【ネタバレなし】アクト・オブ・キリングはパラダイムシフトに立ち会える奇跡のドキュメンタリー映画だった!採点不能!

私の愛しいアップルパイへ

すごい映画があるものです。映画「アクト・オブ・キリング」を観ました。1965年9月30日以降、インドネシアで”共産主義者狩り”と称して行われた大量虐殺を扱ったドキュメンタリー映画です。

ラオコーン像のように衝撃的で奇跡的な一作になっていますので、グルメなあなたにもお教えしようと思い、馬を走らせてここまで来ました。

【ネタバレなし】アクト・オブ・キリングはパラダイムシフトに立ち会える奇跡の映画だった!採点不能!

「アクト・オブ・キリング」はいままで不透明だったインドネシアの歴史に切り込んだ挑戦的な作品です。その点においては映像として、特にジャーナリズムとしての価値は計り知れないものでしょう。

ドキュメンタリーというものの特質もありますが、本作はプロットも、表現手法も、映像の内容も、常識を覆すような斬新なものでしたので、今回は採点不能とします。ただ、奇跡的で素晴らしい作品であったことは断言できます。

また、私はジャーナリズムではなく映画が好きなので、ここでは飽くまで映画としてのこの作品の素晴らしさをお話します。

アクト・オブ・キリングの時代背景

本作はインドネシアの歴史と深い関わりを持つドキュメンタリーでもあるため、簡単に時代背景についても触れておきましょう。

第二次世界大戦中、日本の植民地下にあったインドネシアは日本の敗戦とともに解放され、再植民地化しようとしたオランダをしりぞけて独立されました。このとき初代大統領となったのがスカルノ大統領です。日本ではスカルノ大統領の第三夫人であるデヴィ・スカルノ夫人がよく知られているのでご存知かもしれません。

スカルノ大統領はインドネシア共産党を支持基盤として国を率いていましたが、1965年9月30日に大統領親衛隊第一大隊長の中佐によるクーデターが発生。陸軍の高級将校6名が殺害されます(いわゆる9月30日事件)が、一時的に陸軍最高位になったスハルト少将によってクーデターは鎮圧されます。クーデターは未遂で終わりました。

しかし、もともとインドネシア共産党に肩入れしていたスカルノ大統領は厳しく責任を追求され、結果的にクーデターを阻止したスハルト少将に大統領の座を奪われることになります。

かくして以降30年続くスハルト政権が樹立するのですが、このときからクーデター未遂を起こした共産主義者たちに対する「共産主義者狩り」が本格化します。国を脅かす賊を根絶やしにするという正義のもとで共産主義者狩りの実働部隊として働いたのは軍隊ではなく民兵でした。

特に大きな役割を果たしたのが、フリーマンを語源とし、自由人”を意味する「プレマン」と呼ばれるならず者集団でした。ギャングまがいのプレマンは「共産主義狩り」をスローガンに国内で非人道的な大量虐殺をはじめます。虐殺された人の数はいまだ定かになっていませんが、100万とも300万とも言われています。

そして、本作の主人公となるのがこの国民的英雄”とされているプレマンたちなのです。

大量虐殺の加害者に当時の殺戮を演じさせる前例のないアイデア

とにかく本作の一番すぐれた点は、根幹となるアイデアにあります。そのアイデアとは「大量虐殺者に過去の大量虐殺をもう一度演じさせる」です。まずこの発想に驚かされます。

監督が主人公のプレマンに提案したのは「かつて自分がやったことを自由に映画化してくれ」ということでした。歴史の誇張を強要することもなく、逆に反省の強要もありません。ですから、本当になにが起こるか分からないのです。

本作がドキュメンタリー映像化したのは、この大量虐殺者が自らの殺戮を再現した映画を撮影している最中のメイキング映像ということになります。

最初は予想通り、自らの勇敢な歴史を喜々として演じる主人公のプレマンなのですが、それが加害者も被害者も含めてすべて自分自身でもう一度演じることによって、予想外の展開が生まれていきます。そしてそれはすべて実際に起こった映像なのです。

無駄な脚色がないからこそ本質が突き刺さる

ドキュメンタリーなので当然ではありますが、無駄な脚色は一切ありません。不安をかき立てるような安易なBGMもありませんし、安っぽい心理描写もありません。CGもなければ、高度な場面転換もありませんし、まともなセットも予定調和もありません。

場面転換は基本的にブツ切りで、話もつながっているのかつながっていないのか分からないシーンが続きます。最初はいったいなにを表現したいのか分かりかねるかもしれません。

しかし、無駄な脚色や予定調和がない荒削りな演出だからこそ、映画の本質である人間というものの移ろいやすい心情が浮き彫りになってきます。これはドキュメンタリー映画の持つ特殊なパワーです。

人のパラダイムシフトに立ち会える映画

この映画の奇跡的なところは、人の人生を一変してしまうような「パラダイムシフト」をしっかりと映像に焼きつけたことにあります。

我々はいつも自分専用の眼鏡を通して世界を観ています。自分に合わない眼鏡をつけていると世界はぼやけて見えますし、サングラスをつけると世界は暗く見えるでしょう。我々は世界の事実を見ているのではなく、認識という眼鏡を通して見ているのです。

ですから、認識という眼鏡をつけかえることで、一瞬にして世界が一変してしまうということがあります。それが「パラダイムシフト」です。

パラダイムシフトは誰もが起こせますが、実際にパラダイムシフトを起こすのはとても困難なことです。いままでの人生経験すべてを通して選んできた眼鏡をそう簡単に捨てることなど普通はできないからです。しかし、だからこそ誤った眼鏡を認識し、それを捨てることを決意してパラダイムシフトを起こすことは、大きな価値を持つと同時に大きな希望を与えてくれます。

本作は、チャップリンが「殺人狂時代」のなかで「一人殺せば悪党で、百万殺せば英雄だ!」と皮肉ったような、大量虐殺を通して英雄になってしまった一人の男に起こったパラダイムシフトの物語です。

そして、それをすべて映像に収めてしまった本作は奇跡的な作品なのです。おそらく、このような赤裸々な映像をとるために、監督はプレマンたちと深い信頼関係を結ぶための多大な労力を使ったに違いありません。アイデアがあるからといって、そう簡単に撮れるものでないことは明らかです。

私は、不透明だった歴史に切り込んだ映像としての価値よりも、このパラダイムシフトの物語に本作の映画としての魅力と可能性を感じました。

アクト・オブ・キリングは確かに映画として素晴らしい作品だった

映画というものが、人間の特質が分かりやすいように登場人物を特殊な環境に配置して、普段は見落としがちな人間の心情の繊細な動きを見事にとらえるものだとするならば、本作は確かに映画として素晴らしい作品であると私は思います。

インドネシアの歴史に興味がなくても、心打たれる奇跡の一作です。

▼予告編はこちら。

貴下の従順なる下僕 松崎より

著者画像

システム系の専門学校を卒業後、システム屋として6年半の会社員生活を経て独立。ブログ「jMatsuzaki」を通して、小学生のころからの夢であった音楽家へ至るまでの全プロセスを公開することで、のっぴきならない現実を乗り越えて、諦めきれない夢に向かう生き方を伝えている。