【ネタバレなし】2015年に観た映画で一番おすすめの作品はやはり「セッション」だったな

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私の愛しいアップルパイへ

私がどんな質問にでも答えると言ったら、なにを聞きたいですか?うまい時間の使い方とか、生活の質を改善する方法とか、習慣化のコツとか、もっとプライベートなこととかでも良いですよ。

2015年に観た映画のなかで一番良かった作品がなにかですって?それがいま一番知りたいことですか?よろしいお答えしましょう。

それは「セッション」です。

【ネタバレなし】2015年に観た映画で一番良かった作品はやはりセッションだった

セッションは2014年に制作された映画で、日本での公開は2015年でした。

監督はデミアン・チャゼルで、自ら監督した作品としては二作目となる若手監督です。主演も若手のマイルズ・テラーで、助演はクセのある脇役が印象深いベテラン俳優のJ・K・シモンズ。

本作は87回アカデミー賞で5部門にノミネートされ、助演男優賞、編集賞録音賞の3分門で受賞しました(作品賞と脚本賞はノミネート)。監督作品二作目としては、クエンティン・タランティーノばりの快挙と言えるでしょう。

簡単なあらすじとしては、19歳のジャズ・ドラマーであるニーマン(マイルズ・テラー)が、アメリカの名門音楽学校に入学するところからはじまります。ニーマンの演奏は、学校のなかでも最高峰の指揮者であるフレッチャー(J・K・シモンズ)の目にとまり、フレッチャーのバンドに引きぬかれます。

ニーマンはフレッチャーの常軌を逸した厳しい音楽教育に耐えながらも、確実に腕と評価を上げていくが、やがて…といったところです。

それで、あらすじだけではなんの特色もないこの「セッション」がなぜ良作なのかをお話していきましょう。ただ、セッションの一番の優れたポイントが展開の巧みさにあるため、これからお話することはネタバレではありませんが、ある種の種明かしにもなりかねません。

そのため、知識ゼロで観たい方は、この先は見ないことをおすすめします。

セッションは1アイデアで映画のセオリーを覆した良作である

「セッション」賞賛の声を聴くと、どうも緊迫した空気感とか、非人道的な教育の実体とか、マイルズ・テラーとJ・K・シモンズの鬼気迫る演技にばかり目がいっているように思います。

しかし、セッションの本当の面白さは別のところにある、実にシンプルな1つのアイデアにあると私は考えます。緊迫した空気感や鬼気迫る演技ならブレアウィッチ・プロジェクトを観ればいいのですから。

セッションの本当に斬新で目を見張るところは映画の後半の1/3からやってくる、映画のセオリーを完全に覆した脚本の巧みさにあるといえます。それはつまりこういうことです。

何度もラストシーンを繰り返す”

映画の前半は、これでもかというほどの緊迫感をうむフレッチャーの教育が見どころです。まるで風船を膨らませて、風船が割れるギリギリまで空気を入れていくような、そんな展開が続いていきます。

しかし、これは最後の1/3にあるアイデアを活かすための前フリでしかありません。風船をギリギリまで膨らませたあとに、物語というもののセオリー通りに決定的な出来事が起こり、風船は綺麗にしぼみます。

その後、普通の映画ならどうするでしょうか。「起承転結」や「緊張と緩和」などと言うとおり、静寂が訪れて間延びしないうちに幕引きするのが利口な脚本家のやることです。

風と共に去りぬなら、「明日は明日の風が吹く」と言ったら終わりなのです。実際に明日が訪れて、ヴィヴィアン・リーが呑気にアフタヌーンティーを飲んでいるシーンなど要らないのです。そんなシーンは興ざめでしょう。なぜなら、物語において起承転結の”結”は退屈以外のなにものでもないからです。

風船をギリギリまで膨らませて、鋭い針の一刺しで風船が割れてしぼんだら、幕を降ろすのがセオリーというものです。鼓動が高まっているうちにスタッフロールとエンディングテーマを流すのが良識のある大人のやることです。しぼんだ風船を丁寧にたたむシーンも、ゴミとかした風船を捨てるシーンも冗長でしょう。

ジョーズが死んでも、翌週に人々が海水浴を楽しむシーンなど要りません。エイリアンを倒しても、翌週国会に提出されるであろう対エイリアン向けの法案を作るシーンなど要りません。シリアルキラーが捕まっても、その後の裁判における弁護の様子など要りません。そんなシーンは野暮ってものです。

間延びしたラストシーンという型破りな方法によって展開がまったく読めなくなる

それで、「セッション」はどうかって?「セッション」ではその不要な結末シーンがダラダラと続くのです。

これで終わりかと思うシーンがはじまり、暗転してスタッフロールかと思いきや別シーンに移ります。ああ、こっちのやり方で終わりかと思ったら、さらに暗転して別のシーンに移ります。おや、このパターンかと思ったら、さらに暗転して…という具合です。

確実にラストシーンでもおかしくないシーンが何度も移り変わります。すると、いつの間にか、いまは起承転結の「結」ではなく、まだ「転」のなかにいるのか?という疑心暗鬼に変わっていきます。そして、すっかり緩和に向かっていると決めつけていたのに、緊張に向かっているのか緩和に向かっているのかわけがわからなくなるのです。

結局、風船が割れたことによって気が緩んだのも束の間、セオリーを無視した長尺のラストシーンによって、気づいたときには目の前にもう一度膨らんだ風船があらわれるのです。しかも、一度セオリーを無視したがために、今度はどうやって割れるのか、もしくは割ろうとすらしないのか、まったく予想できなくなります。そして、一番ありえない結末に向かっていくのです。こんなふうに予想を裏切られたのははじめてです。

この偏執狂的なアイデアが巧みな脚本によって自然に展開されていくので、観ている方は完全に術中にはまってしまうわけです。

この幕引きしないことで前半から続く緊張感をさらにもう一回転させるという手法は、ブレアウィッチ・プロジェクトやドッグ・ヴィルやバードマンがそれぞれ用いた一発ネタにも引けを取らない斬新なアイデアといえるでしょう。

「セッション」は映画を終わりそうで終わらせない型破りな幕引きという実験を成功させた、実に挑発的でユーモアあふれる作品なのです。私は途中からニヤニヤが止まりませんでした。

是非、最後の1/3の型破りな旅を楽しんでください。

貴下の従順なる下僕 松崎より

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システム系の専門学校を卒業後、システム屋として6年半の会社員生活を経て独立。ブログ「jMatsuzaki」を通して、小学生のころからの夢であった音楽家へ至るまでの全プロセスを公開することで、のっぴきならない現実を乗り越えて、諦めきれない夢に向かう生き方を伝えている。