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私の愛しいアップルパイへ
「人は好きなことを自然にやってしまう」という誤解は根強いです。転じて「好きなことは自然にやってしまうもので、自然にできないことは好きなことではない」という鼻で笑ってしまう主張を平然とする人も少なくありません。
おお、私は汝に言おう!我が言を決して取り違えたもうなと!私は汝に言おう!人は決して好きなことに自然と手をつけてしまうような存在ではないのだと!私は汝に言おう!私こそ長い間この誤解と戦ってきた者であると!
好きなこととやるべきことの間で擦り切れていった夢
遡ること6年前、24歳の頃でした。専門学校を卒業して入社したシステム会社では5年目を迎え、システムエンジニアとして任される仕事の量が増え、責任も増えてきた時期でした。それ以上に大きな変化といえば、当時私の唯一の生きがいだったバンドを解散したことでした。
働き始めたからも続けていたバンド活動でしたが、その活動量は年々減っていく一方でした。社会人5年目を迎えた頃、バンドは芽がでることのないままついに解散に至ったのでした。
月に一回、定期的にやっていたライブの客席にいたのはほとんどが共演者たちかライブハウスの関係者たちばかりで、毎回3〜5万円の赤字。私は現実から逃げるようにバンドの解散を決めたのでした。当時、ほとんど誰も見ていないブログ上のお知らせで、解散とは言わず”活動休止”と謳ったのは最後の抵抗だったのかもしれません。
ライブの出演費だけでなく、楽器などの機材費やCDなどの製作費を考えると、安定した収入が必要でした。私は好きなこと(=バンド)をやるためにはもっと多くのやるべきこと(=システムエンジニア)をこなさなければならない状況でした。
バンドに力を入れようとすればするほど、バンドに割ける時間は減っていく。しかも、たとえそうでなかったとしても時間とともに自然と会社の中での自分の立ち位置は上がっていき、求められる仕事も増えていく状況でした。
出口の見えないトンネルに入り込み、進むことも戻ることもできないような状況にウンザリしていました。だからといってすべてを投げ出す勇気もありませんでした。
私はただ、好きなこととやるべきことの間で擦り切れていく自分を、まるで他人事のように傍観しているしかなかったのです。
好きだからこそ手をつけられない日々のはじまり
私は人生に膿んでいました。
好きなことをやろうとすれば、やるべきことから逃れられなくなる。まったく矛盾した結論のように見えるのに、私の人生はまさにこのような矛盾の溝にすっぽりとはまり込んでいたのです。
バンドを解散したいま、もはや好きなことの一切に明確な期限はありません。好きなことをやることに自然と強いブレーキがかかるようになりました。
「いったい今から一曲作り上げたところで、いったい何になるのか?」
私は睡眠に逃げるようになりました。何をするでもなく、いつも疲れているような状態になり、睡眠時間は長く長くなりました。
布団の上でも、私はいつも手を伸ばせば届く位置にある作曲マシンのことを考えていました。ほんの少し手を動かして、小さなボタンを1つ押せば作曲マシンは起動するというのに、どうしてもそれができませんでした。
「いったい今から一曲作り上げたところで、いったい何になるのか?」
その声は大きくなるばかりでした。一方で、無益に時間を浪費している自分自身に対する罪悪感も強くなっていくばかりでした。
無論、ずっと寝ていたというわけではありません。仕事に行くことはもちろん、友人と飲みに行ったり、インターネットを巡回したり、ゲームをしたり、映画を観るといったことはできました。
ただ、作曲だけが、好きなことだけが、行動に移せなかったのです。なんという不条理でしょう。好きじゃないことはできて、好きなことだけができないのですから。
好きだからこそ自然にやってしまうなんてのは愚鈍の戯言です。好きなことが、好きだからという理由で行動に移せなくなる。この時の私はそんな状況でした。
人は好きなことではなく、うまくいくことをやっている
どうして好きなことが行動に移せないのか?なぜ望ましくない環境に甘んじてしまうのか?
ある書籍で出会って以来、何度も反芻している言葉があります。
人はうまくいくことをする
「史上最強の人生戦略マニュアル」 第4章 「見返り」が行動を支配している
※私の書評はこちら >> 7つの習慣以来の衝撃!史上最強の人生戦略マニュアルの要約と感想
「人はうまくいくことをする」
これほど真実を言い表した言葉はなかなかありません。「うまくいく」とは「見返りがある」ということです。つまり、人は好きなことを自然にやっているのではなく、うまくいっていることを自然にやっているということです。それは、単に見返りがあるというだけのことなのです。
冒頭の誤解にたち返れば、「好きなことは自然にやってしまうもので、自然にできないことは好きなことではない」という言葉は正確には「見返りのあることは自然にやってしまうもので、自然にできないことは見返りをもらっていない」というだけのことです。
どんな行動も、うまくいってさえいれば、なんらかの見返りさえあれば、行動に移すのは容易いでしょう。しかし、ここには落とし穴があります。
うまくいっていることが本当に自分の信念と合致していない場合には、自分でも気がつかないうちに理想とは程遠いレールを走ることになるということです。
そして、本当に好きなことというのは、大抵は自分独自の唯一無二の道を切り拓いていくことになります。それは少なくとも最初はうまくいく見込みのない、なんの見返りもないようなことを突き詰めることです。そして、数え切れない試行錯誤ののちに自ら最善の見返りを案出することです。
もしも、うまくいっていることしかやったことがないというのなら、それは不本意な選択と妥協の連続によって作られた、なんとも惰性的で反応的で空虚な人生ということになるでしょう。
好きなことをやるには、自らを奮い立たせなければならない
どんなに私の信念から外れた行動であったとしても、システムエンジニアの仕事はなぜ続けられたのでしょうか?それは、技術力が認められ、正社員として受け入れられ、合意した額の給料を毎月もらうという点でうまくいっていたからでした。
なぜ命をかけてもいいほど好きなことは、行動に移せなかったのでしょうか?それは、行動に移さないことで可能性の中に逃げ込めたからです。「時間さえあれば…」「人脈さえあれば…」「才能さえあれば…」
なぜ一方で、インターネットや映画を観たり、無意味な飲み会に出たりといった、どうでもいいことは行動に移せたのでしょうか?これも同じく現実逃避による安堵感という見返りを得られたからです。現実逃避に浸っている限り、夢破れた自分と向き合わなくて済むのですから。
私は「好きなことをやる」と発言するときには、軽々しくならないよう、大変注意深くこの言葉を使うようにしています。好きなことをやるのは、分厚いレンガの壁をいくつも突破しなければならないことであり、とても手軽に取りかかれるようなものではないからです。
好きなことをやりたいと願ったとしても、本当に好きなことをできるようにするためには、あらゆる不安や恐怖、誘惑と戦う必要があります。
本当に好きなことをやるときは、うまくいっていないことに挑戦する勇気を発揮するときであり、見返りを得ている不本意な選択を断ち、見返りのない行動を淡々と続ける意志の強さを発揮するときだからです。
好きなことをやるためには、いまの流れを変えるべく勇敢に自らを奮い立たせなければなりません。それは言うまでもなく自然にできるようなものではありえません。
▼本当に好きなことを習慣化するための秘訣について、以下の動画にまとめましたので、こちらもぜひご覧ください。
貴下の従順なる下僕 松崎より