの5日はただ時間よ過ぎ去ってくれと祈るような生活でした。しかも、休日の2日といっても決して充実していたわけではありません。何をするでもなく映画を観たり、ゲームをやったり、飲み会に行ったり。
生きがいなんてものはなく、そういえば生きがいだと思っていた作曲活動やバンド活動は仕事の忙しさから中断したのでした。
▼会社が嫌で嫌で堪らなくなって上司に会社を辞めるって直談判しに行ったこともありました。
このゆっくりゆっくり首を絞められるような生活を、あと7回も繰り返さないといけない。しかも同じ5年間とはいえ歳とともに責任は重くなり、恐らく少しずつ難易度は上がっていくのでしょう。私はすっかり意気消沈してしまいました。
まったく、いったいどこで道を間違えたのでしょうか。気がつけば生きがいなんてものもなく、手に入れたのは好きでもないIT技術と、望んでもいない仕事と、無名のサラリーマンという平均的な生き方だけです。
将来が見えないよりも、将来が見えてしまうことの方が恐ろしいとは、まさにこのことです。
とはいえ今から夢を追いかけるなんて現実的じゃありません。今や20歳で成功が当たり前。25歳からリカバリーしようとしても、周回遅れは目に見えています。音大を卒業したわけでもなく、特別な才能もなければ人脈もない。
夢を追いかけたところで惨めさからさらなる絶望に直面するか、のたれ死ぬかの2つに1つでしょう。
進むことも、戻ることもできない。私は行き場のない悲しみと怒りに身を焦がしました。
そう、私が最初にやったのは「絶望すること」でした。
自ら出口なしの迷宮にズブズブと入り込んでいった自分の浅はかさを呪いました。せめて後5年早ければ…そう何度も嘆きました。
絶望、これこそ私を突き動かす最初の運動だったのです。
貴下の従順なる下僕 松崎より
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